VOL.7

 1階のエントランスに着いて、ドアが開く。すると、ガラスの入口の向こうに、来た時と同様、ベンツのリムジンが横付けになっているのが見え、運転席の側に、あの運転手が立っていた。


『乗って行ってくれ』チュンの兄貴は俺と彼女の顔を交互に見ながら言う。


『それには及ばない・・・・いや、ここは素直にご好意に甘えるとしよう』

俺の答えに満足そうに頷いてから、

『チュン、首領ちちうえだけではない。私にもたまにでいい、手紙でもくれ。何ならメールでも構わん』と、妹にも声をかけた。


『はい、お兄様』


 彼女は兄に向って深々と礼をした。


『イヌイ、だったっけな』


 車に乗りこむ刹那、兄貴がまた俺に声をかけた。


『探偵に飽きたら、連絡をくれ。』彼はスーツの内ポケットから名刺を取り出して俺に渡してくれた。表には英語、裏には漢字で名前と肩書、それに電話番号とアドレスが見事な活字で印刷してある。


『まあ、爺さんになって喰えなくなったら、考えてみよう』

 俺の答えに、白い歯を見せて笑って返した。邪気のなさそうな、爽やかな笑顔だ。

 

 俺達が車に乗りこみ、走り出すと運転手がバックミラーを覗き込みながら、


『驚きです・・・』と、何かに感動したように話しかけてきた。


『私はお仕えしてもう十年以上になりますが、大兄があのような笑顔を作られたのを初めて拝見しました』


『私もです。それに、兄が初対面の方に名刺を渡すなんて、滅多にないことですよ。』


 チュンもまた、同じような口調で言った。


 へぇ、と俺は思った。俺だって不愛想だとたまに言われるが、やっぱりどこか引き合うものがあったのかな。もっとも男に好かれるのはあまり趣味じゃないが。


 彼のベンツはそのまま半時間もかからずに俺のビルの前に横付けになった。


『ではお嬢様、くれぐれもお身体大切に』


 ドライバーの男は、俺達二人を下ろして、走り去る間際、丁寧かつ穏やかな口調でそう言い、深々と頭を下げた。


「さて・・・・これからどうするね?』


『とりあえず私は自分のアパートに帰ります。荷造りもしなければなりませんから』


 南米の『恋人』のことだな。俺は思った。


『いつ出発だね?』

『来週です。今度の事、一日も早く逢って報告しなければなりませんから』


 親や兄に似て、その点はきっちりしてるんだな。


 まあいい。


『だったら、俺が送ってやるよ。その前に、ちょっと事務所に寄ってゆきな。契約期間は二日だけ残ってる。それ迄は俺が許嫁フィアンセだぜ』


 俺は彼女に背を向け、そのままビルの中に入ってゆく、彼女は俺の後を小走りでついてくる。


(まるで時代劇の世界の夫婦だな。)


 俺は心の中で苦笑した。


 

 その後の二日間、俺達は誰にも邪魔されずを満喫した・・・・と書きたいところだが、特に何かあったわけではないさ。


 買物に行き、酒を呑んで、彼女の作ってくれた料理を食べ、洗濯をして貰い、シュラフの中で星を眺め・・・・それで終わりだ。


 二週間が過ぎた。


 俺はジョージに頼んで車を出して貰い、一旦彼女のアパートに行き、彼女の荷造りを待ってそのまま家を出た。


 ジョージは相変わらず、傷だらけの4WDでやってきた。


『ハネムーンならピッカピカのキャデラックにした方がよかったか』などと軽口を叩いている。


 成田までの道のりは、彼にとっては『庭の中を電動カートで走り回るみたいなもん』で、渋滞の中をまるで魔法のように走り、気が付いたら何時の間にか着いていた。


『じゃ、な。彼氏によろしく』


『色々と有難うございました。御恩は一生忘れません。』


 彼女はそう言い、握手をした手をぐっと握りしめ、俺を引き寄せようとした。積極的なだな。


『残念だが、もう契約の時間は終わってるぜ』


『そ、そうでした』


 彼女はまた元の顔に戻り、バッグから封筒を取り出した。


『これ・・・・残りの必要経費と、それから・・・・お礼です』


 俺は封筒を開けてみた。


 確かに幾分多目に入っている。


『余分な金を受け取るのは契約に反するところだが・・・・まあ、いいだろう。有難く貰っておく』


 間もなく、搭乗手続きを告げるアナウンスが流れる。


『それじゃ』


 彼女はもう一度手を差し出した。俺も黙って握り返す。


 そして、すっと背筋を伸ばし、俺に背を向けてチェックイン・カウンターに向かって歩いて行った。



『済んだかい?』


 駐車場に戻ってくると、ジョージが車の側に立っていた。


 俺は指を立ててみせた。


『ほい』

 彼は俺に一本、コカ・コーラのボトルを手渡した。


『惜しいことしたじゃねぇか?乾の旦那?抱きしめて引っ張ってくりゃ良かったのに』


『これはビジネスだぜ。』

コーラのキャップを捻り、あふれ出そうになるところを上手く喉で捉えた。旨い。


『気取るな。石原裕次郎が』


『俺は裕次郎より、トニーの方が好きなんだ。どっちかといえば』


 苦笑いをしながら、ジョージが車を出す。

 どこか遠くで、747が上昇するエンジンの響きが聞こえてきた。


 それから4日たった。


 八月も終わりである。


 しかし残暑とやらで、まだ気長に暑い、俺はネグラのの外のテラスに置いたデッキチェアに寝そべっていた。


 隣ではボロの洗濯機がガタガタと身体を左右に振りながら作業を続けている。


 暫く怠けちまったんで、洗濯物が貯まり放題になっている。


(また乾いたらアイロンがけか・・・・素晴らしき世界よ、さようなら、ってか?)

                                終わり


*)この物語はフィクションであり、登場人物その他全ては、作者の想像の産物であります。

                                  



 





 



 

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wonderful World 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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