世界の終わり

麹麻呂 孝之

世界の終わり

小学生の頃住んでいた町に、有名な痴呆のばあさんがいた。

 身寄りがなく施設暮らしで、口も悪ければ足グセも悪く、新人のヘルパーさんは必ず泣かせる、風呂の介助の際に蹴飛ばしてくるなど、それはそれは悪名高いばあさんだった。週に4日のペースで脱走しては町の無線放送で捜索を呼びかけられていたものだから、私の通っていた小学校では「脱走ババア」というなんとも安直な呼び名で呼ばれており、その名は当時人気のテレビ番組の次くらいによく話題に出た。


 子供達にとって奇妙で身近で愉快な話題の一つに過ぎなかった脱走ババアは、大人たちにとってはわりに深刻な悩みだったようで、その奇行について最初眉をひそめる程度だった反応は次第に激しいものになり、親の機微を感じ取りやすい子供達にもその心境の変化は伝染して、いつしか脱走ババアの話はタブーだという空気が学校全体に流れることとなった。


 脱走ババアが施設に入居して3年ほど、脱走ババアが脱走したという放送に誰も触れなくなって1年ほどがたったある日のこと、彼女に関する妙な噂がひっそりと流れ出した。


 脱走ババアが、予知能力に目覚めたというのだ。


 初めは誰も信じていなかったし、その予知とやらの内容も「明日は雨だ」といったお天気占いの域を出ないようなものであった。とはいえ、その内容が一月連続で当たりとなると話は違ってくる。噂はだんだんと大きく広まり、それと同時に脱走ババアの予知は詳細になっていった。

 季節が変わる頃には、天気のみならず、「明日何丁目の曲がり角で誰それが転ける」といったような、見でもしないと当てられない事象をピタリと言い当てるようになり、しかもその予知はどんなに頑張ろうと変えられないのだ。人々は彼女の予知に恐怖し、そして大きな関心を寄せるようになった。


 脱走ババアの予知能力は進化し続け、ついに施設の前の掲示板に毎日脱走ババアの予知が書かれるようになり、そしてそれを町のとある若者が当時まだあまり広まっていなかったインターネットに投稿し始めたらしかった。らしかった、というのは、私がそのことを知った要因が、直接的にサイトを見て、などでなく、予知のことを知ってやってきた町の外の人たちに『予言者Dというのはどこにいるのか?』と聞かれたことにあったからだ。

 小学生なんて親と先生ぐらいしか知っている大人がいないので、登校中に知らない、見かけたこともない大人に突然話しかけられて、その時の私と友人はたまらず逃げ出してしまった。似たようなことが、同じような理由でやってきた別の人物によって何度も起きたので、当時はあわや不審者大発生かと騒がれたのだった。



 そんなこんなで、脱走ババアは町のみならず全国規模で一躍有名人となった。


 予知のレベルもとどまるところを知らず進化し続け、またその正確さは、現地まで来て確かめた証人のこともあってインターネット上でも皆が認めるところとなった。彼女は、インターネットでは「脱走ババア」などという名前ではなく「予言者D」と呼ばれ、崇拝するような人までいたようだ。そんな折に、脱走ババアがあのとんでもない予知をしたのだ。


 「一週間後、一週間後に世界が終わる!!」


 その予知は、相当な大混乱を生んだ。

 なんせ脱走ババアの予知はノストラダムスなんて目じゃない、百発百中なのだ。急遽テレビで特番が組まれることになり、その日の六日後、つまり世界が終わる前日から、脱走ババアにカメラがついて回ることとなった。特番のタイトルは、『予言者Dの大予言 世界滅亡!!!』である。町は興奮と恐れがないまぜになり、異常な雰囲気を帯びていた。


 日が経つにつれ、大人たちは体裁上落ち着きを取り戻していった。それと反対に子供たちの間では恐怖が深まり、中にはパニックになる者も出てきていた。

 ポツリポツリと小学校を休む生徒が増え、世界が終わる前前日、既に出席している生徒は半分ほどになっていた。それでも休校にならなかったのは、予知などで予定を変えるわけにはいかないという公機関の意地だったのだろうか。


 ついに世界が終わる日の前日、朝リビングに降りると早速テレビでは『預言者Dの大予言 世界滅亡!!!』が始まっていた。久々に見た脱走ババアの姿は、過去に遠目で見た意地の悪そうな、痴呆症の割には生気溢れた姿と違い、痩せこけていて、とても弱々しく見えた。

 丁度始まったばかりのようで、脱走ババアがインタビュアーからの質問に答えているところだった。インタビュアーの、「本当に世界は終わるのでしょうか」という質問に対して、脱走ババアが、「確かに視たんだ。一面真っ暗で、何にもないけど、でも無ではない。あれが世界の終わりでなかったら、何が世界の終わりだというんだろう。」と答えていて、それが妙に印象に残った。



 ついに世界が終わるかもしれない日がやってきた。


 なんとなく、学校は休まなかった。しかし各クラス三人ほどしか登校していない上に、来ていない先生すらいて、結局午後は休校になった。

 街を歩く人もいつもに比べ格段に少なく、またいつもなら出ることのない時間に学校を出たので、非日常感がやけに強かった。どんなに見掛けを取り繕っても、皆んなどこか今日世界が終わるのだと信じていたし、私もそうだった。

 家について落ち着かない様子の母を見て、やっと実感が湧いてきて、とても恐ろしくなった。テレビでは、やけになって貯金をほとんど全部使ってしまった人の話や、予知に絶望して自殺してしまった人の話をしていて、どんどん不安になってきたのでコンセントを抜いた。

 その日は、母と一緒に寝た。


 次の日はやってきた。世界は終わらなかったのだ。

 テレビのコンセントを挿すと、あの特番の続きが映し出された。


 脱走ババアが、死んだらしい。老衰だったそうだ。


 特番では他にも何やら世間の混乱とか脱走ババアの過去の施設での暴挙とかについて話をしていたが、ほとんど耳に入ってこなかった。私は、一昨日脱走ババアが言っていた、「一面真っ暗で、何にもないけど、でも無ではない。」という言葉を思い出していた。



 時折、『死』について、死んだ後の人間がどうなるのかについて考えることがある。その度に私は、脱走ババアの言った、一面真っ暗で、何にもないけど、でも無ではない。そんな様子を思い浮かべてしまうのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界の終わり 麹麻呂 孝之 @mh_h

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ