【First Album】2nd Track:なつきにけらし


 若草の薫る畳部屋。焦ったように部屋中を散らかしながら、転げ回っている「三味線の不良少女」。彼女の使っていた象牙製の撥は、恐らく幼少期からずっと大事にしていたものらしく、アクセサリーに猫の尻尾らしきものが付けてあった。そして、自分の名前を持ち手にしっかりと彫り込んであったのだから、誰かが拾ったら間違いなく分かるだろう。

 しかし、それだけ目立つ代物だったのなら誰かが届けてくれるだろうが、彼女は一匹狼を気取っていた為に数日経っても自分の元に届かなかった。彼女は自分がもたらした人望の無さに虫唾が走り、苦虫を噛み潰したような顔で頭を掻き毟っていた。


 「くそっ、アタイの撥(ばち)!どこに落としたんだ!!」

 彼女は思い立ったのか。「いつもやっていたか」のように静かに襖(ふすま)を開けると、廊下を見渡した。そして忍び足で階段を降りていった。

 時刻はとうに零時を過ぎており、家族は寝静まっていて静かだった。


 バレてはいけないと思っていたのか。忍び足に蝋燭(ろうそく)の炎がくゆる。軋む廊下の先には開かれたガラス窓の部屋があった。彼女の家は古くから楽器を売って生計を立ててきたようだ。

 蝋燭の明かりに照らされた和楽器の数々。漆(うるし)と古木の独特の香りが心地よく薫る。壁に立てかけられた箏(こと)や笙(しょう)、鼓笛(こてき)、尺八、和太鼓など和楽器が所狭しと陳列されていて、かなりの業物のものもあった。

 

 彼女は息を殺しながら、三味線が飾ってある棚まで進むと、綺麗に陳列された象牙製の撥が並んでいた。撥はよく出来ており、一本数万はする代物の業物だった。彼女は口元に手を押さえながら象牙製の撥を手に取った。

 「……しばらく借りるぞ」

 「……おい、誰かいるのか?!」

 その時、静かに響く声がした。声質ははっきりとしており、独特の男気溢れる声をしていた。その声の主は白髪交じりで彼女の父親だった。手には身の丈ほどの「さすまた」を持っていて、泥棒を捕まえる為に起きてきたようだった。

 少女の肩がびくんと揺れて、手から撥が滑り落ちた。腰を抜かして尻餅をついていると、ランプの明かりが点って、部屋中が柔らかな光に包まれた。


 ――だが、少女に対する辛辣な叱責が怒鳴り声となって、その場に響いた!

 「紫吹(しぶき)!!またお前かっ!!何度言ったら分かるんだ!!」

 薄いガラス張りの戸が父親の叱責で震えていた。「紫吹」と呼ばれた少女は唇を尖らせながら、そっぽを向いて父親に反抗していた。

 「……うっせぇ」

 「親に向かって、何て口を利くんだ!!その髪も戻してないだろう!!俺の言うことを聞けっ!!」

 

 その時、頬を叩く乾いた音が薄暗い空間に響いた――。紫吹は腫れた頬に手を当て、黙って父親を睨んでいた。

 「その目はなんだ。親を何様だと思っている?」

 「テメェはいつもそうだよな。アタイはアンタの駒じゃねぇ。好きに生きようとしてもみんな頭ごなしに叱るじゃねぇか!クソがっ!」

 値打ち物の撥が、紫吹の踵(かかと)で踏み砕かれた。それを見た父親はかっとなって、また紫吹の頬を打った。すでに怒りに呑まれて感情の抑えが利かなくなっていた。紫吹は何も言わずに父親を睨んでいた。その騒ぎを聞きつけたのか、母親が出てきた。

 

 「……壽(ことぶき)さん?……あなた……何をしているの?」

 そこには頬を腫らした娘の姿と、怒りに燃えて拳を握り込む父親の姿があり、互いに睨み合っていた。母親は状況を察したのか、紫吹に上着を着せ、そのまま自分の部屋に戻るようにけしかけた。紫吹は頬を抑えながらその場を後にした。

 「悪い。……またやってしまったようだ」

 「私もあまり荒れるようなら……紫吹を連れて実家に帰ろうかと思っているの」

 父親は一瞬、言葉を失った。どうやら暴力を振るったのは一度ではなかった。

 

 「……お前は、神崎家が嫌いか?」

 「お義母さまもお義父さまも悪い人ないし、大好きです。ただね、あなたの背中に恐ろしいものを感じるの。亡くなったお義父さまに縛られているようにも見える」

 「……そうか」

 「窮屈な生き方に自ら縛らを縛り付けて、何かを忘れようとしているようにしか見えないの。あの子が嫌い?」

 「……いや」

 「私はもう寝ます。あの頃が幸せでしたね」

 「志乃絵(しのえ)……悪かった。……頭を冷やしてくる」


**

 ――紫吹は顔を覆って襖(ふすま)に背中を預けながら泣いていた。深夜の部屋はとても暗く、ジメジメとしていた。

 「……ばあちゃん……ばあちゃん」

 紫吹の祖父が死んでから、急に優しかった父親の顔が鬼のように変わった。都の一角にある老舗(しにせ)楽器店。表向きはしっかりとしていたが、親子の溝は黄泉のように深かった――。

 この家には、紫吹の居場所がない。息苦しさに胸を詰まらせながら、紫吹は泣き疲れて眠ったのだった。

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