第9話 信仰心 その2

 それからひさこも人並みにいろんな岐路を経験し、多少の試練も味わった。そうやって年齢を重ねていくうちに「あぁ、これってシスター荻野がおっしゃってたことだ」と思うことが多くあった。そしてだんだんといつかは洗礼を受けたいと思うようになった。だけどそれは、子供の手が離れて日曜日の午前中に自分がいなくても問題がなくなるような遠い遠い先のことだと思っていた。


 何度かの引っ越しを経て、ひさこはシスター荻野が住む修道院と同じ首都圏の賃貸に住むことになった。ずっと会いに行きたいと思っていたひさこは修道院の場所を調べて愕然とした。そこはひさこの家から自転車で10分ほどのところであった。


 15年ぶりの再会であった。いつかは洗礼を受けたいと思っている話をしたら「なら今すぐ準備を始めましょう」と言って下さった。それから聖書の勉強をしにシスターの所へ通うようになり、1年後に受礼した。その後は家族の予定と重ならなければ日曜日のミサに出ている。


 だけど、たとえば信者の中に「この前イエス様がこうおっしゃったんです!」とか言う人がいるけど、ひさこはイエス様の声は一度たりとも聞いたことがない。「きっとイエス様がこうしてくださったんですね」みたいに言われても、そうかもしれないけど、そうでないかもしれないとも思う。


 ただ、教会の聖堂にいると、こうだと思っていたのに全然違う考えになったりだとか、まったく別の発見をすることが多い。いつもイエス様とは電波がつながっているけど、聖堂の中はものすごいいっぱいアンテナが張り巡らされていてびんびんに電波が通いあっているような、勝手にそんなイメージを持っている。


 また、ひさこはカトリックだけどそれ以外の宗教を否定する気はない。むしろ、何も信仰していない人よりも親近感を感じるぐらいだ。もともと人の話を聞くのは好きだけど、別の宗教の話を聞くのってとっても面白いと思っている。


 もしいつかある日、とってもえらい科学者が「イエス様は実は神様でなくて普通の人間でした」ということを証明したとしたらどう思うだろう、なんてこと考える時がある。ショックかな?うーん、あんまりそうでもないかも。ああそうなんだという感じが近いかな。でもじゃあ信仰をやめるかというと、そうじゃない。今は信仰なくしては心細くて一秒も生きられない。ひさこはいつも何かしらの不安におびえているから。


 ひさこはなぜか人から悩みを打ち明けられることが多い。気の利いたアドバイスは何もできないし、ただただうんうんと聞いてることしかできない。そして、夜になると「どうか私の不安な気持ちがなくなりますように。そして〇〇さんの哀しみが和らぎますように」と思い浮かべながら眠りにつく。


 ひさこの信仰はそんな感じである。そんな信仰の仕方もありかなと思う。


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