第38話 諦観

 デル署長の別宅二階の自室。一階から振り子時計の鐘の音が聴こえ、寝付けずに日が替わったのを夢現ゆめうつつに想う。時刻は、12時か1時前後と……そこらだろうか。


俺の部屋には時計が無く。何かが有ったのであろうという痕跡も物も、極端に少なく。例の放棄された水力発電所とはまた違った、寂寞とした雰囲気が醸されていた。


使われていない別宅だと言っていたのだから、物が無い部屋が在ってもそれは不思議ではないが…… デル署長の顔色や、別宅の外観を含めて、俺は何故か引っ掛かりを覚え始めていた。


 依然、寝付けずにいた俺は次第に意識がめ始め、暫くしてキッチン上に位置する階段に足を運び、一階リビングに降りることにした。


『何か飲めば寝られるかもしれない。』 


俺はそんな思い付きで身体を起こし、RSFを握り、ルームシューズを履いて歩を進めた。歩く様は良く言えば悠然……悪く言えば鈍重……俺の意識はまだ、夢現つの境地に在った。


 解放的な階段はリビングに直結している。吹き抜け横の階段を降りようとすれば、リビングは直ぐそこだ。


鈍足で、重くも軽くも感じられる身体を運び、階段上に辿り着く。そこでふと、俺はリビングに目を向けた。


夜分、真っ只中。元来真っ暗闇である筈のリビングが、カーテンの隙間からは差す外灯の青と、落ち着いた草色の内壁、各所の陰翳いんえいにより、藍鼠あいねずに見える。


小さな吐息も、夜と季節の寒冷で白くなり。徐に、はだけた寝間着をからだに寄せ、叱言こごとを洩らしながら間の透けた階段をとぼとぼと降りていった。


「リビングには暖炉以外の暖房機器が無い……道理どうりで冷え込むわけだ。」


中庭を覗ける大窓の隙間からは、時折小さな風音が流れ、同時に露出したかかとを冷やす。


俺はその寒さに身を震わせ――その拍子に暖炉際のロッキングチェアが軋み、すぐさまリビングの陰翳に潜むに銃を向ける。


「君も眠れないのかね?」


ロッキングチェアにもたれた背にそう呼び掛けられると、俺はそっと懐に銃を隠した。


それから黒い背中に対して、邪魔だとか、何をしているんだとか、そんな複雑な感情を少しばかり持ちながら、気怠げに返答をした。


「署長……まだ起きていたのですか。」


「歳の所為で寝付きが悪くてね……そうだ、寝れない時は酒がいい。」


「酒? こんな時に酒ですか。」


「何も浴びるほど呑もうって訳じゃない。それに、感情的センチメンタル過ぎるのも良くないだろう? たまには晩酌と洒落込もうじゃないか。ワインでいいかね?」


『またワインか……』


「他の酒にしませんか?」


「……そうだな。ジンはどうだね?」


「ええ、それなら構いません。」


 署長は「ここに居ろ」と云うようなハンドサインを出しながら重い腰を上げ、俺がソファに着いて少ししてから戻ってきた。


手には栓のあいたボトルに、グラスが二個。太く、ごつごつとした指がグラスを挟んでいる。


「スタンドライトを付けてくれ。」


俺は言われるがままフロアスタンドを点け、直後差し出されたグラスを受け取り、ジンが注がされるのを眺めた。


「少し……話をしよう。」


、そうきましたか。ですが……まぁ。貴方の事ですから。意図もなく私に酒を注ぐなんてしないと思っていましたよ。」


「なら話が早いな。」


署長は呟くようにそう言いながら、一人分の間隔を空けて俺の座るソファに重々しく座り、座面を歪ませる。


「君が何か悩んでいるんじゃないかと考えていたのだよ。浮かない顔をしていたし、移動中は滅多に口を開かなかったろう? 


それに偶然かもしれないが、寝付きも悪い。に、相談に乗ってあげようと思ってね。」


……ですか。相変わらず、捻くれてますね。デル署長。」


署長はジンを飲んでから、少し口角を上げ髭を動かす。


「……で、どんな悩みがあるのだね?」


署長はそう語りながら、気味の悪い笑顔を浮かべ、目は俺の心を見透かしているように達観的だった。


 そして俺は諦観するように、自白するように、黙考することもなくその思案を自明した。


「――貴方には全てを話しますよ。貴方は面の皮が厚いですから……ついでに協力してもらいましょうか。」


「“協力“? ふん……見誤ったか……」


「いえ、私は悩んでいましたよ。ただ、吹っ切れたのです。そのに。」


「何を言って……いや、いい。私には関係ない事だ。それで、一体何を頼みたいのだね?」


俺はジンを味も解らない速さで胃に落とし、重くなった口角を無理に上げ――カタった。


「――“仕事イツモ“と同じだ。」


署長は俺を見据えながら、徐に口角を下げる。


「つまり――“殺し“かね。」

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