第四話 謎の老人

 その日も父が畑仕事をしていないことを確かめ、シュウはねぐらに戻る。いよいよ不安は募る。シュウの中では、禁忌をおかしてまで父の安否が確認したい思いは膨大なものになっていた。それをさせないだけの理由は、もうほとんど記憶から薄れていた。シュウは森の深くへ行って、ひと叫びしてみる。目の前の木は、根元のところからごっぞりと抜け、崩れるように倒れた。

 思えば感情の揺さぶられない行動を、これまで優先してきたような気がする。自分の持つ異能にふたをして過ごしていたかった。何ら変わらない。それがあっても何ら変わらない生活を、シュウはタンと一緒にできることに望外の喜びを見ていた。

 このまま穏やかに過ごしていたい。自分は感情のコントロールができているかどうかわからないが、衝撃的な出来事が何もなければ、感情が揺さぶられることもない。

 タンは、その日は珍しく早起きしていて――森の鳥と話をしていた。心底楽しそうに、時折腹を抱えながら、冗談を交えて話すその姿を見て、シュウはしばらく茫然自失の体だった。考えてみれば当たり前だ。タンは非常に打ち解けやすい性格だし、また話もうまく、面白かった。友人ができるのは当たり前かもしれない。でも、タンが話しているところへ自分が入っていったらどうだろうか? シュウは自分は森の除け者だという事実に打ちひしがれる思いだった。悲しみにくれながら、足を止めた。その場を後にすることが最善の策だと思った。

 久しぶりに、高台からの眺めを味わいたい気分になった。

 シュウの中でわだかまる理不尽への怒りは、森の仲間から外されている、その一点のみだった。シュウは丘からの景色を眺め、その下のどこかにいる父に向け内心毒づく。森に投げ出された当初のような気分だった。圧倒的な、孤独感。森が滅びる云々は、やはりただの脅し文句で、ただ父は自分を捨てたかっただけかもしれない。けれどそうするメリットは――思考が堂々巡りした末、ふと、やはりこの森にもう父はいないのではないか、という思いは急激に高まっていった。

 悲しみが込み上げてきた。シュウはいつもより強く鳴き声を上げる。土壌は荒涼とした泥濘となり、まるで怒り狂ったようにうねる。そうしてどろどろの沼地が出来上がった。

 悲しみにくれながら、シュウはとぼとぼとやるかたない感情を散歩で紛らわせた。ほこらの近くに差し掛かったとき、

「もし」

 シュウは背後からかけられたその声に完全に虚を突かれ、身動きできなかった。人間の声。シュウは恐る恐るそちらを振り返った。

 杖をついた老人が背中を丸めて立っていた。ぼろぼろの外套を羽織って、その表情はうかがえない。白く長いあごひげが伸びていて、顔の覆い布から飛び出していた。

「君はさっき、あの丘で沼地を作り上げた、間違いないね?」

 シュウは怯えて、返事をすることができなかった。なぜ動物の言葉をつかえるのか分からなかったし、昔から根付いた人間が怖いという思いが頭を一瞬で埋め尽くす。

「怖がるのも仕方ない。わしはとある彫刻師。名前を名乗るほどのものではない。この頃、森の自然が変化しているということを聞きつけて、東の街からやってきた」

 その杖の持ち手が、繊細な文様で彩られていることにシュウは気が付いた。そして、それを見ていると、なぜだか先ほどよりも安心したように気分になった。

「おじいさんは、僕を捕まえに来たの?」

 シュウはいくらか冷静になって尋ねた。とらわれて、異能を持つ狐として街で見世物にされるか、売り飛ばされるかのどちらかだと思った。

「わしはこのほこらの石像を造った者の末裔……我々は大師と呼んでいるが。気分は乗らないじゃろうが、少し、昔の話をさせておくれ。大昔の話だ」

おもむろに、そしてまるでそのことを話すことをこれまで心待ちにしていたかのように、胸を張って、さらにかぶっていたフードを脱いで、老人は語り始めた。

「大師が生まれたそのときは、ようやく森を切り開いた人里も栄え始めたころじゃった。人間が、自分たちの暮らしに邪魔をすることが増えるから、森の動物たちは、それをよくは思わなかった。そこで、森の主であるとともに、君と同じ異能を持った狐が、自然を操り、人里に災いを起こそうと考えた――大師は、そんな狐と、人間の間を取り持った。互いに干渉を避けることを取り決め、記念としてこのほこらを立てたのじゃ……。そして、狐の力を分析し、それを封じる力を込めて石像を彫った。人里に、その能力が及ばないように――」

 眠るような表情で、老人はすらすらと話した。

「今では石像の能力も、薄れてしまったのじゃが。しかし、それだけの力を石像に込められる人間は、大師のほかにいない。わしは今、人里の守り神として狐の像を彫っているが、なんの力も込めることはできないよ」

 老人は、一息吸った。

「その狐の末裔が現れるたびに、我々大師の子孫はそれを伝えてきた……そのために、一子相伝の話術をわしも父から教わった。今では動物の言葉を話せる人間は少なくなってしまったな――話が脱線して申し訳ない。わしたちには使命がある。その、能力を持った狐を象った像を彫り、人里に祀ることじゃ。そうして、人里の豊穣を願う慣例となっているのじゃ」

 シュウの頭は、その情報を一気に処理することができず、ただ呆然と聞いていた。ゆっくり考えていたところ、老人は質問を促したので、

「では、尋ねていいですか」

「もちろん」

「能力が備わっているとわかったとき、僕は父に棄てられました。また、森の仲間ともかかわりを断つよう言われました。そういうしきたりだということです。そのしきたりは、本当にあるんですか。そして再び出会う禁忌を犯したらどうなるんですか」

「それは――君たちの間の取り決めじゃろう。確かに先祖の話を聞くと、能力を持った狐は一頭きりで過ごしていた。――君はまだ若いね。若いうちから能力が発現するものは、なかなかいない――年端もいかぬ子を棄ててしまうのは酷なことじゃな……君にとっても、君の父親にとっても」

 老人はしばらくあごひげをさすって思案気な表情をした。

「わしには、何とも言えんな……君たちの間の因襲に、口出しをすることはできん」

「そうですか……」

「けれど、わしがその様子を見てきて、伝えてやることならしてもよかろう」

 シュウは目を輝かせた。すぐに父の住処と、特徴を老人に話した。

「でも、森にはたくさんの気性の荒い生き物がいますよね……」

「それは大丈夫。わしらの血筋には、彼らをなだめる能力が受け継がれている。君もこの杖を見たろう。この文様は、動物たちを安心させる効果があるのじゃ。大師も沢山いるオオカミやヤマネたちの中で話し合いの場を持ったのじゃよ。――分かった、様子を見てこよう。さて」

 老人は咳ばらいをして、

「君の像を彫らせてもらいたい。よいかな?」

 シュウはそれに関して、全く悪い気がしなかった。なぜなら、自分というものが変わらないものとして残ることが嬉しかったからだ。シュウはうなずいた。

「ありがとう。明日の夜に、出来上がった像と、君の父の情報を持ってやってくる。ちょうど明日は満月だな……満月が、空の天辺にくる頃にまたここで会おう。それでは」

 老人は再び頭に覆い布をかぶり、杖をついて歩いていった。

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