3-5.選んだ先

『らーんちゃん! グンナイ☆』

『グンナイ……蘭ちゃん』

『あはっ、やっとアタシの名前覚えてくれた☆』

 やっと覚えられたよ、君のこと。

 君は私で、私は君。

 姉妹で、親友で、ニコイチで、運命共同体。

 だから、何も怖くない。何も隠すことはない。

 ここなら、何もいなくなることはない。

『よかった~、さっきいきなりいなくなっちゃったから心配したんだよ!?』

『ごめんね、もう大丈夫だから』

『……ホントに?』

 不安そうな顔しないで、この通り私は元気だよ。

 今なら蘭ちゃんと同じ笑顔が作れるよ。

『ねえねえ、蘭ちゃんは大人になったらどんなことやりたいの!?』

『あのねっ……アイドルとして、キラキラしてかわいいドレスを着たいの!』

 ガラリ、と周りが反転される。体育館の舞台くらい大きなモニターにLEDのカラフルな照明が辺りを照らす。床にもモニターがついてるのかピカピカ光ってて、立ってるだけでも気分が高まる。

 ここ、ライブのステージだ! しかも球場くらいの広さ。中央には花道もあって、客席中央にもステージがある。

 ……でも、観客は一人もおらず、ステージにぽつんと、私たちだけしかいない。

 モニターには私が映ってて、スポットライトに一点に当てられて、すごく注目を促すような演出なのに……

 なんで、なりたいアイドルになったのに、こんなにゾワッとするんだろう。

 なにもないのに、食べられちゃうような気持ちになるんだろう。

 こんなに広いステージで歌うんだ、アイドルって……

 叶くんもこういう経験、あるのかな? 一応『Citrush』が大きな会場でのとあるアイドルグループのライブのオープニングアクトをやった、とは聞いたことあるけど……

 もし、たくさんのお客さんが目の前にいたら……うぅっ、想像するだけでお腹がきゅっとなる。

 お客さんがいてもいなくても、すごく心臓が痛くなるのはなんでだろう。

 ……あっ、とてもよく知ってる曲が流れた。

 大好きな女性アイドルの曲。きくたびに泣きたい気持ちがなくなる、ずっと心にしまいたい曲。

 観客はいないけど……きっと歌えば気持ちが紛れるはず。つらい気持ちも、歌うといつの間にか忘れてるんだ。

 男性アイドルの曲をきくのも好き。でも、女性アイドルの曲を、自分の思い通りに歌うほうがもっと楽しい!

 歌声が、女の子のように聞こえる。あれっ、私、こんな声出せたっけ?

 ダンスも今まで踊ろうとは思わなかったから踊れないはずなのに、なぜか手と足が覚えてるようにスラスラと振り付けを踊ってる。

 観客席が、青や水色にぴかぴかと光ってる。さっきまでなかったサイリウムの光が、海原のように広がってる。

 飲み込まれそう、この海に。でも……この胸の高鳴りは、恐怖なんてものじゃない。

 衣装も、さっきまでナイトドレスのような服を着てたのに今はアイドルが着るような、パニエの広がったドレスになってる。スカートが虹色に輝いててかわいいっ!

 流れ星を模したマイクを片手に、思うがままに歌って踊る。ファンの顔が見えるような気がする。

 みんな、笑顔にあふれてる……!

 蘭ちゃん、アイドルって素敵だね! みんな、こんなに楽しんで……


 ……いけない。ステージに集中しなきゃ。蘭ちゃんだって私を見てるんだから。

 胸元の濃いピンクのペンダントを、確かめるようにぎゅっと握る。

 『みんな』が待ってる、『みんな』私を楽しみにしてるんだから。

 『みんな』のために、私は歌うんだから――


***



「……ここ、は……」

「川中くん!? 先生、川中くんが!」

「川中! よかった、目を覚ましたぞ!

 上野、お医者さんを呼んでくるから川中を頼む!」

「はい!

 川中くん、私のこと分かる?」

 白い天井に、薬品の匂い。カーテンは白くて……セーラー服を着た女の子が、目の前にいる。

 ここって……病院? なんでこんなトコに?

 夢の世界でこんな光景、ありえないはず。だってかわいいものが何もない。

 右腕に違和感がする。ああ、ひじの裏に注射が刺さってて、大きな絆創膏で固定されてるんだ。注射とつながってる管をたどって見ると、液体の入った袋まで伸びてる。……なにこれ? 点滴?

 しかも、自分の声ってこんなに低く出てたっけ?

「川中くん?」

「……くんって、『アタシ』のこと?」

「えっ? ……あたし?」

 ぺた、と自分の胸をさわってみる。

 ……うわ、ホントだ。

 使ってるベッドの壁際に書いてある名前。

 『川中蘭太』……

 ……『蘭ちゃん』、本当に男の子だったんだ。

「川中くん、本当に大丈夫なの?」

 体はまだ重たさを感じるけど多分動いても大丈夫かな。

 よっこいしょ、と体を起こしてみる。ぐううう、とお腹から音が鳴った。

「お腹、空いた……」

「そりゃ5日も寝てたらね……」

「5日!?」

 アタシ、日付の感覚とか分からないけど5日ってつまり百時間以上だよね!?

 そんなに長く夢を堪能してたの、アタシたち!?

 それに、ふつう蘭ちゃんの起きる時間になったら自動的に蘭ちゃんがいなくなって、現実の世界に戻るはずだけど……

 だってこの体は元々、『本当の』蘭ちゃんのもの! あの蘭ちゃんがこの体に戻って目を覚まさないなんてありえないはず!

 代わりにアタシが入っていいものなの!? だってアタシは……

 アタシは、蘭ちゃんの強い思いから生まれた、もう一つの『蘭ちゃん』だよ……? 蘭ちゃんではあるけど、蘭ちゃんじゃないんだよ!?

 きっと目の前にいる子は……蘭ちゃんの友達、かな。どうしよう、蘭ちゃんの記憶は勝手に見ないようにしてるから知らないよ~!

 とりあえず平気なフリして上手く切り抜けないと……心配かけちゃ悪いもんね!

 大丈夫じゃないけど、大丈夫って言わないと!

「そうだよ、先生からはお家で倒れたって言ってて……

 毎日川中くんの様子見に行ったんだよ、ずっと眠ってて……本当に心配だったんだよっ……」

 上野ちゃん、って言ってたっけ。

 手と声、震えてる。本気で心配してくれたんだ。

 いい友達持ってるじゃん、蘭ちゃん。

「いま先生がお医者さん呼んでるから、ご飯食べられるかどうかはあとで聞いてみよう?」

「……うん、そうだね」

 おかしいっ、蘭ちゃんが夢から覚めないなんて。いくら呼び戻そうとしても蘭ちゃんが反応してくれない!

 こんなことがありえる? まるで蘭ちゃんが、ずっと夢の世界にいたいって強く思ってるみたい……

 ……蘭ちゃん、現実の世界で何かあったの?


 結局どうすることもできないまま二人が帰った。

 担任の先生を自称するジャージを着たおじさんは「これからつらいことがたくさんあるかもしれないが、がんばるんだぞ」なんて無責任なことを言って帰り、上野ちゃんは「また学校で会おうねっ」と優しく手を握って、バイバイと小さく手を振って病室を後にした。

 やっぱりかわいい子って見てて心がウキウキする! おじさんはチョーヤダ。かわいくないもん。

 そんでもって、チョーヒマなのもチョーヤダッ! 寝てるだけじゃつまんないよーっ!

 勉強するようにって先生がなんか分厚い本とか持ってきたけど……うへえ、小さい文字ばっかりで寝ちゃいそうっ!

 アタシ、勉強なんてサッパリだよーっ!

 もうーっヒマヒマヒマーッ! こーゆう時蘭ちゃんはどうしたの!?

 蘭ちゃんがいないとアタシだってつまんない子になっちゃうよーっ!

「失礼します、川中さん。お見舞いの方がいらっしゃいましたよ」

「はいっ!?」

 ガララ、と病室のドアが開き、まつ毛が長い看護師さんがアタシに声をかける。

 いっけない、一応病人だから暴れちゃダメだ!

 看護師さんの前では大人しくしてよう。面倒なことになったら蘭ちゃんに申し訳ないもん。

 誰が来るんだろ、蘭ちゃんの知り合いといったら上野ちゃんの他にいるの……?

「蘭太さん、こんにちは」

 来たのは、メガネをかけた優しい笑顔が似合う声の低いおじさん。……あっ、もしかして蘭ちゃんがいつも話してる『神主さん』?

 神社の人だからいつも袴とか着てると思ってたけど、普通の格好で一瞬分からなかったよ。でも蘭ちゃんが一番信頼してる人ってきっとこういう人だって直感する。あはっ、ホントに優しそうな人だ。奥さんもいるんだよね。

「神主さんっ! 来てくれたんですね」

「あら、思ったより元気そうで何よりです。私も知子さんもどうなるのかと不安でたまりませんでした、本当によかった……」

「心配かけてごめんなさい。『アタシ』はこの通り平気ですから」

 一瞬、神主さんがなにか違和感を覚えたように顔をくもらせた。

 あれっ、アタシ変なこと言った……?

 蘭ちゃんのフリできてないと面倒なことになっちゃうんだ、よしっ!

「家にはいつ帰れるんですか? 今からでも学校に行きたい気分ですよ」

「……それは……」

 どうしたの神主さんっ、いつもそんな顔するような人じゃなくないですか? 蘭ちゃんはいつも神主さんのこと、いつでも笑顔にあふれた素敵な人って言ってるんですよ?

 まるで言うのをためらうように口をもごもごさせ、目を泳がせている。

 神主さん? と声をかけると同時に、ガララ、とまたドアが開いた。

善哉よしやさん、言って悪いことと言わなきゃ悪いことがあるんですよ。

 ハッキリ言わなきゃ、この子のためにもならないわ」

「知子さん……」

 神主さん、善哉さんっていうんだ。

 神主さんの奥さんこと知子さんが遅れて入ってきた。彼女もまた、迷ったような顔をしている。

 どうしたの、いつも蘭ちゃんを励ましてくれる人がそんな顔しちゃって。こっちまで不安になっちゃうよ。

「……蘭太さん、心して聞いてください」

「は、はい」

「あなたは……私たちが引き取ることになりました」

「……え?」


 二人はここに来る前、留置所に行って蘭ちゃんのママと面会をしたらしい。

 そんな神主さんが話すにはこうだ。

 蘭ちゃんのパパは離婚した時にパパじゃなくなった。そして……ママも、警察に捕まった瞬間にママじゃなくなった。というか、ママから「ママになるのやーめた」と投げ出したんだって。

 じゃあ蘭ちゃんはどうなるの? 誰が蘭ちゃんのパパとママになるの? って話になって……それが、神主さん夫婦になったって。

 ……蘭ちゃんのママ、ホントに蘭ちゃんのことキライだったのかな。二人の話を聞くからに、蘭ちゃんがイヤでママをやめたそうだったし。

 なんか、あんまり実感がわかない。アタシが今まで蘭ちゃんの意識の中だけにしかいなかったから、他人事のように思ってるのかも。

 そうだよ、だっていつも蘭ちゃんのお話を聞いてばかりだったもん。今更自分のことのように思えない……

 ……どうして蘭ちゃんばっかり、こんなひどい目に遭うの? 蘭ちゃんがなにをしたっていうの?

「どうして……」

「蘭太さんはなにも悪くありません、ただ……」

 そりゃこんな世界にいたくないよね、蘭ちゃん……

 ……蘭ちゃん。しばらく、向こうにいていいよ。怖いものなんて一つもない、理想の世界に。

 蘭ちゃんはあまりにも傷つきすぎた。こんなのあんまりだもん。

 現実ここはアタシに任せてよ。なんとか蘭ちゃんのフリして生き抜くからさ……

 アタシもイヤだって泣きそうになるかもしれない。逃げる場所がなくて本当に一人だと嘆くかもしれない。でもこんなの、蘭ちゃんが今まで受けた痛みに比べればまだ『かわいい』ものじゃん?

 アタシだって『かわいい』ものが大好きだから、それを糧に……アタシが、『蘭ちゃん』として過ごすね。


***


 退院して帰った家は、神社の境内にある一軒の二階建ての家。神主さん夫婦が住んでるという、年季の入った木造のお家だ。

 玄関ドア開けづらっ……内側になんか挟まってんの!?

「おや、引き戸の開け方忘れちゃいました? こうして上にあげながらスライドするんですよ」

 知らないよ~っ! そんなの聞いたことないもんっ!


「蘭太さん、今日ピラフ作るんだけれどよかったら作り方教えましょうか?」

「わあっ、教えてくださーいっ!」

 知子さん指導で作り方を教わるけど……あれっ、上手く鍋が振れないっ……

 んぎーっ、中華鍋、重いぃぃ!

 わーんっ、お米や具がボロボロこぼれちゃうーっ!

「ごめんなさい、失敗しちゃって……」

「大丈夫よ、これくらい。蘭太さんにはちょっと難しかったのかもね」

 そんなことない……蘭ちゃん、お料理得意なほうだもん。

 逆にアタシは不器用なんだよ、なぜか……


「おや、蘭太さん……右手でお箸持てたんでしたっけ?」

「えっと……き、今日は右手でお箸を持ちたい気分かなーって」

 しまった、蘭ちゃん左利きなんだった! アタシは右手じゃないと上手く使えないんだよ~っ!


 はあ、はあ、つかれた……蘭ちゃんから生まれたのに、全然蘭ちゃんに似せられない……

 蘭ちゃんが自分とは違う性格のアタシをほしがった理由、か……アタシにはなんとなくわかる。蘭ちゃんは自分にはないものを持っている子がうらやましいんだ。そして、自分の刺激になることもわかってる。

 蘭ちゃんが現実の友達と遊んだことは、ほとんど全て楽しかったと話してた。人を仲間外れにすることは決して許さなかった。友達みんな大好きだったし、自分も仲間外れにされたくなかったから。

 でもいつかの時に友達に裏切られて……そこで求めたのが、『ありのままの自分を受け入れてくれる友達』だったんだ。神主さん夫婦じゃ友達にはなれないと思ったのかな。そりゃそっか、歳の近い子じゃないと話せないこととかあるもん。

 恋バナ……蘭ちゃんは恋したことないから、されたら嬉しいシチュとか、やりたいオシャレのこととかを教えてくれて、その時の蘭ちゃんは百パー女の子にしか見えなかった。でも、現実の蘭ちゃんは本当の自分を隠すのに必死で、うっかりボロを出さないように大人しいフリをしてて……

 神主さんからいただいた部屋も、居間のように床に畳が敷かれてて、部屋の真ん中を踏むとギシギシ音が鳴ってわずかに凹んでる。壁は後から壁紙を貼ったように新しく見える。押し入れの扉の張り紙は色あせててこの家の築年数を語っているようだ。

 押し入れに自分の荷物を入れていい、とのことなのでいざ開けてみる。こちらは玄関の引き戸と比べてスルスルとスムーズに開いた。

 段ボールが一つだけ奥にしまわれてる。しばらく日陰に置かれてほこりかぶった箱には、引っ越し屋さんのロゴが大きく書かれてる。

 ……勝手に見るのはマズいよね。

 けどどうしても好奇心がアタシに囁いてくる。

 神社だからお祈りとかするのに必要な道具とか入ってるのかな……大ぬさとか? あの棒にたくさんの紙がついてて、わしゃわしゃ振るやつ。

 ……見たらすぐにしまおう、うん。バレませんように、バレませんように……

 フタには『衣類』とマジックペンで卵くらいの大きさで縦に書かれている。この家の築年数を考えるからに、神主さんが元々ここに住んでて、結婚を機に知子さんがここに引っ越して一緒に住んだ……って考えたほうが妥当かな。二人とも30代後半くらいに見えるし、居間には神主さんのご両親らしき遺影があった。

 さて、中身を拝見……おーぷん!

 大ぬさ……じゃない。トラのぬいぐるみ? こっちはウサギのぬいぐるみ、鳥、ネコ……動物のぬいぐるみでいっぱいだ。同じ布でできたものでも、衣類らしきものは一つも入ってない。

 さらに探ってみると、でんでん太鼓、ガラガラ、よだれかけ、おしゃぶり……みんなピンクでかわいい!

 って、これみんな赤ちゃんに使うものだ! どれも使われてないみたいに真新しい。

 それに、あかちゃん向けの絵本に、DVD……なんで、こんなものが……

 もしかして知子さん、もうすぐ赤ちゃんが生まれるとか? お腹はふくらんでないから、生まれるのはもっと先なのかな。

 赤ちゃんかぁ……! きっともちもちでかわいいんだろうなぁ。

 えへへ、ほっぺがゆるんじゃう。でもこれは見なかったことにしよう、勝手に見ちゃってごめんなさい。

 明日からどうしよう。一応学校に行くとは言ったけど、さっきまでがアレじゃうまく蘭ちゃんを演じられる気がしないよ……

 蘭ちゃーん……まだライブやってるのー……?


 ……夢の世界に入れたのに、いくら蘭ちゃんの名前を呼んでも、歓声でかき消されちゃう。

 蘭ちゃんに会いたいのに、どうして同じ存在なのに手も声も届かないの……?

 どうして気付いてくれないの……?


「……おはようございます」

「おはようございます。まだ眠たそうですね、昨日はよく眠れましたか?」

「え、ええもちろん、そりゃもうぐっすりと……」

 うそ。夢の中でめいっぱい叫んで、壁をたたいたせいですごく疲れが残ってる。実際には使ってないはずの腕の筋肉と喉が痛いっ……


「いただきます!」

 なんとか左手でお箸を使い、朝食を食べる。えーと、右手だとあんな感じに使ってたから、左手だと、こうするはず……うわーんっ、左手使うのムズかしいーっ!

 でも穀物を中心とした献立って健康的! 美容にイイもの食べてキレイになりたいよねっ!

「美味しいかしら?」

「はいっ、とっても!」

「よかったわ、お口に合うみたいで。朝食を出すのは初めてだから」

 ふうん、蘭ちゃん朝食はどうしてるんだろう。蘭ちゃんのことだからちゃんと作って食べてるとは思うけど。

 朝のニュースを見てると、『Citrush』の三人が沖縄の人気スイーツ店でレポートをするコーナーが始まった。この背の高い阿好くん、チャラそうな見た目してても意外と抹茶味が好きなんだ……あずき、って小豆から来てるのかも、なんちゃって。

『このトロピカルフルーツのタルトの酸味と甘味の調和……まさに、先日近所で縄張り争いをしていたネコさんたちが不可侵条約を結び平和的解決を迎えたような幸せを感じます……』

『叶、それじゃわかんねって!』

『叶のセンスは相変わらず独特だね! あははっ』

 そういや蘭ちゃん、前に言ってたような気がする……『Citrush』のメンバーが同じ中学で、その子を推してるって。この三人の誰かってことだよね? リーダーの万純くんかな? 一番アイドルって雰囲気してるし、蘭ちゃんのタイプっぽそう。それとも阿好くんとか? でも高校生っぽいしなぁ……

 叶くん? 同じ中学にいたら……違う意味で目立ってそう。フシギな子だなぁ、メンバーに笑われるほどものの例えがわかりづらいし、『かっこいい』ってより『かわいい』って言葉が似合うような顔立ちだし。

「蘭太さん、もうそろそろ学校に行かないと遅刻しちゃうんじゃないんですか?」

「いっけない! じゃあ行ってきますっ!」

 うーんっ、制服が学ランなの気に入らないなぁ……! アタシもセーラー服着たいよっ! かわいいハイソ履きたいよーっ!

 なんてワガママ言ってられない……蘭ちゃんだってガマンして週5で着てるんだからっ!

「いってきまーすっ!」


 ぎゃーっ! 玄関ドアが開かないっ! えっと、上にあげながら開けるんだよねっ! わーんっ、タイムロスッ!

 授業っていつ始まるんだっけ!? とりあえず遅刻したら「ごめんなさい」だよね!?

 あれっ、そういえばアタシ……

 学校の場所、知らないんだったーっ!

 ピンチ、超ピンチ! どーなるアタシ!?

 近くにおなじ学校の制服の子は……いない……

 そーだっ、スマホ! 一応持ってるんだった。学校の名前を検索すれば……ビンゴ! 道のりまで示してくれた! それじゃさっそく!

「にゃーん」

「あっネコちゃんだ!」

 オレンジっぽい茶色の毛に縞模様が入ったネコちゃんが塀の上で小さく鳴いた。かわいい~、肉球がピンクだ!

「にゃーん!」

 きっと「おはよう!」ってあいさつしたかもだからアタシも同じ意味を込めてネコ語であいさつした。ネコちゃんは後ろ足で毛づくろいをして、のん気にあくびをする。いいなあネコちゃんは、一日中のんびりできて。

 ふふっ、かわいいから一枚写真撮ろう。せっかくスマホ持ってるんだから写真の一枚くらい撮らなきゃ。

「おはようございます、ヒラカズさん。今日もいいお天気ですね」

 後ろから誰かの声が聞こえた。思わず振り返るとその人の目線は塀の上のネコちゃんに向けて言ったようだった。

 同じ制服だから中学も同じか……あれ? この人、どこかで見たことあるような……

「ヒラカズさん? って、このネコちゃんのこと?」

「はい、この辺りのネコちゃんはみんな自分のことを人間の名前のように名乗るんですよ」

「えーっかわいくなーい! ネコちゃんなんだからタマとかミケとかにしたらいいのに!」

「名前とは、願いを込められて与えられるもの……ヒラカズさんは平和主義者で、縄張り争いの時には敵対勢力に対して非暴力不服従を徹底し、ついに不可侵条約を結ばせたのです」

「意外と英雄なんだ!?

 って、そのエピソードどっかで聞いた……」

「それよりも、急いだほうがいいですね……もうすぐで授業が始まってしまいます」

「そーだったっ! 遅刻遅刻っ!」

 なるべくボロが出ないように目立たずに生活しなきゃなんだっ、ここで遅刻なんてしたら目立っちゃうよーっ!


「……あの人……ただ者ではない気配がしますね……

 まるで本番直前に音響トラブルでマイクがつかなくなった時のような……悪い予感がします」

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