第28話 月映の秘密
今朝、目を開ければ泱容の顔が……。
アトは慌てて後ろに退いたが、手を滑らせ寝台から落ちた。
「痛ぁ―――――――〜っ!!!」
この無様な声に泱容も目が覚めた。
「何をしてる?」
泱容がアトを助け起こすと、半目を開けて彼女を見た。乱れた寝間着からは細く薄い肩が見える。
それを見た泱容は、
「細いな……もう少し食べたほうが良いじゃないのか? そなた。」
と、アトの素肌の肩を無遠慮に触るので……。
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
と、アトは怪鳥のような叫び声を発した。
何事かと、李華と綾月が飛んできて扉を開けてみれば、アトの寝間着は肩からずれ落ちて、泱容は耳を押さえてる。
「お楽しみのところ失礼いたしました。」
と、二人共そそくさと下がっていこうとするので、アトは必死に引き止めた。
「まっ待って! 行かないで!!!」
ややあって、アトは泱容と共に朝餉を囲んだ。
泱容は、それはそれは不満そうで、口を尖らせ不貞腐れている。
「全く、可愛げがない! 夫に触られて叫ぶ奴がいるか!」
“夫”という文言にアトは吹き出した。
アトは承諾はおろか、求婚をされた覚えもない。
なのに“夫”。何故?
少しむせた後、ジトっと泱容を見て言った。
「殿……じゃなかった、陛下。聞いておきたいことが……。」
「何だ?」
「どうして私を娶ったのですか?」
アトが訊ねた途端、泱容は気まずそうに固まった。
「…………………………………………………………………………。」
沈黙が続き、アトにも気まずさが伝染してきた。
!? 聞いちゃいけなかったのか!?
イヤ、でも、いくら皇帝相手でも聞く権利くらいあるはずだ!!
アトが沈黙に耐えられず、もう一度問い正そうとすると、泱容は目をそらして言った。
「やっぱり、嫌だったか……。」
あまりの声小ささと、いつもの尊大横柄な態度からかけ離れた、自信なさげな姿にアトは驚天動地の域であった。
し、しばらく会わないうちに……なっ何があったんだ!?
「ああの……理由が知りたいです! 求婚も無しに勝手に連れてこられたので!」
と、アトは気遣いながら言うと、泱容は、
「求婚?」
と、目を見開いてアトを見るので、
? されてない……よね??
と、アトは一瞬不安に思って記憶を辿ったが……。
確かにない。
というか、人を馬鹿にしてばかりで、腹の立つ……。
と、じわじわと過去の怒りが蘇ってくるようだった。が、今の泱容は、ギャンギャンと吠えかかってきて可愛くなかった犬が、鳴りを潜めてクゥンと鼻で鳴いているように見えて、怒るに怒れない。
そして、
「求婚したら……受けてくれたのか?」
!!!!!???
アトは雷に打たれたような衝撃を受けた。
だから思わず……。
「だ……大丈夫か!? また毒でも喰らったんじゃないのか!?」
と、本気で心配して泱容の隣にまわり、顔色や目の色や、熱のあるの無しを確認した。
顔はやたら赤いが、熱はない。目の色も黄疸は出ていないし、充血もない。
大丈夫かな? と、手を離した瞬間、泱容はバッといきなり立ち上がり、
「毒など喰らっておったらここには来ぬわっ!! このっ猿!!!」
と、怒ってズカズカと、出て行ってしまった。
アトが、ポカンとしていると、李華は何やら必死に笑いを堪えていて、綾月は呆れを通り越してどこか遠くを見つめていた。
そして、廊下まで出てきた泱容は、自らのあまりの稚拙さに、その場でうずくまり
女など、どう扱っても気に留めなかったツケが、ここに巡ってくるなど思いもよらない。
というか、女に執着する日が来るなど考えもしなかった。
だとしても……“このっ猿!!!”は無い。
それに、言われてから気づいたが、思いも告げず、求婚もせず、他の男に取られるのが嫌で後宮に入れてしまった。後先考えずに……。
その辺の女なら、少し笑顔を見せれば簡単にのぼせ上がる。だが、アトは身分の違いからかそれがない。にも拘わらず心の何処かで、
“冷遇された皇子だったが、今はもう皇帝で、しかもこの容姿で、受け入れられて当然”
と、高を括っていたのは否めない。
だから、求婚もしなかった。
イヤ、今まで、自分の巻き添えを食わすのも不憫だと、遠ざけようと嫌がらせを働いてきたのだ。
その手前、どの面引っ下げて“求婚”などと恥ずかしい真似ができるというのだ!?
だからって、十二・三歳の子供じゃあるまいし、“猿”などと……。
さっきの体の具合を確認する仕草と言い、子供のような扱い……アトからしたら幼子なのだろう私は。
なのに!!
あんな子供じみたことをしていては!
いつまで経っても“男”として見てはくれまい!!
そんな残念な泱容をよそに、月映は年明け二月に行われる
恩試とは、慶事があった時に特別に実施される官吏登用試験のことで、今回は新皇帝即位に対するものである。
しかし、誰でも受けられるものではなく、
因みに、貢院は入学するだけでも大変で、一次試験に当たる県試で倍率二十倍、本試の院試で倍率は四十倍である。
にも拘わらず、男妾だというのに、泱容は既に貢院を卒業していた。
あの日――、
太師邸を訪ねた日から、月映は身銭を切って店を出た。
勿論、まだまだ若く、都一の男妾の彼が、店を出ようとするなら、相当の金を積まねばならないのだが、彼は簡単にその金額を出した。それでも、普通、娼館の主人にごねられるところだが……。
主人の
理由は二つ。
一つに、彼の後援者となるのが、太師夫人である楊曹夫人の実家曹家であること。
二つ目は、最初からそういう約束だったからだ。
月映を連れてきたのは先代の主人で、今は亡き先代の
『先ずは私を貢院に入れてください。そうすれば、水揚げ(※1)を待たずして売れっ子になってみせます。』
と、当時年端もゆかぬ童が、生意気どころじゃないことを言い出したのだ。
その時は、利寛も馬鹿げた事をと思ったものだが……。先代が許したので、仕方なく教師をつけた。
すると、どうだろう。
教師が、“自分の身の程を思い知った”と、自信喪失させてしまうほど彼は優秀だったのだ。
あの時の富沢のニンマリとした顔は、今も利寛の脳裏に残っている。
その後、月映は、貢院の生徒を足がかりに、その父兄と広く交友を交わし、水揚げ前から押しも押されぬ売れっ子へと、宣言通りにのし上がった。
驚くべきことに、貢院の卒業資格まで手にして店に舞い戻ってきたのだ。
これには利寛も恐れ入り、男妾として売り出すのをためらったほどだった。しかし、
『いいえ。命のを救っていただいた御恩がございます故――、ただ……。私はいずれ、自力で科挙に受かりたい。ですから、それまではいくらでも店を大きくして差し上げます。ですから……。』
“邪魔をするな”
と、目で含みを持たせ、言ったのだ。
その目の据わりようといったら……。
この歳でなんとも末恐ろしい少年。
彼ならきっとやり遂げるであろう。
それから、利寛は月映のやることなすこと全て諾として、今日まで至る。
月映は曹家邸の一室から、冬らしくなってきた曇天を眺めた。
枯れ枝は、今か今かと、雪化粧を待ちわびているように思え、これはこれで趣が深いものだと月映は感じ、筆を走らせた。
「アト。必ず迎えに行くよ。」
月映は眼尻を下げそう呟いた。
貴妃となってしまった今となっては、いつとなるか分からないが……、
人を好き勝手に扱うような人間に、アトが振り向くはずがない。
ならば必ず叶うはず……。
月映はそう確信している。
勿論、月映と泱容に面識は無い。
が、貴人を相手にすることも多かった月映の経験則上、貴人の殆どは下々に配慮しないのが普通で、また、体面を保つための美徳である。
それが皇族ともなれば、もっと酷いことは想像に難くない。
そんな鼻持ちならない相手が、執着しようが何しようが、袖にされてしまうに決まっている。
さっさと振られてしまえ。
月映はそう毒づきながら、書き上げた詩を丁寧にたたみ懐へ仕舞い込んだ。
いつかアトへ手渡す日を想って。
その頃アトは、泱容の態度がコロコロと変わるので、思い悩んでいた。
今まで、認められたとか、好意を示されたとか、そういう、受け入れられたというのだろうか? そういうのは無かったし、むしろ一線を引かれいたように感じる。
どういう風の吹き回しなのか……。
アトはため息をついた。
このアトの様子に綾月は彼女に同情した。 が、
「希勇君。陛下のことでお悩みなのは解りますが……。」
これから、皇后との謁見があるのだ。
「はい。…………。」
昨日の太后との謁見での失敗もあるし……。
アトは胃袋の痛み襲われながら、李華と綾月に謁見の練習に付き合ってもらった。
あんににこやかなのに、内心腹に据えかねていたなんて、例え話や故事まで会話に入れられて……。
アトにしてみれば、何言ってるのか解らないし、窮屈極まりない。
アトは、泱容が何を考えているのか、サッパ解らないが、ただ……。
こんな窮屈で、相手の見えもしない心の裏ばかりを気にする生活は……。
疲れるな――――。
だから、
と、虚空を眺めた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
※1:娼館で初めて客を取ること。
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