第37話 探索の旅路

 紫音と冬音は、年寄衆の会合に参加していた。次の新月の夜、儀式の生贄をどうするか、決めるための話し合いであった。

 生贄の話はおろか、儀式のことも鬼のことも、知っている者は数少ない。兵士たちには他に漏らさぬよう、固く口止めしていた。

 そんな中で、大府の住民から生贄を選ぶことなど不可能であった。突然、人がいなくなれば、すぐに噂が立つであろう。借金を抱え、夜逃げでもしそうな者がいないか、犯罪を犯して牢屋にいる囚人から選ぶか、一人暮らしの老人を生贄に捧げるか、などと意見は出たが、一向に決まる様子はない。

 生贄は一人。しかし、何の罪もない人間に対して死刑の宣告をするに等しいのである。簡単に決めることができないのも仕方がない。

 議論は朝から延々と続き、とうとう陽が傾き始めた。

「冬音殿、生贄はどんな人間でも構わないのですな」

「はい、悪人だろうが老人だろうが構いませんわ」

 最終的に、一人の男が選ばれた。夜間、家に押し入って一家全員を惨殺し、貨幣を盗んだ罪で捕らえられ、近々斬首することが決まっていた者だ。身寄りもなく、遺体がなくても怪しまれることはないだろう。見せしめのため、斬首は公衆の面前で行われるのが常だが、牢の中で病死したとすればいいだろう、という話になった。

「最期には大府の民のために命を捧げることになるんだから、むしろこれでよかったのかも知れませんな」

 紫音が冬音に話し掛けた。確かに、公衆の冷ややかな視線を浴びながら死んでいくよりは恵まれていると思えるのかも知れない。死んだ者がその後どんな扱いを受けるのか、紫音に知る由もないが。

 これで、次の新月の夜についてはなんとか目処が付いた。しかし、一ヶ月経てば、また新月の夜はやって来る。これから毎月、生贄を決めなければならないことを考えると、年寄衆たちの気は重くなった。

 そして、新月の夜まであと数日と迫ったときである。思わぬ事態が年寄衆たちを慌てさせた。生贄の予定にしていた死刑囚が自殺したのである。布切れから作った紐を使い、牢屋の中で首を吊っていたのを兵士が見つけたときには、囚人はすでに事切れていた。


 小春は、森神村へと戻ってきた。

 まだ陽が落ちる前、村には多くの人が野良仕事を終えて家の前でくつろいでいた。子どもたちが村に入ってきた小春の姿をすぐに見つけ、後ろを付いて歩く。今日は、桃香の姿はなかった。

 与一の家に近づくと、見慣れた女性の姿が目に飛び込んできた。晶紀が森神村にいることに小春は驚いた。

「晶紀さん?」

 小春の声に気づいた晶紀が、小春に向かって大きく手を振った。

「小春様、ようやくお会いできました」

 小春が、与一と晶紀の下に近づくや否や、晶紀はそう言いながら小春に抱きついてきた。

 その晶紀の背中を軽く叩きながら

「どうして晶紀さんがここにいるんだい?」

 と小春は尋ねる。

「冬音様からお暇を頂いたのです。これからは、小春様のために尽くしとうございます」

 そう話す晶紀は、なかなか小春から離れようとしない。

「晶紀さんは、随分長い間ここで待っていたよ」

 と与一が小春に告げた。

「一人でよくここまで来れたね」

 小春はようやく離れた晶紀に向かって話し掛けた。

「不安でしたが、なんとかたどり着くことができました。それより、白魂へは何用で?」

「ああ、この刀を鍛えた鍛冶師の足取りがないか探しに行っていたんだ。鍛冶師の行方までは分からなかったが、私が生まれた場所は分かったかも知れない」

「生まれた場所? 白魂ではないのですか?」

「地図を見つけたんだ。ここに写してきたものがあるよ」

 小春が、懐から一枚の紙を出した。

「ここでは何だから、俺の家に入んな」

 与一が、二人を家の中に招き入れた。


「ここが白魂だ。そして、これが森神村」

 小春が、地図を指差しながら説明した。

「目的地は、大虫村の南側ですか。確か、あそこには沼がありますね」

「晶紀さん、知っているのかい?」

 これは晶紀ではなく炎獄童子の記憶にあった。

「仙蛇の谷で偶然耳に入れたのです」

 炎獄童子は適当にごまかした。

「道に迷った時に沼へたどり着いたことがあったんだ。その南に、険しい道があった。ここがその道にあたるんじゃないかと思うんだ」

 そう言いながら、小春が地図に指で丸を書いた。

「この先は一本道のようですわね」

「ああ、だから、沼までたどり着けば、あとは道沿いに進むだけで辿り着けそうな気がする。但し・・・」

 小春は与一と晶紀の顔をじっと見つめながら話を続けた。

「道はかなり険しい。崖を下りていくようなものだ」

「そんな先にいったい何があるんだい? 村があるとは思えないが」

 与一の問い掛けに小春は首を振って答えた。

「分からない。でも、もしかしたら鍛冶師の行方を知るための手掛かりが残っているかも知れない」

 沼の先に何があるのか、炎獄童子もそこまでは知らなかった。あの巨体で進めるような場所ではないからである。

「その鍛冶師とはいったい誰なのですか?」

 晶紀が、何気ない風に尋ねた。

「鉄斎というらしい」

「鉄斎・・・」

 このまま小春に付いていけば、鉄斎のいる場所にたどり着けるかも知れない。炎獄童子はそう考えた。

「私は、明日にでもこの場所へ向かうよ」

 そう告げる小春に対して、晶紀は

「私もお供させて下さい、お願いします」

 と頼み込んだ。

「危険だから、晶紀さんはここに残ってくれ」

 小春はそう言って拒否するが、晶紀は

「私は身も心も小春様に捧げました。後生ですから、連れて行って下さいまし」

 と懇願し、床に手をついて頭を下げた。

「困ったな・・・」

 小春は与一の方を見たが、与一も小春の顔を見ながら肩をすくめるだけだった。

「じゃあ、行ける所まで付いてきな。だが、無理だと分かったらそこであきらめるんだぞ」

 小春は渋々、晶紀の願いを聞き入れた。


 その日の夜、小春と晶紀は同じ宿に泊まった。

 夕食を食べ終えて、風呂にも入り、明日のために早めに寝ようと小春が床に就いたときである。

 晶紀が枕元に座り、小春に話し掛けてきた。

「小春様・・・」

「どうした?」

 寝たままの状態で小春が晶紀の方を見上げると、晶紀は微笑みを浮かべながら言った。

「小春様は、私の体をご所望でございました」

「えっ?」

 小春は驚いた顔をした。

「もう誰も邪魔は入りませぬ故、どうぞ、お好きになさって下さいまし」

「どうしたんだい、晶紀さん? 今までそんな事、一度も言ったことがないのに」

 晶紀は、小春の言うことを無視して着ている衣装を脱ぎ始めた。

「晶紀さん、今日はいいよ。明日は早いんだからもう寝よう」

「小春様は、晶紀のことがお嫌いか?」

「いや、そんなことはないが・・・」

 晶紀はとうとう全裸となった。

「さあ、小春様。私を抱いてくださいまし」

 そう言って、晶紀は小春のそばに体を横たえた。

「馬鹿なこと言ってないで、はやく服を着な」

 小春が体を起こすのを見て、すかさず晶紀が抱きついてきた。

 晶紀のいきなりの大胆な行動に小春が面食らっていると、戸を叩く音がした。

 小春が素早く晶紀を布団で覆い隠して大声で叫んだ。

「誰だい?」

「与一だ。夜分すまない」

 小春が戸を開けると、そこには与一と一緒に桃香が立っていた。

「ももちゃん?」

「小春お姉ちゃん!」

 桃香が小春に抱きついてきた。

「どこから聞いたのか、小春さんが戻ってきたことを知ったみたいでね。それで駄々をこねたようだ」

「また、泊まりに来たのかい?」

 小春の言葉に桃香は大きくうなずいた。

「すまない、明日は出発だというのに」

 申し訳なさそうな顔で謝る与一に

「いや、おかげで助かるよ」

 と小春が笑って返すので、与一は訝しげに小春の顔を見た。


 翌朝、空は灰色の曇り空であった。

「暑さが凌げるからいいな」

 空を見上げて小春はつぶやいた。

 その日も与一、桃香、そして晶紀と一緒に夕夏の墓を参り、その後に牧場へ向かった。

「ももちゃんとの約束だったからね」

 小春が作った花かんむりを、桃香は嬉しそうに受け取って頭に乗せた。

 そして、桃香も小春に教えてもらいながら、せっせと花かんむりを作っている。

 与一と晶紀は、そんな二人の様子を座って眺めていた。

「晶紀さんは、こういう遊びはあまりしないのかい?」

 与一が何気なく晶紀に尋ねた。

「私は花にはあまり興味がなくて」

 と晶紀は答えた。

「でも、ああやって遊んでいらっしゃる小春様を見ると、なんだか子供のようですわ」

 晶紀の言葉に、与一もうなずいた。

「小春お姉ちゃんは、ここにずっといることはできないの?」

 桃香が小春にそう尋ねた。

「いつか、毎日いっしょに遊べるようになるといいんだけど、もう少し掛かるかな」

 その言葉に、桃香は下を向いた。

「小春お姉ちゃん、いつか、どっか遠くへ行ってしまうような気がする」

「どんなに遠くへ行っても、ちゃんとここに戻ってくるよ」

「でも、もう戻れなくなるようなところに行っちゃったら?」

 そう言って桃香は小春の顔を見た。涙で目が潤んでいた。

 小春は、桃香の頬にそっと手を当てて

「大丈夫、そんな所には行きはしないから」

 と言いながら桃香に微笑みかける。

 桃香と手をつないで、小春は与一と晶紀の下へ近づいた。

「今度はいつ戻ってくるか分からないが、近くを通ることがあれば立ち寄るようにするよ」

 そう告げる小春に

「今回は何があるか分からないからな。くれぐれも気を付けてくれよ」

 と与一は声を掛けた。

「ももちゃん、また会えるからね」

 桃香は、泣きそうな顔をしている。

 そんな桃香の両手を取って

「約束するから」

 と小春が笑顔で口にすると、桃香は小春に抱きついてきた。

 しばらくの間、桃香は小春から離れようとはしなかった。

 まるで、これが今生の別れとなるかのように。


 剣生の家にあった地図には、森神村から北の方へと道が伸びていた。

 北へ進んだ後、途中で西へと進む。すると、仙蛇の谷へと通じる十字路に出るようだ。

 実は、この道は月影が仙蛇の谷から森神村へと旅をした時に通っているのだが、小春がそれを知るはずはない。

 道は、山間を縫うように走っていた。時々、前方から冷たく湿った風が雨の匂いを運んでくる。

「どこかで雨宿りしなきゃならないな」

 小春が誰に言うとでもなくつぶやいた。

 昨夜の一件から、晶紀は何事もなかったかのように静かに付いてくるだけで、おかしな行動をする様子はない。

 晶紀が、自らあのような振る舞いをするなどとは、小春は夢にも思っていなかった。そんなこともあって、どうも晶紀に話し掛けることができない。

 晶紀も、小春に話し掛けるようなことはなかった。二人はただ黙々と先へと進むだけだった。

 やがて、気にしていた雨が降り始めた。雨宿りできそうな木陰を見つけ、その下で二人は座り込んだ。

 空から降ってくる雨を退屈そうに小春が眺めていると、晶紀が話し掛けてきた。

「鉄斎という者、小春様はご存知なのですか?」

 晶紀の方を見て小春は答えた。

「全く知らないな。だが、もしかしたら私の父親なのかも知れない」

「父親?」

「本当かどうかは分からない。だから会ってみたいんだ」

 炎獄童子は、小春が剣生の弟子であり、所有している刀は元々、剣生が使っていたものであるらしいということは知っていたが、なぜ、今はそれを月影ではなく小春が持っているのかが分からなかった。

「小春様は、どうしてその刀を持つようになったのですか?」

 炎獄童子は小春に問うた。

「師匠からの遺言さ。だから、鬼を倒すことも引き継がなきゃならなくなった」

「遺言ですか」

「本当は兄者の方が引き継ぐべきだと思うんだけどね。師匠の考えていることは分からないよ。私が所有者となる定めなのだとか言っていたな」

「小春様とその刀の間には何か関係があるということですか?」

「私が鉄斎という奴の子供であるというなら、まあ関係があることになるのかな」

 それだけの関係ではないのだろうと炎獄童子は思った。

「会ってみたいですね、鉄斎という者に」

 晶紀は人知れずそうつぶやいた。


 晶紀は、その後もおとなしく小春に付いてきた。小春もだいぶ安心して旅を続けることができた。

 そして何日か過ぎたある日、見覚えのある十字路が見えてきた。

「ここだ、仙蛇の谷への道」

 十字路を左へ曲がる。道はだんだんと下り坂になり、しばらく進んだ所にともすれば見逃してしまいそうな分かれ道があった。

 右手の細い道に入る。また分かれ道に出た。今度は左手へと進んだ。

 大きな沼が現れた。あたりに漂う腐肉のような臭気は相変わらずだ。

 反対側へ回り、南に進む細い道を進んでいく。

 ついに、深い崖の前までたどり着いた。ここからは岩場を下りることになる。

「晶紀さん、ここからは崖を下りていかなければならない。行けるかい?」

「大丈夫です。付いていきます」

 晶紀の言葉に、小春はため息をついて言った。

「わかった。気を付けるんだぞ」

 小春が先に、崖を下りていく。

 はじめは傾斜も緩やかであったが、下りるに従って徐々に険しくなり、とうとう垂直に切り立った崖を進まなければならなくなった。

 小春が上を見上げると、晶紀がゆっくりと下りてくるのが見えた。意外にも、恐れることもなく冷静な様子で何の問題もなさそうだ。

 眼下には深い森が見える。ようやく半分を下りたところだろうか。

 少し下の方に、段になった場所があった。小春は、岩場から手を離してそこまで一気に落ちていった。

 うまく着地すると、晶紀が到着するのを待つことにして上を見上げた。

 晶紀が上から落ちてきた。

 同じ段の上に器用に着地する晶紀の姿を見て小春は唖然とした。

「晶紀さん、山登りの経験があるのかい?」

「多少、経験したことがあります」

 よほど慣れていなければ、こんな崖を下ることはできない。小春は、晶紀の隠れた才能を目の当たりにしたように感じた。

 ついに二人は地面へと到着した。小春が見上げる先、頂上がはるか頭上にある。

「帰りはここを登らなきゃならないのか」

 小春は、うんざりだというような声で言った。


 あたり一面には木々が鬱蒼と茂っている。陽は西へ傾き、空が燃えるような赤に染まっていた。

 地図を見ながら小春が晶紀に告げた。

「ここから崖沿いに進んでいくと、森へ入る道があるようなのだが、地図だけでは西と東のどちらに進めばいいかわからないな」

「それより、道はまだ残っているのでしょうか?」

「ここに誰かが来ていることはまずないだろうから、道も消滅しているかも知れない」

 まずは、進む方向を決めなければならなかった。地図の上では、森の中の道は西へと伸びているので、とりあえず西へ進むことにした。

 木々は崖のすぐ近くにまで進出し、頭上は枝葉に覆われていた。木の根が地面を横たわり、足場は非常に悪い。

 崖沿いにしばらく進んだところで、驚いたことに森へと続く石畳の道を発見した。木に侵食されて崩れてしまった箇所が多々あったが、道があることをはっきりと示している。

「これを辿ればよさそうだな」

 あたりはだいぶ暗くなり、道の先は闇に包まれてよくわからない。夜になれば魑魅魍魎が現れる可能性もある。初めての場所で夜に動き回るのは危険だと小春は判断した。

「今日は、このあたりで休むことにしようか」

 小春は、道をたどるのを明日に延ばし、今夜はこの場所で野宿することに決めた。


 たき火を囲み、小春と晶紀の二人は夕食を食べていた。あたりは静まり返り、虫の音すらも聞こえてこなかった。

「明日には、小春様のお生まれになった場所にたどり着けるのですね」

 携帯食を食べながら、晶紀が小春に話し掛けた。

「本当に私の生まれ故郷なのかは分からないが、何かあることは確かだろうな」

「生まれ故郷なら村か集落の跡があるのではないですか?」

「どうだろうな。こんなところにわざわざ住む者がいるとは思えないが」

「しかし、現にこうして道が作られているわけですから。もしかしたら、俗世との関係を絶った人妖がいるのかも知れませんよ」

「この荒れ方を見る限り、すでに誰もいそうにはないがな」

 小春は、木々の間から顔を出す夜空の星を眺めながらそうつぶやいた。

「小春様は、遠い昔に大きな戦があったことをご存知ですか?」

 晶紀が小春に尋ねた。

「いや、知らないな」

「その戦のために、たくさんの村が滅んだと言い伝えられています。もしかしたら、その村の跡があるのかも」

「いったい、何が原因で戦になったんだろうね?」

「分かりませんわ、人間の考えることなんて」

 小春は晶紀の方を見て笑みを浮かべた。

「晶紀さんは人間じゃないのかい?」

 小春のその言葉に、晶紀は口に手を当てて

「あらやだ、そうですわね」

 と言って笑い出した。


 翌朝、二人は道なりに森の中を進んでいった。道は地図が示す通り、だんだん右の方へと曲がっていった。

「この先に目印が書かれているんだが」

 地図には丸い印が書かれている。

 やがて現れたその目印に、小春だけではなく炎獄童子までもが驚いた。

「何だこれは?」

 森の中には巨大な石の彫刻があった。それは完全な球形で、周囲は苔で覆われている。高さは小春の背丈の四倍以上はあるだろう。

 石の球体を中心に、石畳は東西南北に伸びている。小春たちは東側から入ってきたことになる。

「ここを左に進めばいいんだな」

 地図に書かれた次の目印は逆三角形だ。

「今度は三角の目印か?」

 果たして、現れたのは円錐を逆さにした形の巨大な石だ。頂点の方が地面に埋まっていて、倒れることなく設置されている。ここも石を中心に十字路となっていた。

「ここはこのまま真っすぐ進めばいいんだな」

 次はひし形の目印である。

 そして今度は、立方体の形の石だ。頂点のひとつが地面に埋まり、斜めに据え付けられている。

「誰がこんなものを作ったのだろうか」

 作るのも大変だが、設置するのもかなり苦労しそうだ。いったい、何を意味しているのか、小春には想像もできなかった。

 その後も、円柱や楕円体といった単純な形や、それらを組み合わせた形の石像が、中央に設置された十字路が現れ、その度に地図を確認して先へ進んだ。

「ここを右に曲がると、いよいよ目的地だ」

 最後の十字路を抜けてからどれくらい歩いただろうか。石畳の道の先にあったもの、それは一枚の巨大な鉄の扉であった。

 扉は崖に埋め込まれていた。小春が試しに押してみるが、当然のようにびくともしない。

「ここが目的地のようだが、今度はこの中に入らねばならないようだ」

 小春が晶紀にそう話し掛けた。

「地下に村があるのでしょうか?」

 晶紀は扉を見上げながら応えた。

 小春は突然、何かに気が付いたように晶紀の方を向いた。

「わかった、これが迷宮への入り口なんだよ」

「迷宮?」

 晶紀が訝しげに小春の方を見た。

「天狗が言っていた。鉄斎は迷宮の中に住んでいる。それがこの場所なのかも知れない」

 そう言って、小春は扉を注意深く観察した。

「もしそうなら、どこかに扉を開けるための仕掛けがあるはず」

 晶紀は、小春が扉に手を触れながら仕掛けを探す姿をただ眺めていた。

「これか?」

 扉の前の地面に、円形をした金属版が埋め込まれていた。その板には、細長い穴が空いている。

 小春は大刀を手に取り、その穴へ刃を通してみた。すると大刀は、その穴の中へするすると飲み込まれていった。

 金属がぶつかり合う大きな音があたりに響き渡る。やがて、鉄の扉がゆっくり奥側へと開き始めた。

 扉の先から、冷たい風が吹きかけてくる。ほのかに香の匂いがしたように小春は感じた。

 小春が刀を穴から抜き取ると、すぐに扉が閉じ始めた。

「急いで中へ入るぞ」

 小春は晶紀に向かって叫びながら一気に駆け始めた。晶紀もすかさずその後を付いて走る。

 二人を飲み込んで、扉は完全に閉められた。後にはまた静寂だけが残った。

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