ナタニエル ー追憶ー

第十六話 遠くからでも君だって分かったよ

― 王国歴1043年 秋-冬 


― サンレオナール王都 貴族学院




 僕の名前はナタニエル・ソンルグレ、ソンルグレ侯爵家の長男です。


 僕がエマニュエル・テリオー伯爵令嬢と出会ったのは八年前でした。二人共王都の貴族学院に在学中でした。


 その頃の僕は良くガラの悪い学生達に絡まれていて、その日も校舎裏の森で数人に囲まれていました。


 彼らの後ろにある茂みから少々の魔力を持った人物の気配に気付きました。僕の魔力とは比べ物にならないくらい弱いものでしたが、油断はできません。最初僕はその魔力持ちもいじめっ子達の一味だと思っていました。


 ところが、その茂みの人物が攻撃してきたのは僕ではありませんでした。彼か彼女はいじめっ子の一人、ガストンの背中に火を放ったのです。その後は傑作でした。火を消そうと慌てて地面を転がり回るガストンに、何も出来ずオロオロするだけの他の学生達を笑わずにはいられませんでした。


「サンレオナール王都貴族学院周辺に森林火災警報が出ていたとは知らなかったなぁ。僕は何もやっていないのだけど、まあ可哀そうだから消火してやるよ」


 僕は魔法で大量の水をガストンが火だるまになる前にかけ、火を消してやりました。


「覚えていろよ!」


 捨て台詞を残してうの体で逃げていく奴らでした。それをこっそりと眺めている茂みの陰の人物の隣にそっと移動しました。僕より少し年下と思われる赤い髪のあどけない少女でした。


「僕は君に助けてもらったお礼を言わないといけないのかな?」


「あっ、いいえ……そんなわけでは……」


「まあそれでも奴らが去ったのは君のお陰だからね、ありがとう」


「あの、私はただ……貴方はいつも一人なのにあいつらは複数で卑怯だと思ったから……」


「僕は一人でも負けないよ。それで僕の方がむやみやたらに魔法を使ってあいつらをいじめているって教師たちから目を付けられているくらいだし」


「じゃあ、私余計な事をしてしまったのですね、ごめんなさい。けれど貴方は何も悪くないのに……えっと、その、子供は親を選べないってうちの両親も良く言っています。私の髪がこんな変な色なのも、私が好きでそうなったわけではないのと同じですから……せめてこの赤色が映えるような緑色の目だったら、と思うのです。けれど、贅沢を言い出したらきりがありませんね」


 僕はエマに対して最初ははっきりとものを言う子だなあという印象だけでした。自惚うぬぼれるつもりはありませんが、女の子には鬱陶うっとうしいくらい言い寄られていたのです。


 だからエマが僕を学院裏の森につけて来たのだって何か意図があってのことだろうと深読みしていました。いじめっ子から僕を助けたことをきっかけに僕と仲良くなろうという魂胆なのだろうな、くらいの気持ちしかありませんでした。




 それから校庭や裏庭でエマの炎色の髪が目立つものだから見かける度に挨拶をして、少し世間話をする程度の間柄にはなっていました。


「エマ、髪の毛が目立つからすぐに遠くからでも君だって分かったよ」


 僕が話しかけると、いつも少し赤くなって目を伏せる彼女のことを可愛らしいなとは思っても、最初はそれだけの感情でした。


 ただの知り合いというだけで、いかにも僕と仲良くしていますと言うような顔をしてつきまとわられても面倒だという気持ちが勝っていました。


 それでも初めて会った時も、茂みに隠れていた彼女のことを僕の方から見つけて話しかけたわけで、彼女から行動を起こされたわけではありませんでした。気付いたら赤毛の女生徒を常に目で探している自分が居ました。




 エマは食堂などで周りに人が大勢いる場所で会っても会釈をしてくるだけでした。特に彼女自身が友人達と居る時は僕の知り合いであることをまるで隠すかのように振舞うのでした。


 まだ気候が暖かい時にはエマは外で昼食をとっていることが良くありました。そんな時に一緒にお昼を食べよう、と誘うと決まって断られました。


「ナタニエルさま、ごめんなさい。今日は弟と一緒なのです。あの、彼は人見知りが激しいところがあって……」


 弟のパスカルには超過保護なエマでした。君がそんなに弟を守りすぎるから彼はいつまでたっても自立出来ないのじゃないか、と言ってやりたかったけれど我慢しました。


 何だかパスカルに対して嫉妬している自分をさらけ出すのが嫌だったからです。認めたくはありませんが、実は僕の方がエマにのめり込んでいたのです。


 冬が近づき、外は肌寒くなってくると休み時間に校庭の定位置でエマに会えなくなりました。僕の魔術科と彼女の普通科は棟も違うし、休み時間を教室で過ごすことが多くなったからです。


 僕は冬でも校舎裏の森にある秘密基地に良く行っていました。ある日、僕はとうとう従兄弟たちだけで使っているその秘密基地にエマを案内したのです。


 エマは口が堅い信頼できる子だということは分かっていましたが、少し軽率すぎたかもしれません。


「ルクレール第二秘密基地へようこそ。お嬢様お手を」


 第二秘密基地は冬場に使う森の奥にある崖の横穴です。彼女の手を取って、僕は洞窟の中に案内し、敷物の上のクッションの上に座らせました。


「素敵なところですね。秘密基地なのに私を招待して下さってありがとうございます」


「うん。だから誰にも秘密ね。パスカルにもだよ」


「分かりました。ありがとうございます、ナタニエルさま」


 彼女は未だに僕のことをそう呼んでいるのです。


「ねえ、もうそんなに固くならずに、ナットって呼び捨ててよ」


「よろしいのですか、では……ナ、ナット」


 頬を赤らめる可愛らしいエマの唇を奪いたくなってしまいました。けれど何となく行動に移せませんでした。


「何どもっちゃってるの」


「だって緊張してしまって……」


「可愛いね、エマちゃんは」


 それからは二人の距離が縮まっていくのに時間はかかりませんでした。僕は秘密基地でエマと二人きりになる度に彼女にキスをするチャンスを今か今かと狙っていたのです。


 不自然にならず、強引に彼女を引き寄せたりせず……けれど彼女はまだ頑なで、拒絶されたらと思うとどうしても出来ませんでした。


 恋愛にかけては百戦錬磨の僕の親友マキシムが聞いたら笑い転げそうです。奴には絶対に秘密でした。


 冬の間、エマはパスカルと昼食をとらない日には良く秘密基地に来ていました。僕が瞬間移動や浮遊魔法で崖側の穴から現れると、エマは決まってクッションにもたれて蝋燭の明かりの下で本を読んでいるのです。


 そんな穏やかな時間を壊したくはありませんでした。




***ひとこと***

しばらくナタニエル視点の回想が続きます。


学生時代は紳士的で穏やかな性格だったナタニエル君です。これから何だかやたら粘着質で甘えん坊な彼になっていく過程?をお楽しみください。

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