はじめての外出 1

 全ては他人事。

 魔王の卵を前にしても実感はなく、聖女が見つかるとも思えず、国が滅ぶならそれもよかった。

 だからこそ不意に浮かんだ思いだったし、それに応じた声は幻聴のはずだった。


 自分がいかに非道なことをしたのか気付いた時には、もう遅い。

 ――リィエ。彼女に、どう償えばいいのだろう。



 ***



 午後になると、塔の部屋はたびたびお客さんを迎える。

 講師役の人達だったり、卵に会いに来る研究室の皆さんだったり。その中で、アポなしでやってくる人は二名。


 一人は国王陛下。ただ、陛下の場合は「公爵閣下がいる時」という限定がつくので予測は簡単にできる。

 反対に来訪のタイミングが全く読めないのが、ルドルフさんだ。


 研究室トップの彼は、だいたいいつも忙しい。だから勉強の講師役の時も卵の様子を見るのも、ちょっとした空き時間を使って突発的に訪れる。

 そんなわけで今日も突然やってきた。


 普段と違うのは、一人ではなくジョディさんと一緒で、何やら大きめの紙袋を抱えているところ。

 その荷物を指摘する暇もなく、部屋に入るなり「外出許可が下りた」と告げて私を驚かせる。


「え、お出かけできるんですか?」

「ああ。大聖堂で神事を行っている間の二時間だけだが、ある程度自由に散策もできるよう話をつけた」

「わあ、ありがとうございます!」


 驚きつつも立ち上がってバンザイをする勢いで喜んだ私に、ルドルフさんがホッとしたように口角をちょっとだけ上げた。


 その程度の笑顔でも珍しかったみたいで、隣でジョディさんが「笑った、だと……?」とか呟いて、いつもは涼やかな目元を溢れんばかりに見開いている。

 ええ、普段どれだけ表情が動かないの、ルドルフさんってば。


「いや、シワ対策で笑わないっていう人もいるくらいだから、アンチエイジングの一環とか……」

「何だ? やはり短時間では不満か」

「あ、いえ、そうじゃないです。むしろ、普通に歩けるなんて思っていなかったので驚きました。嬉しいです」


 重ねてお礼を言うと、軽く頷かれる。

 本当に、相当頑張ってくれたのだと思う。だって城内にいる今でさえ、過剰と言えるほどの警備態勢だ。

 城の外へ出られたとしても、乗り物の中から流し見程度だと思っていたのに。


 ルドルフさんは荷物をテーブルに置くと、窓の外に広がる城下を指す。


「祭の初日は安全が確保しやすい。普段の街とは違うが、ちょっとした買い物や飲食はできるし、雰囲気くらいは分かるだろう」

「もっと頻繁に連れ出してあげることができれば一番良いのだけど。窮屈な思いをさせてごめんなさいね」

「ジョディさんも、そんなのいいんです。十分ですよ!」


 この時期、年に一度の収穫祭が二日間に渡って行われる。

 初日は国の公式行事で、王都の中心近くにある大聖堂で神事が行われる。その翌日は屋台がずらりと並ぶ一般的なお祭りだ。

 建国以来続く祭事の一つで、会場となる城下はとても賑わうのだそう。


 お祭りというのは人出が増える分、浮かれ騒ぎで治安が悪くなるもの。

 異世界のこの国だって例にもれずだ。


 お祭りの話を聞いて興味は持ったけれど、そんな時にはますます外には出られないだろうと予想できたから、それ以上考えてもいなかった。

 ところが、この収穫祭に限っては事情が違うと二人は話してくれる。


「初日の神事には貴族階級が多数出席するから、会場となる大聖堂周辺は立入が制限される」

「その地区の住人でさえ、外出制限がかけられるの。基本的に出歩いているのは関係者だけ。もちろんスタッフも全員、身元確認済みよ」

「へえぇ……」


 イベントのプレスデーとか、あ、遊園地貸切? そんな感じなのかな。

 何にせよ、クローズドの範囲内ならばかなり安全、という説明に納得だ。


「万が一に備えて当日はこれを身につけるように。ジョディ、後は頼んだ。では失礼する」

「はい、ありがとうござ……あー、行っちゃった……」


 言うだけ言って紙袋を指すと、あっさりとルドルフさんは退出する。

 私は口を中途半端に開いて、パタンと閉じた扉に向かって引き止めるように片手を前に出したポーズで固まってしまった。


 反対の腕の中では卵が小さくむずかっていて――面白がられている気がする。

 いや別に、コントをしているわけじゃないよ?


「また今日も、ちゃんとお礼が言えなかったなあ」


 ルドルフさんは、来るときも去るときもいつも唐突だ。

 だからといって、お世話になっている人に、礼のひとつどころか別れの挨拶も言えないなんて。私だっていい大人なのに、ああもう、しょんぼりだ。

 部屋に残ったジョディさんとシーラさんが、顔を見合わせて肩を竦める。


「話している途中でいなくなるなんて、今のはリィエ様が怒るところですよ」

「そうよ。相変わらず不愛想でせっかちなんだから、ウチの室長は」

「でも、ルドルフさん、忙しいのにわざわざこうして来てくれて」

「もう、リィエは室長に甘すぎるわ」


 えー、そうかなあ。

 首をかしげる私に、二人はそうだそうだと同意の嵐だ。

 ジョディさんに至っては、私がここに来たばかりのことを持ち出してくる。


「そもそも、最初っからウチの室長にひるまずおびえず、普通に話せる若い女性なんて滅多にないのよ」


 あの最初の面会の時、会話が成り立たないようなら自分が助っ人に入ろうと隙を伺っていた、とジョディさんが打ち明ける。

 ……たしかに、かなり理詰めで召喚云々の話をされた気はする。でも。


「こっちはいつリィエが泣きだすか怒り出すかって、ハラハラし通しだったわ」

「あの時は私、ルドルフさんのフラットな無機質さのおかげで、冷静になれたというか」


 うん。ルドルフさん本人から滲み出る威圧感はあったけれど、高圧的な物言いはなかったし、私に対して変に同情するそぶりもなかった。

 きっとそれが良かったのだと思う。


「なんか、学校の先生と話しているみたいで、落ち着けましたよ」


 緊張はしたけれどね。

 その言葉にシーラさんがよく分かる、と頷いた。


「ええ、見ていて病室が教室になった気分でしたから」

「本当に……そうだわ。ねえ、リィエ。卵が孵ったら、研究室で働かない?」

「え?」


 それはいい考えだ、というようにジョディさんはポンと手を打った。

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