第3話

「むっすぅ……」

「それ、声に出して言うことか……不機嫌なのは分かったけど」

「私の相談なしに決めるなんて、お兄ちゃんの薄情ものっ! サラ、不機嫌です」

「そうはいうけどなあ……」

 僕の膝の上、太ももの上に載っている、サラの髪を丁寧に梳く。ついでに、頭の犬耳もふにふにとマッサージしながら、思わず半眼になる。

「膝枕で、くつろがれても説得力がないぞ。むしろ、ご機嫌じゃないか?」

「いーえ、不機嫌なのです、だから、お兄ちゃんは私を甘やかしてくださいっ」

「はいはい」

 僕はなだめるように頭を撫でてやると、彼女は居心地良さそうに喉を鳴らす。

 その様子に、テレビを見ていたフィアは横目で見つつ、首を傾げる。

「やはり、猫……?」

「こら、フィア、ややこしくすることを言わない」

「ん……」

 フィアはテレビに目を映す。日本語はまだ不慣れらしく、楽しめる動物番組を見ている。テレビの中では、猫がもふもふされて夢見心地になっている。

 なるほど、猫の撫で方講座か……。


『はい、ここでポイントなのは、猫ちゃんがリラックスしているときに、撫でてあげることですね。首の付け根や、背中、あるいは尻尾の付け根など――』


 テレビの手つきを真似して、首筋を撫でると、サラはんん、と喉を鳴らし、膝に顔を擦りつける。自分の匂いを嗅いでご満悦――。

 どうでもいいけど、股間のあたりの匂いを嗅ぐの、止めてくれません?


『飼い主に懐いていると、よく匂いを嗅いでくるんですよねぇ』


「――やはり、猫」

「私は、犬っ!」

「だから、人狼つってんだろ、狼の自覚あるのか……?」

 まあ、膝の上でくつろいでいるのを見ると、こっちもその認識が薄れてくるのだが。

 ため息をこぼしながら窓の外を見やる。夕焼けが、空を焦がし始めていた。

「そろそろ、夕飯の支度だな。サラ、手伝ってくれるか?」

「ん――分かったっ」

 名残惜しそうなのも一瞬、すぐに頭を上げて立ち上がる。僕も立ち上がりながら、スマホの方を見やる。未だ、兄さんからの連絡はない。少し前に、電話を入れたのだが。

「――落ち着いたら、里に連絡しよ? お兄ちゃん」

 その内心を汲んでくれた幼なじみが、控えめに微笑みかけてくれる。僕は頷きながら、軽くぽんと頭を撫で、一緒に台所に並んだ。

「フィア、何か食べたいものとか、嫌いなものはあるか?」

「キノコ以外なら」

「そっか、じゃあ、適当に作るとすっか」

 いつも通りの台所風景。だけど、わずかにサラが張り切っている気がする。

 いや、犬耳がぴんと尖っている時点で、それは明らか、か。

「――なんで、そんなに張り切っているん?」

「は、張り切っていないけど……今日は、お兄ちゃんに楽してもらおうかなー……なーんて」

「……そうか? まあ、気持ちは嬉しいけど」

 若干、テンションが空回っている節がある。

 フィアの登場に、何か焦っているのだろうか? でも、アイリと三人で暮らしていたときは、こんなに焦っていなかったんだけどな……。

 少し、サラの方を気遣いながらも、今日は簡単な炒め物を作るのだった。


『ふむ……? ハルトが、その子を匿え、と言って連絡を絶った?』

「はい……そうなんです。長老」


 夕食後、僕とサラはスマホで里に連絡をつけていた。

 故郷の異境は千葉県の、房総半島の山の中――通称、南総里見。特に犬や人狼といった獣人が多く、かの有名な八犬伝はここから着想を得たという伝承もある。

 そこの里の主にて、サラの父である、初老の男性は、厳めしく髭を撫でながら言う。

『確かに気になる点ではあるが……その、フィアンメッタ、殿といったか』

「ん……よろしく」

『うむ、よろしゅう。それで、イタリア出身で、どこかの組織に追われている、と聞くが……その詳細は分からないのか?』

「国際的な、組織。私たちは〈組織〉と呼んで――あ、そういえば」

 ふと、フィアは電話を覗き込みつつ、わずかに表情を動かす。

「ハルトは一度、きめらきかん、と呼んでいた」

『きめら、きかん……キメラ機関――? ふむ、ハルトが使えないのは痛手だが、他の諜報員に連絡して――うむ?』

 スマホの向こう側で、会話する声が聞こえる。長老が顔を横に向け、誰かと話しているようだが――長老が横に退き、一人の少女が顔を覗かせる。

『あ、リント、サラ、聞こえますか?』

「あ――アイリか。まだ、そっちにいたんだな」

『はいです。久しぶりです』


 電話の向こうで笑う、しとやかな黒髪の少女――鬼の少女、アイリだ。

 この前の夏、彼女は行方不明になった兄を探しに、僕を頼ってきた。結果的に、彼女の兄、ユウキさんは異境狩りという、異境人を狙った襲撃犯に拘束されており、それを僕が助け出したのだ。

 夏の終わりに、南総里見の里へ旅立ち、お礼のあいさつをしていたはずだが――。


『少し長居をさせていただきまして――兄の傷のこともありましたし』

「そうか……ま、元気そうで何よりだ」

『はいです。それで、キメラ機関なのですが……兄に心当たりがあるそうで。今、電話を代わってもらいますね』

 その言葉と共に、アイリの顔が引っ込み、端正な顔つきの青年が代わりに出る。

 目尻を緩め、久々の再会に彼は笑う。

『久しぶりですね。リントさん。十日ぶりくらいですか』

「ええ、お久しぶりです。ユウキさん。そちらは快適ですか?」

『はい、快適に過ごさせてもらっています』

 アイリの兄、ユウキさんとは二度だけだが、面識がある。吸血鬼の青年であり、岡山県にある異境、吉備高原の里の次代当主とされる――有力な異境人の一人だ。

「早速ですけど、キメラ機関とは……?」

『ええ、吉備高原は〈鬼〉の里で、中華とも交わりがあるのですが――その民から聞いた、異境の研究組織、の名前が確かそうであったと』

「異境の、研究組織?」

『ええ、どこの国にも所属しない組織らしく、足取りが分からないそうなのですが……各国のマフィアに通じている節があります』

 マフィア。ふと、夏の頃、ハルト兄さんが壊滅させたイタリアのマフィアを思い出す。そこで、彼は人身売買されていた異境人を保護した、と言っていた。

 イタリア――待てよ。確か……

「フィアは、確か、イタリアの出身だよな? もしかして――そこで、兄さんと?」

「ん、知り合った。囚われの私を、助けてくれた」

「――ユウキさん、多分、その筋でクロだと思います」

『……みたいですね。長老様、これはまずいかもしれません』

 僕とユウキさんは視線を交わし合い、頷き合う。まだ、状況が掴めていなさそうな長老に、僕は説明を加える。

「キメラ機関ですが、恐らく――異境人を非合法的に拉致する組織です。兄さんは偶然その足取りを、マフィアを壊滅させた際に掴んだのではないでしょうか?」

『そして、それがバレて、追われる身になった――自身が囮になることで、追跡を躱しながら、フィアさんを信頼できるリントさんのところに送り届けた――というのが、筋の通る話ですね。となれば、キメラ機関は、日本に侵入しています』

「かの組織を放置すれば、恐らく各里も被害を受けかねません。できるだけ早く、各里に連絡を回し、キメラ機関に警戒すべきよう、促すべきです」

 僕とユウキさんの交互の説明に、長老は眉間に皺を寄せながら頷いた。

『どこか、眉唾に思えるが、な……注意するよう、周りに促そう。ひとまずは、ハルトとフィアンメッタ殿の保護だ。里の者を、すぐに向かわせる』

『ええ、ハルトさんが行方不明と言うのは、日本の里の損害にあたります。吉備高原からも応援の人間を来させます』

「お二人とも――ありがたい限りです」

 これで、こちらの身辺警護は安全だろう。ほっと一息つく。

「ひとまず――フィアンメッタの部屋は、隣で良いですか?」

『ああ、前、アイリ殿が暮らしていた部屋か。そこで構わん。使ってくれ』

『はいです。私の残した、家具も使って大丈夫ですよ』

「ありがとうございます。とにかく、こちらは念入りに周囲を固めていきます」

『ああ、こちらもユウキ殿と連携し、事態の把握に努める。そちらも、ハルトから連絡が合ったら、すぐに連絡してくれ』

「了解です」

 しっかりと確認を終え、通話を終了する。サラは終始、難しそうな顔で見守っていた。

「お兄ちゃん、キメラ機関って……?」

「分からない。ひとまず、兄さんの連絡待ちだろう。無事なら――隙を見て、連絡を寄越すはずだ」

「――私も、護衛に残った方がいい?」

「いや、ひとまずいつも通り、学園に通ってくれ。どうにも、変な監視がこの街でちょろちょろしていてな――僕たちも帰り道で尾行された」

「うーん、公安警察とかじゃないといいけど」

 ハルト兄さんが警察と通じているとはいえ、全ての警察組織が忖度してくれるわけではない。特に、公安警察などは、非常に厄介だ。

 彼らの連携はしぶとく、かつて何度も同胞が掴まりかけたことがある。

 ちなみに、それでも僕たちが公安の手から逃れているのは、宮内庁のおかげだ。かつて、僕たちの祖先が天皇家に仕えた歴史もあり、彼らは僕たちと協力関係にある。

「とにかく、相手に情報を与えたくない――いつも通り、サラは学園に。こっちは今のところ、僕だけで何とかする。まあ、フィアからしてみれば、不安かもしれないけど」

「ううん」

 と、フィアは首をふるふると振り、無表情な顔でわずかに口角を吊り上げる。

「リントを、信じているから……」

「むうぅ……っ!」

「あたっ、サラ噛みつくな! 今日は一体どうした!」

「何にもかんも、お兄ちゃんが悪い!」

「――新しい、プレイ?」

「そんなプレイはいらない、つーか、フィアも見ていないで助けてくれよ……」


 自分の腕に首筋にかじりつく――ように見えて、不安そうに甘噛みするサラの頭を撫でながら、僕は新しい事件の幕開けにため息をこぼすのであった。

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