知識について

 自分の想像力を限界まで広げたとしても独り善がりの話では他者に恐怖を与えるホラー小説を書くことはできません。人間には連綿と続く恐怖の歴史があり、「恐怖のお作法」や「悪意のフォーマット」に則ることが大切です。また、共通のオカルト知識を下敷きにすることにより読者の想像力を補完することができます。

 例えば、ゲーテの『ファウスト』に出てくる悪魔メフィストフェレスはファウスト博士に家に入るために招くように依頼しています。これは、キリスト教圏では悪魔は招かれないと家に入れないとの言い伝えを背景にしています。このモチーフは様々なところで用いられており、悪魔が善なる人々を騙して名前を呼ばされたり家に招き入れるように仕向けたりする場面が描かれたりします。


 「邪悪な存在が結界に侵入しようとする」というテーマは西洋の悪魔のみならず日本の怪談にも見られる類型ですね。あなたも「邪霊に取り憑かれた人が霊を祓うために一晩中結界内に籠もり、邪霊はその結界に侵入するために様々な誘惑を行う」という物語を見たことがあるでしょう。また結界という明確な霊的な聖域でなくても、「家」自体が何らかの結界性を持ち邪悪な存在の侵入を防ぐという話もよくありますね。家にいると守られているという考えが洋の宗教を問わず共通であるというのは興味深いですよね。何かの体験に基づくのでしょうかね。

 

 「閉じた空間が安全であり、隙間があると邪なものが入ってくる」という概念は日本ではよく使われますね。「間が魔に通じる」とか。確かに少し開いた扉の向こうの闇というのはなんだか落ち着かないですからね。気になるなら閉めてきてくださいね。でも、実体のない存在が本当に壁や窓をすり抜けられないなんてあるんでしょうかね。本当のところは分かりませんよね。人間の切ない願いなのかも知れません。


 邪悪な存在といえば、日本のオカルトでは生霊の方が怖いと言われたりします。『源氏物語』の六条御息所が有名ですが、強い嫉妬や恨みなどで生きている人間の思念が霊的存在として力を得た場合は通常の死霊よりも邪悪で祓うのが難しい存在として扱われることが多いですよね。

 この生霊に類似の存在としてはチベット密教のトゥルパ(タルパ)があります。これは想念の力で人工的に精霊を作ろうというものです。リアルな人格をイメージして現実世界に存在すると強く念じて会話などを行い実体化させていくというものです。高僧が強い思念で生み出したトゥルパは他者にも見えたそうですよ。あれ? どうしました? 何か気になることでもありましたか?

 

 思念による恐怖としては呪いがありますね。日本で有名な呪いといえば『丑の刻参り』があります。丑の刻参りにも様々な制約やそれに纏わるいくつかの怪談がありますがそれは別の機会にお話するとします。

 そもそも呪いの本質とは何でしょうか。人間というのは生きている限り誰かに迷惑をかけたりして恨みを買ったり、心当たりがなくても恨まれたりします。そんな中で多かれ少なかれ自分以外の存在が自分に悪意を持つ可能性が頭を過ることが呪いなのではないでしょうか。

 古来からある呪術のフォーマットが自分に対して向けられていることを意識する、或いは明確な悪意に基づく禍々しい願いがあなたに向けられていると知覚する、それはあなたの意識に食い込み、あなたは「自分が呪われている」と認識する。それが呪いの本質です。呪われたことによりこれまでなら気にしなかった些細な不調や不運をあなたは呪いのせいだと考える。それがあなたの精神や体を蝕んでいくのです。裏を返せば、呪う側は呪いたい相手に呪いの存在を告知する必要があります。

 

 古来からのオカルト的存在にしろ、生霊にしろ、呪いにしろ、ホラーに纏わる種々の存在は恐怖する側が名を呼んだり、実在を信じることで力を得るというパターンが多く見られます。

 ホラー小説を書く場合にはこのような類型を意識して書くと読者との世界観の共有が容易になります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る