第二章 幼なじみと新しい日常

第6話

 枕元で揺れる、微かな振動――無意識で手を伸ばしながら、目を覚ます。

「んっ――と……」

 振動の主、スマホを止め――胸元の温もりに視線を落とす。

 そこで寝息を立てているのは、まだ幼なじみの少女――朝の光の中で見ると、その大人びた顔つきに、少しだけどきりとする。覗かせた八重歯が、どこか色っぽい。

「ん、にゃ……くぅん……」

 だが、その寝息と共に、口元から涎を垂らしているのを見て、少し安堵する。気づかないように、そっとその口元を拭ってやっていると、彼女はわずかに身を震わせた。

「んむぅ……ふにゅうぅ……くぅん、ん――――くぁ……」

 目を覚ましたのか、可愛らしく欠伸を漏らしながら、瞼を薄らと開く。猫のように、手の甲でこしこしと顔を擦って――ぼんやりと、僕を見上げる。

「おはよう。サラ」

「ん、あ、おにぃ、ちゃん……?」

 寝ぼけた声で小さくつぶやき、その目がまばたきする。ようやく頭が覚めてきたのか、わずかに頬を染めて、こつんと額を胸に押し当ててくる。

 ぐりぐり、と頭を擦りつけて――はぅ、と息を漏らす。

「夢じゃない……」

「おう、まだ寝ぼけている?」

「――少し、だけぇ……」

「ああ、んじゃ寝とけ。朝ごはんの準備、しておくから」

「んむぅ……」

 昔からサラは寝起きが良かったはずだが――少し疲れが残っているかもしれない。

 ベッドから抜け出し、僕は台所に立つ――さて、昨日の残り物で、何が作れるかな。


「荷物が届いたら、買い物に行こうか」

 そう切り出した僕に、サラはトーストをくらえたまま、ぴんと犬耳を尖らせた。

 朝食はサラダとトースト、ベーコンエッグとなっている。トーストは残っていた一斤分を、全部焼いた。それでもう、冷蔵庫はすっからかんだ。買い出しは行かなければならない。

 それに、サラの生活用品も、買いに行かないといけないし。

「――行くっ! お買いものっ!」

 彼女はトーストをすごい勢いで食べると、ぶんぶんと勢いよく尻尾を振る。お散歩っ、とはしゃぐように目を爛々と輝かせて身を乗り出す。

 その口に、バターを塗ったトーストを食べさせながら苦笑いする。

「そこまで喜んでくれるのは嬉しいが、先に荷物を受け取ってからだな」

「ん、でも直に来ると思うよ? 受取先は、ここだし」

 はぐはぐ、とトーストをかじるサラ――と、噂をすれば、チャイムが鳴り響く。

「受け取って来るよ。食べていて」

「んっ、ありがとっ、お兄ちゃん」

 僕は席を立って玄関に向かう。扉を開くと、大きめの段ボールを抱えた、宅配便のお兄さんが少し重そうに息をつく――その腕からは汗が滝のように滴っている。

「お、お届け物です……」

「だ、大丈夫ですか!」

「お、重たいんで、部屋の中まで運びますね……」

「き、気遣いはありがたいですが、すごい汗ですよっ!」

 ぷるぷると腕が震えているのを慌てて支える――うわっ、おもっ!

 ずっしりと来る、重い荷物を二人で協力して隣の部屋に運び込む。申し訳なかったので、麦茶と塩アメをあげると、宅配便のお兄さんはぺこぺこと頭を下げて帰っていった。

 自分の部屋に戻ると、サラは緑茶を美味しそうに飲んで一息ついている。

 食パン一斤分のトーストは、すでに目の前からない――恐るべし。

「荷物、隣に運んだけど……ありゃ何だ? 小さい割に重かったけど」

「洋服と、あとお道具!」

「道具、ねえ……何を持って来たのだか」

 あと、家財道具が一切なかったけど、大丈夫なのかな?

 この賃貸、一応、クローゼットは置いてあるけど、それ以外の家具はない。

「一息ついたら、ひとまず荷解きするか」

「うんっ!」


 食事を終え、サラに手伝ってもらって後片付けを終えると、荷物を置いた隣の部屋に戻る。カッターで荷解きすると、そこには服が詰まっていた。

 いろとりどりの着物と、お洒落な洋服がいろいろある。彼女は大事そうに取り出し、クローゼットの引き出し部分に収めていく。

 さすがに、女の子の服に手を出すのは、まずいな……。

「――何か、手伝う必要は?」

「えっと、箱の底の方に道具箱があるから、取り出してくれるかな」

「了解」

 段ボールには少しの服と、底にある木箱しかない。それを取り出そうとして、ふとその上に可憐な布が置かれていることに気づく。

 下着……では、なさそう。手入れの布かな?

 取り出して広げてみると、木綿の布で、カラフルな染物がしてある。肌さわりがいいが……はて、これは一体?

「あ――お兄ちゃんっ、それはダメっ!」

 慌てた様子でサラがそれを手からひったくる。それを掻き抱きながら、うぅ、と頬を赤らめてじっと睨んでくる。

「これ――私の下着っ! さらしっ!」

「あ――すまんっ!」

 そういえば忘れていた。彼女たちの下着は、こういう布を肌に巻くのだ。

 うううっ、と唸りを上げ、耳を立てて威嚇してくるサラは、段ボールからまとめてさらしを掻っ攫うと、丁寧に畳み始める。

 気まずくなりながら、段ボールの底の木箱を取り出す――ずっしりと、重たい。

 蓋を開けてみると、中にはずらりと黒光りする金属が並んでいる――。

「クナイに、手裏剣、鋼糸、水蜘蛛、吹き矢――すごいな、忍び道具一式か」

「これでも絞った方なんだけどね……これが役に立たなければいいね」

「ああ――これは、クローゼットにしまっておくか?」

「短刀とかだけは、すぐに手につくところに出しときたいかな。台所に置いといてくれる?」

「ああ、三振りくらい出しておくよ」

 三本見繕って脇に除けておいてから、木箱に蓋をして、サラに手渡す。

 彼女が丁寧にしまう傍ら、短刀を並べて台所に置いておく。鞘から抜けば、鏡面のように磨かれた鋭い刃が顔を覗かせる。

 異境の住民は、忍びの祖先と言われる。身体能力の高さで、彼らは戦国時代を暗躍したと言われるが――それは、すでに過去の話。

 今は、その技を口伝するのみ――こういう事態に、備えて。

「よし――っと、全部、しまい終わったよ」

「おう、そうか」

 鞘に刃を収める。振り返れば、じっと真っ赤な顔で半眼に睨んでくる少女。

「え、っと……?」

「お兄ちゃんの、えっち」

「う……あれは、事故だろう……」

 こっちも頬が熱くなる。むすっと頬を膨らませ、サラはつかつかと歩み寄ってくる。

「とにかく、お兄ちゃんに賠償要求しますっ」

「ふむ……要求は?」

 もしや、夕飯は倍以上、作れ、とかだろうか。いや、それぐらいならお安い御用だが……。

 覚悟を決め、問いかけると――彼女はもじもじしながら上目遣いで、手を引っ張った。


「――お出かけは、手を繋いで……いこ?」


 か、かわいい――っ!

 一瞬、意識が吹き飛びかけ、必死に自分を律する――自分は、お兄ちゃんだぞ。少しは威厳のあるところを保たねば。

「よ、よし、仕方ないな……じゃあ、買い物に行くか」

 そっと手を伸ばして、指を絡める――何故か、それだけなのにどきどきする。

 そうやって手を繋ぐと――サラはぱっと顔を輝かせて、うんっ、と元気よく尻尾を振った。

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