第15話 名残り 後編

 ここまでスムーズにかくまわれたのは、きっとエドが根回ししてくれたお陰だろう。暗い部屋で、青白い画面に向かっている背に向かって、俺は声をかけた。


「ズミアダ。だな……」


俺の声は震えていた――若干ではあったが、予想以上に。


その声に最早矜恃きょうじは残されていなかった。


残滓ざんしとして、戦いと死に怯えるただの男が、影法師になって話しかけていたのだ。


――酷く臆病な男だ。



 しかし、彼は変わらず決然とした態度で応える――無関心か、そう見せているのだろう、しかしそれが彼の長所でもあった。


世俗は度重なる技術進歩と、その対応により複雑化し、人心の脆弱性は明晰になった。


それはインターネットや、マスメディアを介し、非難・差別・虚偽等の普遍的な概念で増幅され、現実にまで溢れ出している。


そんな憂世では、友人関係ですら無干渉な人間が、一人ぐらいは必要だ。



 「おぉ、ゲン! ようやく来たか。おっと、は其処に置いてくれ。」


彼の口ぶりは軽かった。


「ああ……ん? 今、“彼の荷物“と言ったか?」


「そういえば言ったか? いやなに、お前が行方不明になってプシエアと一緒に探している時に彼が直接会いに来たんだよ。


で、お前の寝顔の写真付きだったこともあり、彼の身元特定を急いだがこのズミアダ様をもってしてもダメだった。


結果的には『息子を宜しく』――と付いて、計画の内容と報酬の詳細を押し付けられたわけさ。」


エドが設定した報酬はそれなりの額の金と、彼が持つ技術データの一部。


それを応用・統合した試作品――つまり、その荷物ゴルフバッグの中に仕舞われた、小型アタッシュケースの中身だった。



 「お前も聞いたと思うが、彼との面識は一瞬で、ほぼ無いに等しい。お前の写真も手の込んだ虚像だと考えていたんだが、無視出来ないしな。結果オーライってやつだ。


お前のことは、外に設置した監視カメラで見ていたよ。下水路から御苦労様。


明日は朝早くから行動するからな、シャワーを浴びてゆっくり休んでくれ。」


そう語る彼の顔立ちは薄白く、若々しくも何処か趣きの在る中性的な顔立ちで、楽天家らしい笑みを浮かべていた。



 彼は目の前に在る画面を見せる様にして、はけた。


青白い画面は16分割され、それぞれ監視カメラの映像を映し、建物内外の至る所を網羅しているようだった。


彼はそれを自動検出・保存モードをオンにしてから席を立ち、暗い部屋から出てきた。


「うわっ……流石に眩しいね。今は何時頃だい?」


俺はARグラスの端に常時、表示されている時間に目を向け、応える。


「2時半過ぎだ。」


彼はその言葉を聞くなり、動きが途端に機敏になり、急ぐようにして荷物を漁る。


「おい、ズミアダ。一体どうしたんだ?」


「お前も知ってるだろう?! もうすぐ寝る時間だ!」


「あぁ〜……」


そういえば彼は、昼夜逆転型の人間だった。かく謂う俺も、若干そうなっているが……彼程ではないだろう。


「まぁ、技術関係は任せる。併せて、俺のウェアラブル装備と端末、スマートグラス。これらのUSBに入った、データ解析も宜しく頼む。」


「ん? おぉ、こんなにも! スマート繊維のウェラブル電子機器?! スマートグラスに、多機能デバイスまで……目の前にした今ですら、これらの品をたった一人が保有していたとは信じられない。これらは軍ですら試験運用されていない代物だぞ?!


あっ、その認識票ドッグタグは? 何か機能が付いているんだろ? 見せてくれ!」


突き付ける様にして伸ばされた手を避ける様に、俺は無名の多機能ドッグタグを庇った。


「違う。これは俺が託された――いや、遺された……彼の形見なんだ。」


それを見るや否や、彼は手を戻し、少し悪びれた。流石の彼でも


「――“形見“か……すまない。少し熱くなってしまった。あぁ、そういえば、もう1人の説明を任せられたんだったか。」


 彼は、降ろされた荷物から、“報酬“を丁寧に取り出しつつ、話を続けた。俺もまた、替えの衣服を漁りながら聞いていた。


「彼は俺の客で、ハシギル。人殺しを専門としている――所謂いわゆる、ヒットマンだ。界隈でも、それなりに名が知れている。


寡黙といえば寡黙だが、話せるタイプだ。だが気を付けろ――彼は危険な男だ。


昔は、金さえ貰えれば何でもする“何でも屋“だったらしいからな。その価値観は変わっていないだろう。


だが、今回。彼は“フリー“だった。救われたよ。“例の人“が予め料金を用意してくれていた。ハシギルも、額を見たら快諾してくれたよ。」


その話を聞きながら、見つけ出した――何処かエドの雰囲気を感じるフォーマルな服に着替え、彼に質問をした。


「――それで何故、助っ人を頼んだ? やはり彼の指示か?」


直ぐに彼は応えた。


「よく気が付いたね? お前の言う通りだ。


以前、彼が訪れた際。プシエアには『最も信頼できる人物』を、俺には『最も危険な人物』を、それぞれ助っ人として呼び、君を護衛しながら、姿をくらませるように指示され、報酬金の話もそこでされた。


もっとも、最初から彼を信用していた訳じゃない。


でも、IPアドレスは特定されるし、当時来ていた屈強な客も、彼に喧嘩を売りブチのめされ、お前が写真も送られちゃあ仕方ないよな。」


「脅しに屈した……という訳か。」


「まぁ、そうなるが。だからこそ信用できたんだ。彼はそこまでの知識と技能を有していても、“強行“はしなかった。恐らく、性格の方は“強硬“では在っただろうけどね。」


「下らんジョークはともかく――尤もだ。」


 ズミアダとの話を一通り終え、休む為に別の部屋に移動しようとした時。徐にプシエアが、玄関の方から此方へ来て、改めて挨拶をしてきた。


「よぉ、相棒。大変だったらしいな。」


――作り笑い。彼は、空元気からげんきで話していた。俺も、伊達に相棒をやっている訳じゃない。彼の様子から、心情を読み取るのは、俺にとって容易い。彼の心情は――憂虞ゆうぐの混じった気遣いだ。


彼はアルコールと甘味を同時に摂取し、それを原動力とする様な奇人だ。同時に、仲間想いな人物でもある。


最近、仲間を失った彼は、俺のこともまた、仲間として心配し、その未来を心配し、恐れているのだ。


「あぁ――心配をかけたな。相棒。」


彼は作り笑いを崩し、ほころんだ様に優しい笑顔を浮かべた。


「全く。時間に厳しいお前さんが遅れるとは……久しぶりの感覚だったよ! あと、言い忘れていたが、。まだ防弾ガラスにしてなかったんだな?」


例の新車――“フランケンの怪物“と邂逅かいこうした日。特定を免れる為に、俺がその新車を置いて逃げ帰り、翌日彼がそれをキャバレーに送り届けてくれたものだ。


「買ってからまだ一年ぐらいしか経っていなかった。それに最近、怠惰に仕事をしていた俺は防弾ガラスに換える金も無かった――いや、厳密にはそれすら面倒で鬱気になっていたんだ。」


「それでも、に育てられたんだろう? 大雑把だが話は聞いた。あんだけ用心する人に育てられて、換装していないのは頂けないな。」


無理もない。彼は嗜好こそ変だが、西欧暮しで育ちが良く。この聯邦に出稼ぎで来ている外国人に比べても特に、礼節を重んじていた――だが、それはでの話だ。今は、その反作用で笑えないジョークを言う様になってしまった。


「俺もあの時、話すつもりだったが……仕事を辞めて、件の異郷に帰る際に、新車も持っていく予定だった。それに、旧車は防弾ガラスに換装済みだから、いざという時も大丈夫だろうと思っていたんだ。」


「まぁ、理由はどうであれ。親は大切にするものだ。というか彼は? さっきも見なかったが……」


その言葉に――俺の胸の穴が、再度拡がる感覚がした。彼の下腹部の暗赤色のあなを連想し、息は出来ているのに、無性に息苦しさを感じる。


今迄、散々人を平気で殺してきた精神が『最も大切な人の死』をもって、濁流が橋を砕く様にして崩壊した――いや、既にもうヒビが在ったのだろう。


その罅は皮肉にも、“人殺し“という利己的な行為による反作用で生まれたのだと判る。そして遂に、緩んだ精神と先程迄在った戦闘という『落差』によって崩壊したのだ。


――つまり、俺に人間としての自我が芽生え、完成されてしまったのだ。


 「彼は――俺が逃走する時間稼ぎの為に、奴等を引き付けて……」


「――そうか。悪かった。」


彼は悪びれていたが、俺は必要無いと促した。それから俺は軽く介抱を受け、久しぶりに湯船に浸かり、皆が警護・監視や解析等の仕事を熟す中。俺は会議を行う夜明けまで、すっかり寝込んでしまった。


夢は依然、見ず――刹那の闇が、脳を支配し、瞳を覆うだけだった。

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