第29話

 立石に抱えられた真白は、着地と同時に息の潰れた音を喉から漏らす。

 真黒に抱えられている時と違い移動のGをまともに受けるのだ。立石は真白を投げ出すように下ろすと乱暴に腕を掴んで引き立てる。

 ここは公園だろうか。広い空間に芝生と舗装された通り。まばらに生えた木々。

 腕を引く立石に多少の抵抗をするも、体重の軽い真白では大した抵抗も出来ず、掴む手に力を入れられれば従うしかない。

 背後から同じように黒い影が飛んできて、何か四角い物が地面に当たるような動きで転がる。

 その塊はフレームを硬化した真黒だった。空中で軌道制御を行うより、枠断すいだんで外部からのダメージを遮断して地面に激突した方が早い。

 真黒はフレームを解いて地面に立つ。その姿を見て真白は安堵する。



 立石は焦っていた。いくつもの修羅場を生き残ってきた彼も、永遠湖が最初に彼らの力を垣間見た時と同じ感想を抱いていた。

「何なんだこいつらは」

 ここまでしつこく追ってきた奴は初めてだ。

 線路脇にも逃走用の車両を用意してある。あんなにも早く追ってくるとは思っていなかったので使う暇も無かったが、使っていても同じように追ってきただろう。

 一応ここも第二の戦闘地帯として考慮してある。フレームの効果を半減させるため開けた空間を選んだ。

 だがロケットエンジンまで調達した逃走経路に絶対の自信を持っていた為、「一応」程度に用意したプランでは、この未知の敵にいささか心許無い。

 立石は彼自身、普段から「スマートでない」と称している手段を実行した。

「動くな、この子がどうなってもいいのか?」

 左手の装甲された爪を真白の首に食い込ませる。

 だが真黒は涼しい顔で地面に落ちている石を拾うとそれを抜き放った刀の刃にあてがった。

 訝しげにしているとその石が何の予兆も無く弾丸のように飛んでくる。

「うわっ」

 石は立石の顔をかすめ、頬に赤い線を刻んだ。ビルの時に見せた技か。あの時見ていなければ危なかった。

「脅しだと思っているのか?」

 実際立石は、このままやられるくらいなら真白を道連れにするつもりだった。

 首を掴む手を喉に食い込ませ、真白の顔を苦痛に歪ませる。

 だが刀を構えた黒い少年は、顔色一つ変えずに間合いを詰めてきた。



 少しの間我慢してくれ、と真黒は飛び込みながら心の中で謝る。

 乱暴な事を言えば、たとえ真白が殺されてしまった所で狭間から無事だった頃の真白を取り出せばいいのだ。

 もっと言ってしまえば研究所で残滓から真白を取り出す事も出来た。

 通常、真っ当な人間をそんな手段で生き返らせれば、リペアドールに狙われる理由が深刻なものとなるが、狭間の住人である真白ならその心配も少ない。

 だが狭間から取り出した物は少なからず情報が欠損している。時間が経った物や生物など複雑な構造した物は尚更だ。

 見た目はともかく精神に作用する部分も含めるとなると、異性である真白の欠損情報を補う自信など真黒にはない。

 しかし死の直後ならば完全に取り出せる公算は高い。死んでしまった場合は仕方が無いが、それでも出来る事なら生のままの真白に生きていてもらいたい。

 出来るだけ早くケリを着けなくては……と真黒は突きの体勢で突っ込んでいく。



「くっ」

 立石は左手で真白の首を掴んだまま、右手を後ろに回す。携帯用の電磁ネットランチャーに手をかけ、突進してくる黒い影に向けると同時に射出した。

 真白の体の陰から構える事で相手には十分な不意打ちとなり、真黒の体は完全にネットに絡まる。

 だがこれで倒せるわけではない。立石は真白の体を放り出して左腕を真黒に向ける。

 真白を殺す事に躊躇はない。だが真白の命に興味もない。自分は殺される事になっても、真白の命も絶ったからお相子、などという考えは持ち合わせていなかった。

 立石も修羅場をくぐってきた身、目の前の男が真白の命を優先していない事は分かった。ハッタリではない。ならばこんな娘をいつまでも抱えていては無駄に危険になるだけだ。

 もしかしたら、降参すれば助かるのかもしれない。

 スーツの電源を切り、腕を繋げて二度と関わらないと約束すれば見逃してくれるかもしれない。目の前の敵はそういうタイプにも思えた。

 真黒が立石よりも大きな、強大な敵だったならそれも出来ただろう。しかしここで降参するには真黒達の外見はあまりに子供過ぎた。

 それを立石のちっぽけなプライドがほんの少し上回った。


 左腕に仕掛けた薬莢が火を吹き、火薬の力で手が勢いよく離れる。それと同時に離れた手からは推進剤が噴射、真っ直ぐにネットに絡まる真黒に向かっていった。

 死中に活を見出す。今までもそうやって生き残ってきた。


 動けない真黒は刀で立石の爪を受ける。爪は刀身を握る形で鍔ぜり合いのようになった。

 ギリギリと受けながらも真黒は刃でネットを切断していく。狭間の力でフレームを切断出来なくとも刃物には違いない。普通に斬る事は出来るのだ。

 立石はいったん手を戻す。

 電流の流れるネットを切り裂いて真黒が躍り出る、その一瞬を逃さず手を射出。刀を持った右手の前腕部を鋼鉄の爪で掴んだ。

 立石は腰にあるスタンボルトのスイッチを入れる。バチッと電撃が走ると真黒の体は痙攣するように仰け反り、刀を取り落とした。

「真白!」

 真黒が何かを叫び、真白が地面に突き立った刀に走り寄る。

 やはりだ。あの刀に秘密がある事は薄々感づいていた。だが相手の力を見極めるまで早計な判断をする事は出来ない。

 しかしこの小娘に刀を拾いに来させるという事は、その予想は間違いないと見ていいだろう。こいつは刀が無ければ何も出来ない。

 もう一発、とスイッチに手を掛ける。

 この離れる爪には電力源や動力といったものは備わっていない。

 手は離れるが、神経や血液は普通に通っているのだ。という事は皮膚の下は繋がっている。血管内に注入したものが手の先に運ばれるのだから、皮膚の下に電線やチューブを通せばそれはそのまま手から出てくる。

 そうやってボディから電力や推進剤を送り込んでいるのだ。

 バチッと閃光が走り、真黒は地面に倒れた。

 真白が刀を拾い、引けた腰で構える。

 立石は口の端を上げる。この小娘に刀は使えない。刀の力は未知数だが、この娘に使いこなす力も戦闘経験もない事は場数を踏んだ立石には手に取るように分かる。簡単に奪う事ができるだろう。

 だが油断はしない。同じように手を射出してスタンボルトだ。とスーツの電力をコントロールするダイヤルに手を掛ける。



 真白は震える手で刀を持っていたが、真黒に言われた通りに何も無い空間に向かって刀を振り下ろす。

 剣道はやった事がないが、『面』とはこんな感じだったろうか。

 へっぴり腰で、お百姓さんが振る鍬のような軌跡を描いた切っ先は、何も無い空間を切り裂いた。

 真黒によって予め術式の入力が完了していたムラサメは、時間軸のずれた狭間から円筒形の塊を取り出した。

 狭間から姿を見せたのはくの字に曲がった手の無い『腕』。

 少し時間のズレた立石の肘、要は左の二の腕だけが宙空に現れた。

 立石は左手を戻そうとスーツの電力を落とす。

 しかしシステムの修復力によって手は戻るべき先を誤認、同IDの物体が二つ存在しているのだ。一瞬誤動作を起こしたがシステムは近い方を戻り先に選択した。

 遠距離から高速で戻すために完全に電力を落とされていた手は宙に浮いた腕に吸い付き、完全に一体化した。

 そしてシステムは同IDの物体が同時に二つ存在する問題も解決にかかる。片方を抹消しなくてはならない。若干形状が異なっている為一瞬悩んだが、システムは手っ取り早い方法を選択。腕だけしかない不完全な方を抹消対象として選んだ。

 空中から伸びた腕は鋼鉄の爪ごと粒子になって消える。

 立石の左手は、この世から消滅した。



 立石には何が起こったのか理解できなかったが、分かってる事は「手が戻って来ない」事と「手の感覚が無い」事だ。

 動かしている感覚が無い。感触も返ってこない。


 手が無くなってしまった。


 さしもの立石の表情にも焦りが見え、意味もなくスーツの電力を上げ下げする。

 しかし事態は変わらない。

 やがて腕の切断面からビリビリと電気が走るような現象が起こり、痛みを感じ始める。

 このままでは切り口はそのまま刀傷になって血を噴出す、というのが感覚として感じ取れた。

 立石はスーツの電力を最大にまで上げる。

 腕の異変と痛みは治まり、その間に体勢を立て直そうとする。最悪手を捨ててでもこの場を逃げなくては。

 しかし暫くするとまた腕に異変を感じた。痛みは治まったが、代わりに黒い稲妻のような物が現れ始めている。

 腕の切断面の空間が歪んでいるようだ。

 何の兆候か分からず、電源を入れられるものは全て入れる。バッテリーが心配だが、強い電磁場のある場所まで移動すれば……。


 しかし立石のこの回避行動は根本的に間違っていた。

 システムは世界の崩壊を防ぐために修正力を働かせ、場合によってはリペアドールを寄こす。

 不具合の修復が出来ないという事は、そのまま世界の部分的崩壊を意味する。

 腕の先に流れた血液はどこへ行ってしまうのか? 静脈はどこから血液を回収しているのか? 様々な問題を解決できないまま時間が過ぎ、立石の腕を取り巻くフレームは崩壊寸前になっていた。


 腕の先から火の手が上がっているかのように、腕を顔から遠ざけて走る。

 だが腕の感覚が完全に無くなり、重心のバランスがうまく取れずに足をもつれさせる。

「う、うわああ!」

 黒い球状のプラズマが発生しているようにバチバチと衝撃が走り、切断面が別の生き物のようにうねる。

 骨が、血管が、筋肉がそれぞれ繋がる先を探して手を伸ばしているようだ。

 立石は黒いプラズマから逃げるように這うが、当然繋がっている腕から発生しているプラズマは後をぴったりと付いて来る。


「なんじゃ? どうなっとるんじゃこれは」

 聞きなれた声の方に顔を向けると、そこには白衣を着た老人、浦木が立っていた。

 立石はゆっくりと起き上がり、出血を抑えるように切り口を押さえて浦木ににじり寄る。

「よお、教授……。これ何とかしてくれ。どうなっちまうんだ俺?」

「ワ、ワシに分かるわけなかろうが」

 浦木は炎から顔を庇うように腕をかざして後ずさる。

「そうだ。アンタのインナーにも電磁シートが埋め込まれてるよな? それも貸してくれ。このままじゃヤバいんだよ」

「よ、寄るな! あっちへ行け」

 ブン! とテレビのブラウン管のような音が響くと、立石の姿は一瞬ノイズがかかったように歪む。

「なあ、教授……」

 その言葉を最後に、立石の姿は球状のプラズマに吸い込まれるように一瞬で消えた。

 跡には人の身長の半分くらいのプラズマ球が残った。

「ひ、ひいっ」

 浦木は尻餅を付く。



 そこへ真白に肩を借りた真黒が刀を持ってやって来た。

「まずいな、また世界に穴が開いてしまう。この世とあの世を繋ぐ狭間の穴が」

 真黒は真白に支えられながら刀を穴に突き立てる。

「今回のは大きい。ちょっと難しいな」

 真白はそっと刀に手を添える。

「私も手伝うよ」

 何が出来るのか、という感じではあるが微笑みかける真白に真黒は口元を緩めて応えた。

 バリバリと黒い電撃が渦巻く球を見つめ、その動きを理解しようと努力しつつ安定してくれるように念じる。

 適当なようにも思えるが、ムラサメの使い方の正しい入り口だ。

 複雑な計算式を一つ一つ解くよりも、漠然とした計算を並行に走らせる。

 数学の不得意な真白の方が、ムラサメを使いこなす道には近いと言えた。


 球は小さくなっているが黒い稲妻はより激しくなっている。

 真白には治っているのか悪化しているのか分からなかったが、真黒の表情から好転していない事は分かった。

「このままでは狭間に飲み込まれる……。君は離れた方がいい」

「何言ってるのよ。私達はいつも一緒でしょう? それにあなたがいないと私も生きていけないんだよ」

「それもそうだ。じゃあしっかり頼むよ」

 真黒は真白の体に手を回し、しっかりと支える。

 周囲の空気ごと、小さくなりつつある球に吸い込まれるような感覚。体が僅かに引き寄せられる。

 穴が塞がるのが先か、自分達が吸い込まれるのが先か。

 球はムラサメの切っ先に乗る程度の大きさになっている。そして切っ先に吸い込まれるように小さくなり、見えなくなった。

 ほっと息を付くのも束の間、気を抜いたその一瞬に真黒と真白の体はその場から消えた。


 夜の公園には再び静寂が訪れる。

 そこには白衣を着た老人が尻餅を付いて呆然としていた。

 その目の前には黒い球はないものの、時折黒い稲妻がノイズのように走っていた。

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