第26話

 オープン前の家具屋の展示品のベッドの中で、永遠湖は隣に寝る男に身を寄せる。

 約束だ、刀を返せ。といつ言い出すのかと待っていたが、一向に切り出す様子のない真黒に、少し自分に対する想いを感じて顔が綻ぶ。

 いつまでも意地悪するものでもないだろうと思うが、もう少しこうしていたいのも本音だ。

「真白ちゃんは、大丈夫だよ。あいつらは研究したいだけで、殺したり、傷つけたりは絶対しない」

 少し安心させてやろうとして言ったのだが、真黒は体を起こした。

「それはまずいな……。真白の体の事が広く認知されてしまったら、世界がどんな対応をするか……」

「どういう事?」

「少数なら傍観、または記憶を操作、最悪でも関係者の抹消で済むが、あまりに多くの人間に知れ渡っては、リペアドールでも対応しきれない」

「するとどうなるの?」

「シンクロニシティ現象が起こる。世界は真白のような者の存在を『当然のもの』として認知する」

 シンクロニシティ現象。意味のある偶然の一致。名前くらいは聞いた事はあるが詳しくは知らない。

 この場合で言うなら、今まで起きていなかった奇怪な現象が、突然世界中で起こり出す、という事ではないのか?

「それって……」

「真白のような人間が世界中に溢れかえる」

 永遠湖は自分の耳がまだ人間である事を確かめるように触る。


「い、い、い、いいんじゃない。漫画みたいで……」

 と言いつつ服を着る永遠湖の手は震える。

 世界を揺るがす大惨事。もちろん自分のせいではないが、関係がないわけでもない。しかも止められたかもしれない時に、止める事を後回しにして何をしていたのか? と問われたら何と答えればいいのだろう。

 そういう考えを無理矢理頭の隅に押しやり、永遠湖は展示品の戸棚を空けて中からムラサメを取り出す。


「私も行くよ。真白ちゃんのいる場所は私しか知らないんだからね」

 永遠湖はさっそうと外へ出る。





「向こうの方にある、白い建物なんだけど……製薬会社だったかな」

 車で三十分くらいかかる……タクシーを呼ぼう、と通りへ向かう永遠湖の体を真黒は抱えて跳躍した。

 跳びながら足元の空間に刀を閃かせると、何もない所から突然バイクが飛び出した。

 真黒はバイクの後ろに立ち、小脇に抱えた永遠湖と共に夜の街へと飛び出す。


 フレームを固定してくっついているので、風や振り落とされる感覚はないのだが、永遠湖は思わず真黒にしがみ付いてしまう。


 大まかな位置しか教えなかったのに、真黒はどんどんと先へ進む。

 真黒が跳躍すると乗っていたバイクは消え、また空間から現れた車に相乗りする。そうやって乗り物と行く先を変えながら、目的の建物に近づいている。


「危ない!」

 目の前に迫った車がけたたましくクラクションを鳴らす。狭間から抜き出した乗り物の残滓は、今現在の信号とは別に動いているのだ。

 真黒は乗っていた車を粒子化して消すと、迫ってきた車を飛び越え、また別のバイクを出して便乗する。

 激しいスリップ音と車がぶつかる衝撃音を後ろに聞きながら永遠湖は「大丈夫かな」と聞いてみるが、真黒は「ただの交通事故だ」と答えただけだった。


 そうしてほどなくして研究所に辿り着く。

 下ろされた永遠湖はしばらく立てなかったが、急がなくては……とよろよろと歩き出す。


 裏口のカードリーダーにキーを通す。

「開かない!?」

 キーが反応しない? どういう事だ? 助け出す事を予想して先手を打たれたのか? あいつらは完全に自分を追い出すつもりらしい。

 ガン! とドアに拳をぶつけるが、真黒は刀を抜くとドアを横一文字に両断する。

 鍵と言うのはドアと壁が金具によって固定されて閉まっている。上下に分かれたドアの、鍵の付いていない方は何でもないように開いた。


 中は暗く誰もいない。

 それは不思議ではない。表向きは普通の施設。この時間は職員も帰ってしまっている。

 しかしドアが開かなかった事といい、この雰囲気に不審なものを感じずにはいられない。

 真黒が永遠湖の手を握った。

 怖いのか? それとも自分を気遣っているのか? かわいい所もある、と永遠湖がほくそ笑んでいると、火薬の弾ける音と共に目の前に小さな玉が現れる。

 潜んでいた立石の仲間の一人が手製銃を発砲し、その弾を粋断によって防いだのだ。

 周りを見回すとゾロゾロと隠れていた男達が出てきた。

 手にはボーガン、ライフル、棍棒と思い思いの武器を手にし、服装もバラバラだ。

 テロリストに襲わせた時に、『同じ物』を鍵に撃退したと聞いて永遠湖が入れ知恵した事だ。


 男達は各々の武器を発砲。それらはことごとく真黒達の手前で止まる。

 だが一人がネットガンを発射し、放射状に広がった網は真黒達を包み込む。フレームの位置で止まるとは言え、フレームごと網で覆ってしまえば同じ事だ。

 だが網は一瞬直方体を形作るものの、真黒達の体を通り抜けて、すとんと床に落ちた。


 永遠湖は手を繋ぎながら呆然としてしまうが、男達はめげずにスタンガンを取り出して取り囲む。

 各自のメーカーも型も違うスタンガンからは、バチバチと火花が散る。

 永遠湖は松明を向けられた動物のように真黒に身を寄せる。


 真黒は刀を抜き、演舞するように何もない所に刀を這わす。

 手を繋ぐ二人の周りに、同じ形をした物が現れる。

 自分達自身の直前の残滓を立体映像のように投影しているものだ。実体ではなく、視覚情報だけを再現したもの。真白に幸人の残滓を見せた技。

 分身する真黒達に男達は一瞬動揺したが、スタンガンを突き出して攻撃を開始する。

 ざりっ、とスタンガンを当てられた映像はノイズのように消えるが、真黒は次々と残滓を取り出し、辺りは真黒と永遠湖で満たされる。映像自体も動いているので男達は訳も分からず、何人かは同士討ちして倒れる。

 その混乱の中、真黒は包囲網を突破し、隣の部屋へ逃げ込んだ。


 永遠湖は真黒に引かれるままに部屋に入ったが、室内を見てぎょっとする。

 ロビーのように広いが、室内には熊、虎、鷹など猛獣が今にも襲いかからんと構えていた。

 剥製はくせいである事はすぐに分かったが、暗い事もあって永遠湖は身震いした。

「趣味悪っ!」

 男達が事態を収拾し、追ってくる気配がする。反対側からも人が来るようだ。

 弾丸をも止めるこの男が逃げるという事は、もしかしてスタンガンは苦手なのだろうか、と考えていると真黒は刀を抜いて地面の辺りに突き刺す。

「キィッ!」

 と小動物の声がしたと思うと、刀の切っ先にはネズミが串刺しになっていた。

 ひゃっ、と堪らず悲鳴を上げて逃げようとするが真黒は手を離さない。

 真黒はそのままネズミの刺さった切っ先を手を広げて直立する熊の剥製に突き刺した。

 ばりっ、と稲妻が走ったと思うと熊の剥製はゆっくりと倒れ、どすんと地面に手を付く。

 ただ倒れたのかと思っていた熊は、そのままのそりと四つん這いで歩き出した。

 手を口に当ててただ驚いている永遠湖に構わず真黒は次の剥製に移動。同様に『生き返らせる』。

 どかどかと入ってきた男達は一瞬闇の中に動く影に目を凝らしたが、その目は直ぐに大きく見開かれる。

 たちまち猛獣達は男達に襲いかかり、悲鳴がこだまし、阿鼻叫喚の地獄絵図となる。

 男達の持つ軽い武器は、猛獣をより凶暴にしただけだった。

 窓ガラスに血が飛び散り、千切れた手足が床に散乱する。

 その中を平然と歩く真黒に青ざめた永遠湖は手を引かれながら付いていった。



「あれは何?」

 エレベーターの中で、一応という感じで聞いてみる。

「狭間から取り出したネズミを剥製の前でイリーガル違法に殺した。イリーガルに殺されたネズミは世界に『死ななかった事』にされるが、その修正の方向を無理矢理捻じ曲げた。だから剥製の方が『生き返った』」

 事実を無理矢理捻じ曲げる。これも零軸ぜろじくの一種だが、自身が対象でないので比較的システムに与える影響は少ない。

「分かるような、分からないようなだけど……。あなたに人権はないとしても、私の罪は?」

「狭間から取り出したネズミを使ったから、本来ありえない惨劇だ。世界の機嫌次第で皆『死ななかった事』になる」


 エレベーターが開き、廊下に出て真白のいる部屋を開けるが、そこには誰もいなかった。

「あいつら……、真白を移したわね」

 待ち伏せがいる事から予想できた事だ。

 永遠湖ははっとして横に立つ真黒に聞く。

「ねぇ、真白の場所は分からないの?」

 さっきは真白のいる方向を当てたではないか。

「フレームを共用しているから、大体の方向は分かるが……特定するには時間がかかる。それよりここを調べた方が早い」

 真黒が刀を少し引くと部屋の真ん中に真白の像が現れる。


 檻は見えないが、入れられている時の姿だ。痛ましいが、永遠湖の渡したワンピースを着ているのを見て少し安心する。

 その真白像は地面から浮き上がり、ふわふわと移動を始める。移送されているのだろう。

 カートに乗せられたらしくスライドするように動く真白は、エレベーターに向かい、そのまま外へ出た。


 またさっきの方法で追うのか、と永遠湖は真黒に寄り添って立つ。

 しかし真黒はそっと距離を置いた。

「君は来ない方がいい」

「なんでよ? 私だって真白を助けたいの」

 あなたを助けたいの、という言葉を永遠湖は飲み込む。

「奴らも、狭間の力に対抗する手段を学んできている。ここから先は危険だ」

「それはあなたもでしょ? 真白も同じ。私も仲間じゃないの?」

「君は、狭間の住人になってはいけない」

 真黒はそっと永遠湖を抱きしめる。永遠湖の目からは涙が溢れた。

 真黒は拒絶しているのではない。むしろ永遠湖を気遣っている。永遠湖の事を大事に思えばこそだ。

 本当に真白を助けるだけなら、永遠湖を囮にでも何でも使って利用すればいい。永遠湖はそれでもいいと思っていた。

 永遠湖は真黒を抱き返す。

「私には……もう帰る所はないのよ。あなたが好きなの」

 幼い頃から特別な存在だという自覚を持ってきた永遠湖に、ありきたりの男と恋愛して結婚するなど想像も出来なかった。

 どんないい家柄であろうと、どんな英才教育を施されていようと所詮ただの男、人間に過ぎない。

 永遠湖の心は真黒の神秘性に捕らわれてしまっていた。

「離れたくない。辛いのよ、苦しいのよ」

 真黒を抱き締める手に力を込める。



 真黒は一瞬迷う。

 永遠湖から自分達との繋がりを奪ってしまえば先に進む事は出来る。

 しかしここまで感情を表に出した状態で繋がりを奪っても直ぐに修復、または辛い気持ちだけをずっと引きずっていく事になるかもしれない。

 長い間共に暮らした仲ならば遠い昔に死別、または始めからいなかった事に時間をかけて落ち着くかもしれないが、永遠湖に出会ったのはついこの前なのだ。

 強い想いは繋がりに勝る。今繋がりを奪えば先の戦いで真黒が死んだ事にするのが一番手っ取り早い世界の対応だろう。

 それは永遠湖の心に強い痛みを残す事になるし、なにより永遠湖との繋がりを失う事は真黒の中でも辛い事になりつつあった。

 だが迷っている時間はない。

 真黒は永遠湖から見えないように刀を抜いた。

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