夏の終わりに

リュウタ

第1話

健一けんいちおはよ」


 そんな優しくて暖かい声が、俺の耳元に聞こえてくる。

 まだ意識がはっきりしていない中、目を開けて声がした方をゆっくり見る。

 白色のカッターシャツに、紺色に黒のボーダーが入ったリボン。真っ黒で通気性の良さそうなスカートと白い靴下に白い靴。俺が通っている中学の制服そのものだった。

 ごく普通な制服をまとった人物は黒髪ロングで、身長は145cm位の外見をした少女、幼稚園から今まで11年の付き合いになる幼なじみのめぐみだった。

 地味で大人しく、人見知り。だけど子供に優しくてたまに見せる笑顔が可愛い恵。

 そんな彼女に密かに恋をしている俺は、人目をはばからず会いに来てくれたのが内心とても嬉しかったけど、平常心を保ち恵に返事する。


「ん、おはよ」


 そうじゃないだろ。もっと優しくおはよう、なんてかっこいい声をかけた後に来てくれてありがとう、とか気の利いたセリフを言う場面だろ。

 ごめんよ恵、声掛けてくれてありがとう。

 自分の行動に後悔し、心中平謝りする。


「今日ずっと寝ていたの?」


 心の中で謝罪している俺に対して、何気ない会話を挟んでくる。


「うーん、まあ多分……?」


 実際はどのぐらい寝てて起きていたのかは分かっていたがそれどころではなく、聞き流すように返事をしてしまった。俺の返事に気に入らなかったのか、恵は真剣な顔になる。


「健一さ、ずっと寝てていいの? 先生の話とか聞いてる?」


 話が思わぬ方向転換をし、投げかけられた言葉が心に刺さっていく。

 日付を見ると6月の29日。段々と暑くなり、外に出て歩いてる人は汗で服と肌がくっ付いてしまっている。

 また、この頃の暑さのせいか健一と恵の会話を邪魔するかの如く、蝉が求愛行動をし続けている。

 冷房の効いた部屋で、蝉の声を聞きながら向かい合ってる中学二年生の2人は、一学期期末考査があと一週間まで近づいていた。


「まだ試験まで一週間ある、それに夏が来るのは最後」


 来年の夏にはもう受験生だ。2人に残された目一杯遊べるの時はあまり多くない。


 だから、思いっきり遊ぼうぜ。


 なんて言葉を続けようと恵を見ると、物凄い形相で俺に食ってかかってきた。


「なんでそんな事言うの」


 少し苛立ったような声で恵が言う。

 最後という単語に受験の嫌気を感じたのか、来年の夏もまた遊びたいのか、はたまた俺に勉強をして欲しいのか、きっとどれも違う。

 俺にとっては聞きたくない話で、彼女にとって大事であることは、分かる。


「ごめん」


 これ以上この話の続きをされると、話がややこしくなるのは明確だ。

 だからこそ直ぐに謝って、話を切ろうとする。

 だが、恵のエンジンは止まらない。



「はい、この話終わり。な? 今から思いっきり遊ぼうぜ。」


 先程言おうとしたことを続け、今からすることに期待を膨らめる。


「いつもそうやって誤魔化して、もっと真面目に生きてよ」


 俺の検討も虚しく話は変わらず、激しく罵られ、生き方さえ否定される。

 急に変わった恵の態度と言い分に驚くが、謝るしか方法がない。

 ここで反論するのは簡単だ、今思っている感情をそのまま言えばいい。ただそれをすることによって恵との関係は一気に崩壊するだろう。


「健一の言いたい事は分かるよ、時間がないから今を楽しみたいっていうのは」


「ごめんって、もうこの話は終わりにしよう」


 止まってくれ。もうこれ以上は我慢できない。

 恵に嫌な言葉をかけたくないんだ。


「でも、私は生きて欲しい! 病気に負けて死んで欲しくない」


 嗚咽が恵の声に干渉し、言葉は途切れ途切れになる。

 涙を流しながら伝える思いは俺の心に直接訴えかける。

 だが、恵のその一言一言に俺の心は荒んでく。

 ありえない夢物語を語られ、変わらない現実を突きつけられ、個人の願望を押し付けられる。色々な考えが混ざり、少しだけ感情がこぼれてしまった。


「……うるさい」


 外にいる蝉の鳴き声で掻き消される程小さく呟いた小言。聞こえないだろうと高を括っていたが恵には聞こえていた。


「……ごめん。でも私も健一の両親も生きて欲しいって願っているよ。名前にだって健康の健が入って……」


 恵を遮るように俺は怒鳴る。


「黙ってくれ! 自分が死ぬっていうのは分かってるんだ。今励まされたって何も変わらないだよ。名前がなんだよ!? 健一って名前だったら全員が全員健康に生きられるのか! そうじゃないだろ。名前通り生きられるんだったら……」


「俺だってそうしたいよ」


 怒りと悲しみがこもった物言いに、恵は後ずさりする。


「で……でも、もしかしたら治るかも知れないじゃない」


 その叶いもしない空想が、


「希望を持って生きたくないんだ」


 俺の心に刺さっていく。


「もう帰ってくれ」


 本心から遠く離れた本心が、声という振動となって表れる。

 自分のせいで健一の心を苦しめてしまった、そんな感情が恵の頭を支配する。

 何か言えばまた健一を傷つけることになるかもしれない。だから、健一の言うことに従って病室から出ていくしかなかった。


────────────────────





































 あれからどのぐらいの時間が経っただろうか? 恵を追い出してから何日経ったのか分からない。

 1分、5日、いや1ヶ月だろうか、全く検討がつかないほど真っ暗な部屋で過ごしている。

 恐らく病状が悪化し、違う場所へ移動したのだろう。自分の意思で体を動かすことが出来ない。だけど不思議と体は軽いし痛くもない。

 こんなことはなったことがない。きっと人類の中で俺が初めてだろう。

 これは恵に言わなくちゃ、そう考えた健一の唇は動かない。

 おかしいな、声が出ない。

 おーい、誰かこっちに来てくれ。

 そう言いたかったが、やはり健一の口からは何も発せられなかった。

 どうしよう、どうすれば。

 考えても考えても打開策は出てこない。

 誰か、助けてくれ。誰か。

 ぼんやりとしてきた意識の中、ひたすら助けを呼ぶ。

 そんな時、真っ暗闇の中で1つ、声がしたような気がした。


「…………よ」


 優しくて暖かい声。この声の正体を健一は知っている。

 地味で、大人しくて、人見知りで、優しくてたまに見せる笑顔が可愛い子。

 ダメだ、名前が出てこない。顔は出てきているのに。


「いままでも、これからも」


 誰なんだ、君は。待ってくれ、もう少しで思い出せそうな気がするんだ。


「ずっと大好きだよ」


 君は……


「健一」


 恵?


 あの時、あの日、恵と健一が喧嘩した後、健一は死んだ。

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夏の終わりに リュウタ @Ryuta_0107

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