第7話 第五皇子泱容

 侍女が扉を開け中に入ると、へその辺りまで髭を伸ばし、薄茶の深衣を着た老人が椅子に腰かけており、先程の美女……皇子なのだが、丸窓の縁にもたれ掛かって、上から見下すようにアトを一瞥し


 ぷっ!


「山猿。」


 アトは挨拶をする前から固まった。

 すると今度は


 あははははははははっ!


「猿が石になったわ! 庭に置いておこうかしら!」


 なっ!


 なんだこの性悪女は!? イヤ男か。


 すると、楊大師が見かねたらしく口をを挟んだ。


「君主の徳は風なりと、お教えして参ったのですが……これでは風は通りませぬ。」


 しかし本人はどこ吹く風、性悪皇子はニヤニヤと続ける。


「ねぇ。猿は曲芸が得意なのでしょう? 一つわたくしにも見せてちょうだいな。そうしたら、側に置くこと許してやってもよくてよ?」


 曲芸だと……?


 これにはアトも腹を立てた。


 これでも族長の娘として男並の功夫を積んできたんだ! 深窓育ちのモヤシに侮られる筋合いはない!!


「畏まりました。殿下。その代わり殿下にお相手願いとうございます。」


「蘭玉!!」


 楊曹夫人は叫んだ。しかし、


「な……に……? このわたしに曲芸をしろと?」


 皇子はヒクッと青筋を立てた。

 アトは更に皇子を煽った。


「おや? 猿が出来ることなら、殿下もお出来になられると思ってましたが……違いましたか?」


「蘭玉! お辞め!」


 麗嬌は必死に止めにかかったが、皇子はすっかりアトに乗せられてしまい、怒り心頭である。皇子は丸窓を離れアトの前まで歩みよった。


「良いだろう! 面白い。こう言う反抗的なのも一興。相手してやる。」


「殿下!! 貴方もお止めして!」


 麗嬌は大師にすがったが大師は悠長に構えて


「若い人はあれくらい元気で良いもの。お前は少し落ち着きなさい。」


 と楊曹夫人の肩を軽く抱いた。夫人は青ざめたが、大師は何事もなかったかのように茶を啜った。

 皇子はアトを睨んだ。


「で? 何をする?」


 アトは怯まず皇子を見据えた。


「では、剣舞を。」


 二人は庭に出た。


「剣舞をやる。剣を二振りもて!」


 両者は剣を握り庭の中心に出た。


「後悔しても知らんぞ?」


 泱容は剣をスラリと引抜くと薄ら笑った。


「言葉遣いが″男″になってますよ。」


 アトも負けじと嫌みで返した。


「別にいい。わたしの美しさは変わらんからな!」


 さすが皇族、臆面なくそんなこと普通言えない。なまじ顔がいいのがまた腹立つ。


「さて―――、初めようか。初太刀はお前からで構わない。」


 泱容は余裕に構えてアトを見下した。


「左様でございますか。では……。」


 ギンっ……!


 アトは真正面から皇子の剣のつばの根本を狙って、素早い突きを繰り出し、皇子はアトの突きを受け止めたまま動けなくなった。


「流石は皇子様。王宮剣術をじっくり仕込まれてるだけはありますね?とは。」


 とアトはにっこり笑った。

 相手は皇子様。人目のあるところで、真正面からこてんぱんにやっつけるわけにはいかない。だから剣で良いようにヤツを踊らせ、鼻っ柱を粉々にしてやろうと、アトは目論んだのだ。

 泱容はこれを受けて先程までの余裕は消え失せた。


「…………。貴様っ!」


 泱容はアトの剣を右に流し、袈裟斬りに剣を振り下ろそうとしたが、易々とアトに受け止められそのまま大きく跳ね返され、後ろに仰け反った。

 アトは片足をあげ、型をとり大きくゆっくり振りかぶりながら、泱容が体制を整えるまでわざわざ待った。

 泱容はムキになって、再び剣を振りかざしたが、またも受け止められ左に流され、くるりと旋回させられ、庭のへりに追いやられた。

 そこでアトは膝を地につけ、剣を置いて平伏した。

 これに泱容は大いに腹をたてた。


「お前……! なんの真似だ……!? 」


 剣の柄をぎゅっと握りしめ、今にも首を落としにかからんばかりに口許を震わせた。


「お手前、流石でございます。どうぞお側お仕えする事お許しいただけましょうか?」


 泱容はさらに剣を強く握った。

 だが、もし今怒って突き返すようなことをしたら、アトの目論み通り、良いようにあしらわれたことが露見し恥をかく。皇族と言う身分上アトの申し出を許さないわけにいかない。


 コイツ――――!


 しかし、泱容はニヤリと笑った。


「良いだろう! 許してやる。存分にこき使ってやろう。」


 泱容は開き直った。


 こうなったらとことんこき使ってべそかかせてやる!


「有り難く拝命いたします。」


 アトは


 銀錠五両がかかってるんだ! 

 こんな性悪に負けてたまるか!


 と発奮した。

 こうしてアトは、大師の口添えもなしに、宮廷に上がることとなった。

 そうして翌日、アトは慌ただしく準備に奔走……したいのだが――――。


「ねぇ? なんなのアンタ?」


 泱容は栗色に艶めくたっぷりの長い髪を肩に流してアトを睨み付けた。


「アンタ女の癖に髪もまともに結えないの!?」


「申し訳ありません。」


 アトは渋い顔で謝った。


「もういいわ! 他の侍女を呼ぶから! アンタはわたくしの服を準備して! は・や・く!!」


「畏まり――」


「あ! それから葡萄が食べたいの! 干したのじゃなくて生ね! 点心と一緒に出して!」

「か畏まりました。」


 アトは部屋を出ていきかけたが、


「あ! そうだ! かんざし! やっぱり点翠てんすい(※1)の真珠のやつにする! これ仕舞って! 服も換えるからちゃんと出してよ!」


「は、はい。」


 アトは入り口から引き返し、出ていた襦裙と簪を衣装櫃の中に仕舞って、葡萄を用意すべく厨房まで走った。

 この調子で泱容は城に戻らず、大師邸に居座り、ことある毎にアトを呼びつけこき使う。そのため準備が追い付かない。


 それどころか礼法、琵琶に琴、お茶の入れ方出し方、皇族のお身内の名簿、書、服や簪の選び方、身分による相手の見分け、宮廷内での禁忌などまだどれも中途半端で宮廷で、やっていけるか心許ない。せめて城に入る前に、月映兄さんに文を出したかったのだが暇がない。

 それでもアトは


 ″こんな底意地の悪い奴に負けてたまるか!″


 と意地になって泱容の使いっ走りに回った。


「殿下。どうぞ。」


 アトは、邸の西の林園(※2)にいる泱容のところまで、黒葡萄をお茶と点心と一緒に持っていった。

 

「何これ。」


 泱容は顔をしかめた。


「葡萄です。」


 このしかめっ面を見てアトは苛立った。


 わざわざ買いに走ったって言うのに……いちいちへそを曲げなきゃいられないのか!?


 簪を仕舞った後、厨房まで行ったのだが置いていなかったため、市場まで買いに行くはめになった。葡萄といっても、都の市場に出れば白だ赤だ黒だと迷うほど種類があり、迷った挙げ句、アトが普段よく見る黒葡萄を選んだのだ。


「ちっがうわよ! わたくしが葡萄と言ったら白葡萄よ!!」


「え!? (そんなの言ってくれなきゃ解りませんが!?)」


 すると泱容、盆ごと持ち上げて葡萄も点心もお茶も庭の池に投げた。


 ボチャンっ……。


「あぁ!!(高い茶器と葡萄が……!)」


 アトは東屋の欄干から身を乗り出した。


「アンタのせいで食欲なくなったわぁ。あ! そう言えば! アンタの持ってきた服! なんなのあれ! 私、点翠の簪するって言ったでしょ!? なのにどうして持ってくる服が橙色なのよ!! ぜんっぜんっ合わないんだけど!? ほんっとうに使えない!!!」


 このっ! 我が儘性悪皇子め!!


「申し訳ありません。」


 アトは怒りを抑え精一杯謝った。これを見ると泱容は意地悪くほくそ笑み


「あ! ……私が点心拾っといてね?」


 と池に指差した。流石にべそかくだろうと、期待して追い討ちをかけてやった……つもりであったが、次の瞬間泱容はギョッとした。

 驚いたことに、アトは帯を解き服を脱ぎ始めたのだ。


「な何してるの!?」


 アトはうんざりして言った。


「何って、服が邪魔だから脱いでるんです。」


 泱容は唖然とした。それを見てアトは不思議に思った。


「拾ってくるんですよね? 点心と茶器。」


「そ、そうだけど、本当に水の中に入るの?」


「えぇ。葡萄も茶器も私の一日の給金じゃ足らないですから。」


「だからって脱がなくても!」


「脱がないと溺れて危ないです。それに私の身体に興味なんてないでしょ?」


 アトがそう言うと、泱容は顔をひきつらせながら叫んだ。


「あるわけないでしょ!! アンタの粗末なもん見せられたって気色悪いだけよ!! 恥じらいってものはないの!?」


「恥じらいより命の方が大事なので。」


「可愛いげがない!!」


 泱容はそう捨てぜりふを吐くと、何処かへ去っていってしまった。


 何だ?


 アトはその背中を見送り首をかしげた。

 それから、アトは茶器と葡萄と盆を池から拾い上げ戻ると、泱容は不貞腐れて縁側の欄干に肘をつき、庭を眺めていた。泱容はアトの手に、茶器と葡萄があるのを見て言った。


「流石は山猿ね。正直舐めてたわ。どういう育ち方してきてんのよアンタ。」


 どうと言われても……。


「え……っと――。」


「あーもう。答えなくていい。アホらしくなってきた。」


 泱容はクイッと顔をアトに向けて続けた。


「ねぇ……。アンタ私がどういう立場か知ってて仕えてるの?」


 アトは泱容の言っている意味が一瞬解らなかった。


「? 殿下は皇子様でしょう??」


 泱容は呆れた顔でアトを見た。


「………なーんにも知らないのね。」


「??」


わたしは、母上が西の海の向こうの出身でな。だから、わたしを皇族の一員だとは認めたくないのだ。それなのに今になって……。皇帝になれだなどと! 可笑しなことを。」


 アトは目を丸くした。


「え? 皇太子様は? 次の皇帝は決まっていたんじゃ……?」


 そう、皇太子がいる。昨年お隠れになった先帝がまだ健在であった頃に、皇帝第一子が皇太子に擁立されたと、国中で御祝いがあった。


「死んだ 。」


「は!?」


 アトは思わず声をあげた。

 もし、そんなことがあったら弔旗が上がるはずだが、そんなものは旅の道中にも、都に来てからも見ていない。


「死んだのだ! どっかの誰かが、我こそ玉座になんて野心燃やしてくれたもんだから、あっさり死におった! いい迷惑だ!」


「……それって!」


 多分昨日今日の話ではない。アトは冷や汗が流れる気がした。さすがに不味いことを聞いたことにすぐ気づいたのだ。


「殿下。」


 後ろから大師の側仕えの男がぬっと表れた。

 その瞬間アトはゾッとした。

 若いのか老けているのか、よくわからないのっぺりした顔もさることながら、何より、男の気配を察知できなかったのだ。相当の手練れに違いない……。

 男は口許を隠してボソボソと言った。


「箝口令がしかれている中で、軽々しい御発言はお慎み下さらねば。」


「フンっ!」


 泱容は男の顔を見もしなかった。

 男は次にアトを見ると


「今聞いたことは全て忘れるように。」


 と、抑揚なくやはり口許を隠したまま、ボソボソ言った。しかし、刃物のように鋭い眼光が突き刺ささる。


 これは、脅されているのだ。


 そう思ったアトは無言のままコクリと頷いた。


「よろしい。」


 男は背を向け去った。男の姿が見えなくなってからアトは泱容に訊ねた。


「殿下。なぜしゃべったのです?」


 元々危険を承知で引き受けたのだから今更だが、アトがわざわざ知る必要などなかったし、あんなこと聞かされて……泱容に仕えていなかったら、間違いなくあの男に首を跳ねられているところである。嫌がらせにしても、程度と言うものがあろうに……。

 アトは泱容をキッと見つめた。

 すると泱容は気だるそうに振り返り答えた。


「何も知らないその能天気な顔が腹立つからよ。」


 そう答えた泱容のその顔に、アトはひどく不安を覚えた。


 心ここにあらずと言うのか、この″何もかもがどうでもいい″と言う感じの表情は、見覚えがある。

 それは、病床で生きる気力を失った者や、飢饉の中何とか生き残ったものの、財産家族一切を失い、路頭に迷った者等が、張り付けているあの表情……。


 死のうとしているのではあるまいか?


「おい!………」


 急に浮かんだ、ありえぬであろう考えに、アトはつい、皇子である泱容にぞんざいな口を利いてしまった。アトはハッとして、慌てて何か弁明しようとしたが、


「何?」


 と、泱容は少し眉を寄せるだけで、アトを咎めるそぶりもなかった。泱容はアトの気まずそうな顔を見ると


「顔が散らかってるわよ?」


 と嫌味を言って自室に戻っていった。

 アトは泱容の背を見送りながら思った。


 よく解らない男だな。と、


 嫌味三昧で腹の立つ男には変わらないが、意外なことに、軽口を叩いたことには気付いていないのではないか? と思うほど頓着がない。

 楊曹夫人しかり、身分の高い者は少しでも軽んじられたと、思えば怒るものと思っていたが、案外、小さいことには拘りがない質なのかも知れない。


 それにしても、なぜあんなこと言ったのか―――?


 一国の皇太子が、即位する直前に身罷るなど根幹を揺るがす事態である。しかも先帝はもう存命ではないからなおのこと。それを曲がりなりにも皇子である泱容が、ぺらぺら喋るなどあってはならぬ。


 相当なうつけなのか―――? でも、


 うつけをわざわざ皇帝に推挙したりするだろうか?


 少なくとも大師はその一人のようであるし、猛騎と言う忠臣もいる。(アトには彼が二つ心ある器用な人柄には思えない。)そんな男がうつけなのか?


 しかし! 考え込んでいる場合ではない。登城の準備をしなければ!


 あれから、泱容には呼び出されなかったから最低限の準備は何とか整った。と、言っても自分の荷作りをし、貞深に習ったことのおさらいをしてもらっていた程度であるが。それでもあっという間に日は落ち、夜更けになっていて、侍女達に貸してもらっていた寝床に入る頃には皆寝静まっていた。アトはその間をピョンピョンと飛びながら、自分の布団まで行った。

 アトは布団に潜り込むと、冴え冴えした目をしばたかせ、半ば諦めるように腹をくくった。


 もう、やるしかないのだ。


 卑しい身の上で、城に上がるなど一生の内にそうない経験ができるのだから、それを幸いに思うしかない。と、


 アトは目を瞑った。しかし、眠れはしなかった。


 そして、ついに城に上がる時がきた。

 アトは立つ前に泱容に挨拶しに行くと、彼は赤紫の盤領袍を着て銀の冠をしていた。

 男の格好をしている。

 アトはついじっと、泱容を見てしまった。

 陶器のような肌や細く長い指は女性的だが、よく見ると肩幅もしっかりしているし、細い首だが喉仏もある。

 一応男だったのだなと、思って眺めていたら泱容は片目をしかめて


「山猿に傍惚おかぼれされてもなぁ……。」


 と呟いた。


 こンの顔だけ男め!!!


「申し訳ありません。昨日とは随分雰囲気がお変わりだったものですから。」


 アトは平静を装ったつもりだったが、顔はひきつっていた。それを見た泱容は大笑いである。


 プッはははははははははは!


「何だその不細工な顔は! ただえさえ山猿なのに! あーははははははっ!」


 せめて仕える主人を選べたら良かったのに!よりによってこんな性悪……!


 アトは己の運のなさを恨まずにはおれなかったが、嘆いてはいられぬ。住めば都と言う言葉もあるのだ持ちこたえねば!


 と、アトはどうにか笑う努力をし


「それでは一旦下がらせていただきとうございます。」


 と言い部屋を出ていこうと、後退りしたその時、泱容の一言を聞いて凍りついた。


「なに言ってる。お前、側仕えなんだから用事以外で下がれるわけないだろ。」


 あ!!?


 どうやらもう、アトには安らぐ場所はないようでる。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――


 ※1:カワセミの背の羽を使った装飾品。


 ※2:山河を模した中国の伝統庭園。

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