【First Album】1st Track:かりほのいほの

 

 ――任侠(にんきょう)とは古い昔に、偉い人々が作った言葉だ。小さなゴミくずくらいのプライドを、鎬(しのぎ)を削るように争って、それぞれの踏み入れられたくない大切なものを守った。小難しいことは後回しにしても、子どもも大人も意地っ張りで捨てられないプライドの塊だと言うことだ。

 バカ息子がのうのうと住む「この家」が何事もなかったかのようにあるとするならば、彼は幸福者だろう。大人の些事に巻き込まれていないのだから。それだけ両親の権力がしっかりとしている言えるかも知れない。

 

 しかし、そんなバカ息子も平和ボケをしている訳で。早朝の五時。日も薄っすらと差し始める窓明かりに照らされながら、半裸で何を思ったか、気が狂ったようにボディビルダーの真似事に興じていた。

 

 「右向きに三十五度。やや朝日が胸筋に当たるくらいの感じで、顎(あご)に指を当てるのがベストか」

 敷居の高い座敷部屋で袴(はかま)に身を固め、上半身を腰まで露出しながら、身の丈ほどの鏡に向かうおバカな男子高校生。浅葱伊織その人だ。彼はとても痛く、自分の肉体に酔っていたようだった。顔は比較的美形の部類だが、多少残念な自信家と行った印象である。


 「伊織!!早く降りてこい!!飯にするぞ!!」

 野太い四十代の父の声が、階段の下から聞こえてきた。そう。ここは「楼雀組(ろうざくぐみ)」という和装マフィアの邸宅だった。


 ――かれこれ二十年以上前のこと。伊織の通う高校に、破天荒で毒舌家の娘がいた。彼女は、浅葱 ひの。柴犬のようなマロ眉と低身長。拳くらいある大きな牡丹(ぼたん)のコサージュを栗色の髪に付けたとても奇抜な格好をしたヤクザの娘だった。

 己がコンプレックスと、思春期の恋愛の狭間に悩み、悶々とし、「おいちょかぶ」の博打を打って手に入れた、どぎつい猫好きヤンキー「龍崎 京介(りゅうざき きょうすけ)」。彼は強面ながら無類の猫好きで、種類問わず猫叉までも愛する、柄にも合わない猫好きだ。そして女装癖があるとか無いとか。……と、茶番はそこまでにして。彼らは高校を卒業し、籍を入れて生まれた息子と娘が一人。そのバカ息子がこの「浅葱 伊織(あさぎ いおり)」である。彼の妹は「一颯(いぶき)」と言い、どちらかと言えば父親似の美少女であるようだが。


**

 敷居(しきい)を跨(また)いで、伊織が大広間に出てみると、頬傷やサングラス、アロハシャツ、入れ墨。時に多国籍と入り交じるこゆい面々の男性陣。騒がしいのてんやわんやで、そこに花も紅もあったもんじゃない。キセルと匕首(ひしゅ)よく似合う、おバカ集団と言った所か。そして、彼らは「十四代目」の京介の傘下であり、顔つきも歳もバラバラだった。なかなか統率するにも難しさを感じる面々だったのだが、四十半ばにして円熟し、型に収まりきった「婿入り養子」に二つ返事で従っていると言う訳だ。

 「若!おはようごぜぇやす!!」

 「若、よく眠れやしたか?」

 溌剌(はつらつ)とドスの利いた声を聞くと、誰だって目が覚めてしまう。そりゃそうだ。怖いおっさんと朝から話そうってもんなら猫でも犬でも逃げ帰るに違いない。ところがどっこい、伊織は百二十パーセント増しの笑顔で彼らに爽やかな挨拶を交わしたのだった。

 「あはは、今日もお袋譲りのアンニュイ顔がいかしてやすね」

 「馬鹿言ってないで、さっさと朝餉(あさげ)にするよ!」

 「あいたっ!」

 伊織をからかった組員が、後から入ってきたひのに平手打ちを食らって軽く畳一枚分吹き飛んだ。これが毎朝の光景だと言うのだから、この組は恐ろしい。


 「……ひの、味噌変えただろ」

  京介は膳に乗せられた味噌汁を啜(すす)りながら、一言呟いた。

「あんたの舌も馬鹿じゃないね。ぷかぷかタバコ吸ってるかと思ったら」

 「お前、また腕前上げただろ。野菜の切り方もなんか違うな」

 箸で味噌汁の具材をまじまじと眺める京介。隣でひのは顔を覆って恥ずかしがっていた。 「やだ!!恥ずかしいじゃん!!バカ!!」

 京介の背中に激しい平手をかますひの。前のめりにご飯に顔を埋める京介。熱々のご飯が彼の顔にべっとりと張り付いて悲鳴を上げた。

 「ばかやろう!いきなり何すんだ!!」

 「褒めるなら、みんなのいないとこで言ってよね!!」

 立ち上がり、上座で夫婦喧嘩をかます京介とひの。その様子をいおりはたくあんを噛みながらいつものように眺めていた。

 

 しばらくして、六時くらい。団子に結んだ髪の毛を振り乱しながら中学生くらいの女の子が降りてきた。浅葱 一颯(いぶき)。中学二年生である。

 「……なになに?おっかあ達、また喧嘩してんの?」

 「みっともないよなぁ。まぁ、夫婦仲がいいと言えばいいんだろうけどさ」

 「朝からみたくないもんみちまった。さっさと食って、お暇(いとま)しましょ」

 彼女は部活動があるのか、味噌汁をご飯にぶっかけて、焼き鮭を解(ほぐ)すとそれにのせて掻き込んで出ていってしまった。

 「あ、一颯!!待ちなさい!!」

 ひのが叱る間もなく、ウサギのように行ってしまう一颯。全く誰に似たんだかと頬杖を突く母だったが、自分が張本人であることを、この場にいる面々は誰も口に出来なかった。


 **

 さて、伊織の通う高校は、霧前市公立桜坂高校と言う男女共学の進学校だ。かつて伊織の母のひのに続き、「海外留学を果たした、慈愛に満ちた女子高生」もこの学校を出ていたらしい。「機械工学の名門大学」と交流も深く、この数十年のうちにかなりの前進を遂げたと言っても過言ではないだろう。数多くの物語を残しつつも、しかし難なのが「どの学校にも存在する吹き溜まりのクラス」があると言うことだろうか。光があれば影もある。伊織の学年の五クラスのうち、「E組」に奇抜極まりない問題生徒がいると言う噂だった。

 彼女は「神出鬼没に三味線を奏でるが、心が折れるくらいの悪態を吐いて、そのまま数日間姿を消してしまう」と言う、いかにもいかがわしい噂が立っていた。

 その噂を聞いたのは、伊織が二学年に上がった時のことだった。


 「いおり!!今日もお前の家の話、聞かせてくれよ」

 「あ、ああ」

 伊織は学友に鼻を擦る。そして自分の家のお堅い事情を話すのが好きだった。「自分だけが特別で、自分は他に無い物を持っている」そんな風に自分の生き方を誇らしく思っていたのかも知れない。多少、自信過剰なのが玉に瑕(きず)だが、女子からも好感度は悪くなかった。ただ、彼自身何も誇るものがなく、流され気味に生きていたことを薄っすらと感じて始めていたが。


 **

 「今日も残暑が厳しいなぁ。授業を始めるぞ」

 ネクタイを緩めながら、教師が授業を始めた。伊織は外を見ると、どんよりと雲が覆って雷と共に雨が降りそうだった。

 うつらうつらと、昼過ぎの眠気を堪えながらノートを取る伊織。ヤクザの組の一員ではあるが、あたかも彼の生活は変わり映えもない学生そのものな訳だった。この学校を母親が仕切っていた時代もあったようだが、それはとうの昔。

 ひのが敷いた親のレールに胡坐を掻いて学校のトップにつけ上がる気も無く、かと言って不良のように授業をサボるような気も無く。成績も悪くも良くもなく。彼はつまらないどこにでもいる、ただの男子高校生だった。

 「垢抜けない」と言う言葉が欲しいのか?いや、欲したことはあっただろう。妹がどちらかと言えば母譲りの運動神経の良さで、彼はバスケ部に所属している妹が心底羨ましかった。センスもあるわけではない。幼少期に母親にけしかけられて、運動会の応援団長とか、地域の「のど自慢コンクール」とかに参加したくらい。歌うことは好きだし、カラオケで出す点数も悪くは無かったが、アンニュイな態度が何かを夢中にさせることを避けていた。


 **

 ――鐘が鳴った。

 伊織はとても大きな欠伸をし、風に当たりたくなって、外に出ることにした。所属しているクラスは、最上階にあり、屋上まで行くのにそんなに掛からない距離だ。顔を洗って、風に当たれば少しは眠気が覚めるだろう。そんなことを思いつつ、渋い鉄の扉のドアノブに手を掛けた。

 強い突風が顔に当たった。思わず息を呑む伊織。その風と共に、和楽器の弦の弾かれるような軽い音が聞こえてきた。堅いコンクリートに膝を突き、正座をして日陰で弦を弾く少女。着崩した制服と奇抜な髪色がとても異様だった。

 立ち尽くして聴き惚れる伊織。木々がざぁああと音を立て、風に揺れて木の葉を揺らした。

 「……『雨の夜』。やっと弾けるようになった」

 彼女は目を開けた。溜め息を吐きながら、三味線をしまっていると、伊織が拍手をしながら彼女に近づいていく。

 「相変わらず、上手いな尊敬するわ」

 「またお前かよ。失せろって言ったじゃねぇか」

 彼女は苦虫を噛み潰したような顔をして伊織を睨み付けた。どうやら、人と関わるのは好きじゃないらしく、警戒心を剥き出しにした猫のような姿だった。

 「そんな顔すんなよ。お前だろ?色々と噂されてんの」

 「……チッ」

 彼女はそっぽを向いて舌打ちをした。そして伊織を突き飛ばすと去って行ってしまった。尻餅をついて途方に暮れる伊織。尻の埃を払って立ち上がって歩き出した。すると、靴に三味線の撥(ばち)が当たる感覚がした。

  象牙製の透き通るような撥(ばち)。まじまじと見ていると、その光沢に反射して、自分の卑しい考えが透き通って見えてくるようで。

 「これ、あいつのだよな」

 辛辣な塩対応をされても尚、伊織は彼女に興味が尽きなかった。マゾなのか、それとも物好きなのか。蓼食う虫も好き好きと言う言葉があることをここに書き記しておこう。


**

 ――さて、夜になり夕飯を食べ終えた伊織は、自室で机に向かって蛍光灯の明かりの下に「物憂げな彼女の忘れていった撥(ばち)」をかざしながら考え込んでいた。

 彼女の放った言葉の意味。格好は奇抜だったし、流行廃りに敏感なくせに時代遅れな楽器を扱う不思議な人だなと会うたびに思った。三味線とヤンキーな格好がめちゃくちゃ合わないから余計に色濃く脳裏に焼き付いている。

 おバカな伊織は彼女からの塩対応に好意の裏があると深読みをし、自信過剰になって浮き沈みを繰り返していた。

 「これは……一目惚れなのか?!いやいやいや」


 そんな馬鹿げたことを呟いて、頭を掻き毟っていると、背後から聞き慣れた声がした。

 「おー、伊織。珍しいもんを持ってるな!」

 「お、親父?!」

 振り向くと、上半身半裸で腰にタオルを巻いて仁王立ちする京介が立っていた。彼が言うには、和楽器はしきたりとか、冠婚葬祭によく用いられ、あながちこの界隈(ヤクザ界隈)で、縁が無いとは言いがたい存在だったとか。つい最近でも盃(さかずき)を酌み交わした兄弟の前で、箏(こと)が奏でられたようだったが。

 「お前がそんなもんに興味持つとは、俺の息子だけあるな。……ただ、俺は三味線に関しては苦い思い出しかねーけど。かかっ!」

 「まーたそうやって、自慢話かよ」

 伊織は、むくれて頬杖を突いた。


 「三味線ってのはな、昔『猫の皮』が張られてたんだよ。俺がこの組のカシラんなった時に、それを聞いてな。怒りに燃えて組が贔屓にしてる和楽器屋に殴り込んだのよ。そしたら『オジキ(ひのの父親)』に顔の形が変わるまで、土蔵で殴られてな」

 「うわ、まじかよ……」

 「俺の顔に泥を塗るなとか言われたから、言い返して、また殴られた。朝んなる頃には、オジキも殴り疲れてぐったりしててな、俺の猫好きっぷりに呆れかえってたわ」

 「親父は三味線が嫌いなんだな」

 「好きじゃねーよ。ただよ、ちゃんと奏でてやんないと、死んだ猫も報われねーよって思った。今じゃ犬の皮も使うらしいけどな。人の余興の為に犬や猫の皮をかっぱいで使うなんてひでぇと思うよな」

 そう言うと、京介は苦笑いしながら襖(ふすま)に手を掛けた。

 「伊織……死んでもテメェの筋は曲げるな。俺はオジキを殴り返さなかったけど、ずっと睨んでたんだよ。嫁さんの親父なのにバカみてぇだと、今は笑うけどな。オジキは俺の根性に負けたのか『神崎(かんざき)』って名字の、古くからある楽器屋に連れて行ってくれてよ。実際に並んでる三味線を見て、少しは大人になったっつー話だよ。……ほら、風呂空いたぞ」

 「……あのさ、親父」

 「ああ?」

 「俺もその楽器屋に連れてってくれ」

 京介は苦笑いをしながら腕を組んでいた。父親が返した言葉は煮え切らない返事だった。

 「……考えとく」

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