きのう、失恋した?

暗藤 来河

きのう、失恋した?

 ピピピピ、ピピピピ。

 目覚ましを止めて起き上がる。なんだか頭が重い。

 午前七時。いつも通りの時間に、いつも通り自分の部屋で目覚めて、ふと違和感を覚えた。

 時計をもう一度見る。表示は九月二十二日、午前七時。

「あれ?」

 今日は二十一日じゃないのか。壊れたのかな。

 なんだか身体も重い。というかあちこち痛む。着替えていたら腹や腕に身に覚えのない痣がたくさんあった。

 不思議な気分のまま支度をして学校に向かった。


 僕が教室に入ると、それまで騒がしくしていたクラスメイト達がこちらを見て一瞬沈黙する。それから取り繕うようにまた話し出した。

「おはよ、高田」

「横尾。……なんなんだ、これ」

 首を傾げながら席に着く。前の席に座っている横尾に声をかけられたので事情を聞いてみる。

「みんな気をつかってくれてんだよ。昨日失恋したばかりの可哀想なやつに」

「え、誰?」

 ん、と僕を指差す。僕が、昨日、失恋した?

「なにそれ」

「いや、お前昨日フラれたんだろ?」

「だれに」

「中川」

 全く身に覚えがない。中川さんは隣のクラスの女の子だ。去年は同じクラスだったので知っているが、あまり話したことはない。

 そういえば、今朝から昨日のことが思い出せないままだ。昨日、本当は何があったんだろう。

「横尾、それどこまで広まってる?」

「さあ、すくなくとも二年はみんな知ってんじゃないかな」

 なんだその情報の早さ。昨日のことじゃないのかよ。

 フラれたショックで一日分の記憶を失う、なんてことがあるとは思えない。しかも身体には痣だらけ。昨日僕の身に何かがあったはずだ。中川さんに聞ければ一番良いんだけど、今日のこの状況で二人で話ができるだろうか。

 悩んでいるとスマホが鳴った。LINEだ。表示されたのは知らない名前、知らないアイコン。内容は一言、『放課後、教室で待ってて』。

 誰だか知らないが、教室で、ということは生徒の誰かだ。分からないことばかりだけど、放課後になればこの何者かが事情を説明してくれるということか。

「朝礼始めるぞー」

 ちょうど先生が入ってきて、朝礼が始まった。みんな静かにしているようでひそひそと話をしている。時折こちらを見てくる人もいるので満面の笑顔を向けてみたら引かれた。

 こんな空気で一日過ごすのか……。


 試験が近いこともあって、授業中まで僕の話をしている人はいなかった。休憩時間は教室を出てあちこち歩き回ったので、噂されていたかもしれない。

 それだけ歩き回っても中川さんを見つけられず、何も思い出せないまま放課後になった。

「高田、帰んねえの?」

「え、ああ、宿題終わらせていくから」

 動くべきか待つべきか迷っていたが咄嗟にそう答えてしまった。宿題が終わるまでは待ってみよう。

 だが十五分程度でその時は来た。

「高田君」

 教室から僕以外の人がいなくなってすぐ、中川さんが現れた。

 顔は覚えている。でもやっぱり昨日会った記憶はない。顔を見れば少しは何か思い出せるかと期待していたので残念な気分になる。

「ごめん、なんか話が広まっちゃってて。LINEくれたの、中川さんで合ってる?」

「合ってるよ。いいの。広めたのは私だから」

「は?」

「それと、高田君、昨日のこと覚えてないよね」

 いきなり予想外の発言が飛び出した。僕がフラれたという噂を流して、僕の記憶のことを知っている。真相を聞けそうなのはありがたいが、どうにも雲行きが怪しい。

「昨日何があったのか、教えてもらえる?」

「うん、そのために来たから」


「最初に言っておくけど、記憶を無くしたのは偶然。君が私にフラれたっていうのも嘘。都合が良かったからそういうことにしただけ」

 なるほど。全然分からん。

 首を傾げて詳しい説明を要求する。

「昨日の放課後、私はある人に呼ばれて校舎裏に行った」

 校舎の裏には桜の木がある。どこにでもあるような話だけど、その木の下で告白をして付き合ったら幸せになれる、みたいな噂がある。中川さんは人気があり、何度かそこで告白されたという話を聞いたことがある。きっと昨日もそうだったのだろう。

「私はそこで告白された。高田君じゃないよ。全然別の人。それで私が断ったら怒りだしちゃった」

「大丈夫だったの?」

 心配して聞いたら、中川さんが笑い出した。なにかおかしいことを言ったのだろうか。

「君が助けてくれたんだよ。ちょうど通りかかったみたいで。相手は悪そうな、怖い人だったのに身体を張って守ってくれた」

 話を聞いていても、正直半信半疑だった。僕が身体を張って人助けしただなんて信じられない。少なくとも今の僕が同じ状況になったとして、見て見ぬふりをする自信がる。

「それで、最終的に君は気を失って倒れた。相手はそこまでして初めて大変なことをしたって気づいたみたいだった。最後に、『今日のことは誰にも話すな、もしばれたらお前ら二人ともただじゃ済まさない』って言い残していなくなった」

 身体の痛みはそういうことだったのか。普通に学校に来て授業を受けられたので骨折や脱臼まではしていないと思うけど、そんなことがあったなら休めば良かった。

「それからどうなった? 放課後だけじゃなくて一日分記憶がないんだ。家に帰ったことも、帰ってから何をしていたのかも思い出せない。まさかそのまま、はいさようなら、ってわけじゃないよね」

「うん。最初は保健室か病院かって思ったんだけど、それも噂になると困ると思って。なんであの二人が一緒に保健室にいるんだとか、病院に行くほどの怪我って何があったんだとか、そういう話になっちゃうじゃない。だから親に頼んで車で君の家まで連れて行って、手当だけしておいたの。その間、君は一度も目を覚まさなかったけど、そのまま朝まで眠ってたんだね」

 やっと事情が分かってきた。どうしてか分からないが僕は中川さんを助けて気絶した。それで朝まで眠って、何も覚えてない僕はいつも通りに学校へきた。

「あれ、それならなんで僕が記憶を失ってるって分かったの? それから僕がフラれたことにしたのはなんで?」

 記憶を失ってから話をしていないはず。それに僕がフラれた、なんて嘘は必要ないように思える。

「分かってたわけじゃないんだよ。助けた相手にフラれたなんて噂が流れてるのに、なんで普通にしてるんだろうって考えて、もしかして覚えてないのかなって思って。あ、フラれたって嘘は、なんというか、二人の安全のためっていうか……」

「ああ、昨日のことを隠すためってこと?」

「そう。昨日友達からLINEが来て、私と高田君が一緒に車に乗るところを見たって言われて。焦って誤魔化そうとするうちに、そんなことになっちゃって……。ごめんなさい」

 やっと全てが繋がった。記憶が蘇ってくる。殴られた痛みも、あの時の気持ちも、なぜ彼女を助けようとしたのかも。

「こっちこそごめん。ちゃんと助けられていればこんなに面倒なことにはならなかったのに」

「……怒ってないの?」

 遠慮がちに尋ねられる。

「全然。やっと思い出せたよ。ありがとう」

 笑顔を向けると中川さんも微笑んだ。僕も彼女も気持ちが軽くなったことが分かった。散々な昨日だったけど、こうして笑い合えたのだから、それで十分だ。

「ありがとう。それと、良い機会だし、っていうのも変だけど、これからも友達としてよろしくね」

「うん、友達として」

 そして彼女は帰っていった。


 友達として、か。身体を張って助けたり記憶を無くしたり、たった一日でいろんなことがあった。それでも彼女の中で恋には発展しなかったらしい。

 残念だが仕方ない。気持ちを振り払うように帰路につく。

 今日、僕は失恋した。


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