青春爆弾

笛吹 斗

青春爆弾

 窓際にひとつまみで吊られた下着。めくれ上がったベッドのシーツ。ゴミ箱に入り損ねたティッシュ。それと、折り目のついた成人誌。

 先輩の部屋は良い意味では生活感に溢れていて、悪い意味ではガサツだ。年頃の乙女を招き入れるには最低の場所だろうが、先輩の程度が知れたことで余計な気を使わずに済む点では優れているかもしれない。現にシャワーを浴び終えた私は他所様のバスタオルをしっかり使い倒した上に、遠慮無く床に座り込んでくつろいでいた。

 しかし、たった一つだけ、この部屋で異彩を放つ存在を確認していた。

 ダンボール箱だ。ちょうど田舎の祖父母から毎年届く蜜柑の箱くらいの大きさの。異様にも黒一色で、それ自体が直方体ということもあってか、箱の置かれた部屋の片隅だけが妙に緊張しているのだ。

「さぁ晩餐だ。……どうかしたか?」

「いえ、別に……」

 先輩は台所からお湯を注いだカップ麺を二つ持ってくると、「あと二分だ」と言って片方を私に渡した。

「……先輩は料理とかしないんですか?」

「しないね。残念ながら」

 二夜続けての同じメニューに苦言を呈したつもりだったのだが、先輩は気に留めることもなくベッドの上に座ると、三分経たないカップ麺を早速啜り始めた。

「後輩君は帰らなくてもいいの?」

美波みなみです。美波チトセ。後輩君はやめて下さい」

 すっとぼけた顔をして手に持った割り箸で私を指すので、少し腹が立った。私はフンと鼻息を吐くと、二分経ったのを確認にしてから蓋を開けて麺を頬張った。悔しいが、これに勝る食べ物は無い。旅行というか、放浪というか、そうだ、これはなんと罪深い〝家出少女の味〟だった。

 私は家出をしたのだ。

 きっかけは夏休み期間中の三者面談だった。私は進路や生活態度のことで担任と随分揉めたのだ。自宅に帰ると今度は両親とも喧嘩になり、私はとうとう家を飛び出した。

 知り合いにでも見つかるか、公園で寝ているところを補導されるかすればいい。少し心配をかけさえすればいいのだ。そうすれば親心の一つでも取り戻すだろう。そんな軽い気待ちからだった。しかし、やってみると思いのほか見つからないもので、気がつくともう三日が経っていた。

 探しにもこないのか。

 悲しみを通り越してもはや怒りだった。

 何も両親に限ったことではない。同級生、教師、先輩、顧問、予備校。私は色々な理由をつけては各所で反抗を繰り返していたのだ。だから自分から帰るのは負けた気がして、私は意地でも後悔の二文字を握り潰していた。

 お金を持ち出さなかったのは誤算だった。ネットカフェもコンビニも頼れず、私は公園の水道水で腹を満たした。さらに不幸なことには、その日の晩は酷い雨が降った。夜になるにつれて身体は冷え、せめて雨風をしのごうと高架下で浮浪者に肩を並べてうずくまった。

 そこに声をかけてきたのが先輩だった。

 聞くに先輩は同じ高校の三年生で、私が制服を着ていたので声をかけたのだそうだ。すぐ近くだと言うので、私は一人暮らしの先輩の家に招かれた。

 年頃の女の子が男の家に上がることのリスクは分かっていた。でも、私は目的でも一向に構わないと思った。一種の自傷行為ではないが、私は無性に自分の身体を粗末にしたい気分だったのだ。

 しかしこの男、一晩経っても一向に手を出してくる気配がない。

 そもそも変わり者なのだ。迷子の子猫を口説くにしたって、まさか〝君は臭うから風呂に入った方がいい〟なんて無粋なことを言われるとは思わなかった。目の前で、「やっぱりシーフードだよな」などと言いながらカップ麺をズルズルやっている、仮にも年上の男に、私はもうすっかり幻滅していた。馬鹿なことを言わないで欲しい。醤油が一番なのだ。

「自分で引き入れたくせに……」

「何か言ったか?」

「い・い・え!」

「……そうか」

「あの、ところで先輩、あの黒い箱はなんなんですか?」

 私は諦めた口調で直近の話題を振った。

「……あぁ、これはだね、知りたい?」

 先輩は何かもったいぶるように箸を置いた。

「爆弾だよ」

「……はい?」

「これはさ」

 耳を疑った。無神経な上に冗談までつまらないときては救いようがない。私は本当に爆弾に触れてしまったらしい。こういう頭の薄い冗談には徹底的に掘り下げるのが一番効くだろう。

「買ったんですか? 作ったんですか?」

「作ったんだ」

 驚いた、まだ言うか。

「嘘ですね」

「そうとも限らない。機械いじりは得意でね。僕が学校のコピー機だとかサーバだとかを分解して回ったのは有名な話だろう」

 そういえばそんな噂を聞いたことがある。一時退学騒動になり、分解したものを全て元通りにすることで何とか免れたとか。一部の生徒はバラバラ事件なんて物騒な呼び方をしていた。件の生徒がこの先輩なら色々なことに合点がいく。どうやら私は相当厄介なのに絡まれたようだった。

「どうしてそんなことしたんですか?」

「君と同じさ。反抗だよ、僕なりのね」

 君と同じ、という部分に猛烈な引っかかりを覚えて、私はこれと同類なのかと頭を抱えてしまった。

「時に美波君、君は全てを破壊したいと思ったことは?」

「ないですよ……そんなこと……」

 嘘だ。私は今私を支配している感情がほとんど破壊衝動であることを理解していたし、納得もしていた。この年頃にはよくあることだ。全て壊れて、いや、壊してしまえばいい。そういう抽象的で無責任な願い事は。

「いいんだ。僕だってそうなんだ。よく分からないけど、もし本当にこの世界がぶっ壊れるんなら、僕は是非ともその様を見たいんだ」

 先輩は立ち上がると、箱をひょいと持ち上げた。

「だから、これを作った」

 爆弾ならそんなに乱暴に扱っていいものか。しかし、私には既にその黒く四角い塊がとても魅力的なものに思えていた。

「……私も壊したい。世界を。全部」

「そうこなくっちゃ」

 先輩のおとぼけ顔が急に無邪気に笑うものだから、私は期待と興奮を覚えずにはいられなかった。

「そうと決まれば明日これを仕掛けよう。だから今日はもう寝よう」

 そう言って掛け布団を広げる先輩に私は待ったをかける。

「あの、今夜は、私もベッドで寝たいんですけど……」

「あぁ……気が利かなくて悪かった。昔からよく言われるんだ」

 その言葉に期待したのも束の間、どうぞと言わんばかりにご丁寧にベッドを譲って、タオルケットを羽織って床で寝始めたのには呆れて物も言えなかった。その後私がふて寝してぐっすりだったのは言うまでもない。数日ぶりのベッドは非常に寝心地がよかった。

 翌日私は箱を抱えて、免許は取り立てだと言う先輩のカブの後ろに乗り込んだ。道交法が頭をよぎったが、これから爆弾を仕掛けようという人間がニケツがどうのなど気にすることではないなと追いやった。膝に乗せてみると箱はずっしりと重く、肌に感じる確かな重みに心地よいもどかしさを覚えた。

 ひょろっとした印象だったのだが、先輩の肩に掴まると思いのほかしっかりした体つきで、手のひらから伝わる体温がなんだかくすぐったかった。分相応に大きい背中を、私はジッと眺めていた。

 色々考えた結果、仕掛ける場所は学校の教室にすることにした。諸悪の根源はきっとあそこだ。きっとあの閉塞感がいけないのだ。ならいっそ壁から何から跡形もなく取り払ってしまおうという訳だ。

 夏休み中の学校は静かなもので、今日は珍しく活動している部活も無いようだった。

 教室に向かっていて、ふと気づいた。

「先輩は壊れた世界を見たいって言ってましたけど、これが世界を壊す程の爆弾なら私達も巻き込まれちゃうんじゃないですか?」

「……君、頭いいね。そうか……それは想定外だった……」

 馬鹿なのか、そうじゃないのか、よく分からない人だ。

「まぁいいんじゃないですか、別に」

 先輩は黙り込むと、階段の一段上からしばらく私の顔を凝視した。

「そうだね。確かに君はそういう顔をしてるほうがいい」

 私は慌てて自分の顔に手を当てて確かめた。もしかして頰が緩んでいただろうか。無神経を散々ひけらかしたクセに、今更何を言うのだ。私は睨みをきかせながら、さっさと進めとばかりに力強く先輩の背中を叩いた。が、効果は無いようだった。きっとこの難物は叩いて治る代物ではないのだろう。

 空調は効いていなかったので、教室内には酷い熱気がこもっていた。しばしの辛抱だ。やがてここは風通しの良い更地になるのだ。

「スイッチとか無いんですか?」

「大丈夫。時が来ればちゃんと上手くいく」

 先輩は変にお茶を濁したけれど、私は特に心配はしなかった。大丈夫、教室の真ん中に置かれたあの願いの箱は間違いなく爆弾なのだ。私達がそう信じる限り、それは世界を壊す爆弾であり得るのだ。

 それから私達は某国の有能な工作員のように、周到に用意された乗り物で目標物を後にした。気分はさながらダニエル・クレイグかトム・クルーズだ。頭の中ではアップテンポな打楽器が景気良く踊っていた。そしてやっぱり、私の頬は緩んでいた。

 あの息苦しい学舎を爆心地に、この胡散臭い街はみんな消し飛ぶんだ。そう思うと、横を流れていく強大な文明都市が急に脆く儚く愛おしいもののように思えてきた。カブの荷台で襟足に感じる夏の風は爽快だった。

 先輩の目にもこの景色は同じように映っているのだろうか。

「これからどこに行きたい! 海か! 山か! それとも地獄の果てか!」

 そう叫んだ先輩の声は、心なしかやや興奮ぎみに弾んでいた。その地獄の果てというのはイマイチよく分からないが、いかにもクサくて吹き出してしまった。どこへ行きたい、か。しかし、もう行き先は決まっているのだ。

「私! 帰ります!」

「……そうか! そうだな! それがいい!」

 私がそう決心したのはきっと先輩のおかげだから、私はとりあえず感謝と仕返しの意味を込めて、肩に掴まった腕を離し、先輩を後ろから抱きしめてやることにした。

「よせ! 何だ! どうした急に!」

「何でもないですよー!」

 驚いた先輩がよろめいたせいで荷台から振り落とされそうになったけれど、先輩の耳がしっかり赤くなっているのを確認して私はとても満足した。

 それから、夏休みの明けた学校の教室では箱一杯に詰まった夏蜜柑が発見され、ちょっとしたパニックとなった。先輩にはまんまとしてやられたようだった。甘酸っぱい香りが教室一杯に広がると、この中二病ももうすぐ終わる、そんな予感がして、私はちょっとだけ寂しくなるのだった。

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