第34話:たのしかったよ

 日が過ぎ、約束の日曜になった。

 朝は早めに起きて、軽く化粧もして、服は子供っぽさのないきれいめのものを選んで、髪のセットもバッチリ決めた。

 さすがに寒くなってきてるから、ワンピースの下に寒さよけのレギンスを履くことにした。

 待ち合わせの時間になったのに、なぜかベッドに…なんていうことはなく、待ち合わせ場所へ無事たどり着いた。

「少し早かったかしら?」

 午前9時。

 ひかるの指定した場所に着いたのは8時45分だった。

 近くの駅で、なぜかタクシーの待合場所を指定された。

 日曜なせいかタクシーの姿もまばら。

 まさかタクシーでどこかにいくんじゃ…?

 あたしのお小遣いじゃ足りないわよ…。

 かといって全部出してもらうのも悪い。

 …アルバイトでも始めようかしら。


 考えていたら、約束の9時を回った。

 しっかり者の輝がまさか遅刻…?

 すっぽかしなんてことは無いと思うけど。

 スマートフォンで、電車の運転状況を確認してみるけど、すべて平常運転。

 いつかの時みたいに鉄道事故が起きてるわけでもないわね。

「どうしよう…電話しようかしら…」

 駅の方を見ても、人影まばら。輝がいればすぐわかる。

「すまん、待たせたな」

「えっ!?」

 駅の方を見ていたあたしの背中に輝の声がした。

「輝…」

 たしかに、そこにいた。

「バイクで…」

 そう。輝はバイクで乗り付けていた。

 だからここだったの…改札口じゃなくて…これで納得した。

「話は後だ。これ被って」

 輝はヘルメットを手渡してきた。

「うん…」

 急すぎて頭が追いついてこない。

 失敗したなぁ。

 こんなことなら、ワンピースなんて着てこなければよかったわ。

 けどこれはお気に入りの服で、輝に見せたかった姿でもある。

 走っている時にスカートがめくれ上がらないよう、気をつけながら輝の後ろにまたがる。

「いいか?行くぞ。しっかり抱きついてて」

「うん、いいよ」

 タタタタと軽快なエンジン音を響かせて走り出す。

 広い背中に抱きついて、風を切る音が耳に飛び込んでくる。

 いきなり過ぎて頭が混乱してるけど、聞きたいことがいっぱいある。

「これなら誰かに見られても、顔はほとんどわからない。二時間ほどで着くから、それまでちょっと我慢しててね」

「それはいいけど、聞きたいことがいっぱいあるわ」

「だろうな。まず、この交通費は気にしなくていい」

「そんなわけには…」

 輝はあたしの言葉を遮って続けてきた。

「僕のことを少し話す。このバイクは高校に入ってすぐ免許を取ってからずっと乗っている。51cc以上の車種で、僕は一年以上乗ってることに加えて二人乗りシートが付いてるから法的な条件も全部満たしてる」

 さすが輝ね。卒なく確実にこなしてる。

「家族だけど、父は弁護士で、母は会計士なんだ」

「ふたりともさむらいぎょう!?しかも弁護士って…!」

 信号で停まった。

「高校に入ってすぐ、二輪免許を取ると言ってみたんだ。反対されることを前提にしてたけど、あっさり許された上に条件をつけてきた」

 信号が青に変わり、タタタタとお尻からエンジンの振動が伝わってくる。

「一発合格したら好きなバイクを買ってやる。さらに高校の間は上限つきで燃料代も出してやるってね」

「素敵な親じゃない」

「僕は一発合格して、これを買ってもらった。最初は冗談だと思ってたけど、燃料代も出してくれた。毎月一日にガソリンスタンドのプリペイドカードを渡される。使い切ってない分は残額がいくらあっても回収されて、新しいプリペイドカードが渡される。そのプリペイド上限内であれば、僕の出費は無いというわけだ。だから交通費は気にしなくていい」

 なぜか交通費を出さなくてもいいという心配があったけど、これで納得した。

「親は仕事柄すごく厳しくて、僕は子供の頃から何でも一歩引いた位置から俯瞰的ふかんてきに状況を見るクセを付けさせられた」

 何の疑問もなく納得した。

 手芸部でも頼りになる存在としてみんなを引っ張ってきたけど、子供の頃から厳しく仕込まれてきたんだ。

 あたしなんかとは全然違う。

 さっきから有料道路の入り口を通り過ぎている。

「ねえ輝、上の道で行かないの?」

「今の僕じゃ、二人乗りでは入っちゃダメなんだ」

「そうなの?」

「そこら辺も調べておいてる」

 輝のしっかりしてるところは、親のしつけだったんだ。

 計算高いところは会計士の母の影響なのかな。

「親がつけてきた条件はまだある。登校から下校までは乗っちゃダメ」

「それはそうでしょうね」

「それと午前様禁止」

「当然よね」

「破ったら一度目はガス代カット。二度目はバイクごと没収」

「ふふっ」

 つまり今まで一度も約束を破ってないということ。

「じゃあたとえば故障で置き去りや、押して来て午前様になるような場合はどうするの?」

「ただちに連絡することで免れると話はついてる」

 ごちゃごちゃした街を抜けて、川沿いの道へ入った。

 あくまでも安全運転で先へ進んでいる。

「このバイクには他に誰か乗せたことあるの?」

紘武ひろむだけだな」

 そっか。

 紫さんとは中学で別れちゃったわけだし、二人乗りできる期間は限られる。

「そういえば免許はいつ取ったの?」

「去年の5月の中旬だ」

 ということは、輝の誕生日は4月2日~5月の中旬までということになる。

 あと半年くらいあるんだ。

「そういえばあたしが風邪で寝てる時にキスしなかった?」

「………」

「もうっ!するなら起きてる時にしてよっ!」


 ふと、周りが開けた場所へ出た。

「あっ、潮の香りがする」

「もうすぐ着く」

 それだけ言って、輝は口を閉ざした。


「ふうっ」

 カポッとヘルメットを外して、後ろのシートに置く。

 二つ並んだヘルメットを眺めてから周りを見る。

「埋立地なんだ?」

「ここは駅からかなり離れてるから、人も少なくて安心だ。その分、遊ぶところは少ないけどね」

 人目を避けると、こういうところに行き着くんだよね。

 改めて輝と付き合うことの難しさを実感する。

 でもどこに行くかなんて大したことじゃない。

「うん、一緒にいられるだけでも嬉しいよ」

 海だから風がかなり強い。

 せっかく髪をセットしてきたのにバサバサになっちゃう。


 きゅっ


 あたしから手をつないだ。

 指と指を絡ませる恋人つなぎ。

 先週は輝が自分から抱きついてきた。

 つないだ手を握り返してくれると期待して歩き出す。


 しばらく他愛ない会話をしながら歩いている。

 けど、輝は手を握り返してくれない。

 あの抱きついてきたのは気まぐれだったのかな…。

 事情がわかっていても傷つく…。

 輝のこと、知らなかったらもっと傷ついたと思う。

 時々ピクッと握り返そうとしている様子はあるけど、今はあたしが一方的に輝の手を握っている。

 通りすがる人が時々いるけど、周りは見渡す限り海と植樹があるだけだから、街中の雑踏とはほど遠い。

 その分、安心して輝とこうして手をつないでいられる。

「ね、波打ち際まで行ってみよ」

「ああ、そうだな」

 階段に足を置いたその瞬間…

「あっ!」

 風の吹き溜まりに積もっていた砂を踏んで、足を滑らせてしまった。

「あぶないっ!」

 ぐいっと輝はあたしの背中に手を回して抱きとめてくれた。


 ざざーん…


 打ち寄せる波の音を聞きながら、あたしたちは固まっていた。

 向かい合ったまま抱きとめてくれた輝の背中に手を回して、ゴツゴツした胸板に顔を埋める。

「彩音…?」

「やっぱり…こうだよね…」

「どうしたんだ?」

 聞き返してくる。

「このほうが、恋人同士って感じがする」

 抱きとめてくれた腕はそのままだけど、その腕と体はかすかに震えている。

 よほど好きだったんだね…ゆかりさんのこと…。

 だから、本気で好きになることを恐れる。

 踏み込んでしまっていいのか、踏みとどまるべきなのか、今も輝は迷っているんだ。

 風邪で寝ている時に抱きついてきたのはすごく自然だった。

 震えてなかったし、輝が自分から腕を伸ばしてきた。

「怖いんだよね…?前みたいになるのが」

 顔を胸に埋めたまま喋る。

 キュッと抱きつく腕に力を入れる。

「わかってると思うけど、輝と付き合うことがステータスなんて思ってないし、利用しようなんて思ってない。初めて会話したあの日、さりげない優しさに思わずときめいちゃったけど、噂の人だと知った時は女の敵とさえ思ってた」

「きっついな、彩音は…」

 やれやれと言いたげたな声色で答える。

「絶対輝を好きにならないって決めてた。けど気がついたら夢中になってた。必死に近づこうとしてみたけど、壁があって無理だった。諦めようとして颯一の提案に乗って付き合ってみた。それでも浮かんでくるのは輝のことばかり。けど、それを乗り越えて今ここにいる。輝はあたしの運命の人だって思う。だから、大丈夫だよ。前みたいにはならない。ずっと…輝のそばにいるよ」

 抱きしめてくる腕の力が少し強くなる。震えはまだ取れない。

「わかってる…彩音は裏表のない真っ直ぐな人だって。その言葉に嘘はないってわかってる。でも…好きになるほど、怖くなる」

「うん、あたしもわかってるから、ゆっくり仲良くなろう」


 しばらく抱き合って、名残惜しいけど離れて歩き始める。

 でも手はつないでいる。

 心が通じ合っている手応えはあった。

 輝は必死に乗り越えようとしている。

 今のあたしたちに必要なのは、一緒にいる時間を増やすこと。

 人の多いところだと、あたしたちが一緒にいるところを見られるかもしれない。

 しばらくはこうして人目を避けて逢うようになるのかな。

 なんか逃避行みたいでいいかもだけど。


 ぐぎゅるるる…


 カアッ!!


 顔を真っ赤にしてまま思考が停止した。

 ものすごく盛大にお腹が鳴っちゃった…。

「そういやもうすぐ12時だったな。9時に出て着いたのが11時ちょい前だから」

 そう言うと輝はつないだ手を引っ張って、元来た道を引き返し始めた。

「輝っ!どこ行くのっ!?」

「この辺には食べるところ無いからな。少し駅の方へ行かないと」

「でも駅は人が…」

「大丈夫だ。近くの駅は乗り換え用途が圧倒的に多い。降りる人は少ない」


 結局輝に引っ張られて、バイクで近くの駅あたりにあるファミレスへ移動して食べることになった。


 ずずずっ

「はーっ、温まるわ」

 ドリンクバーのコーンポタージュをすすって暖を取っていた。

「海風は強いからね。ずいぶん冷えちゃったでしょ」

「うん。それにしてもほんとここは人が少ないね」

「工業地帯の中だからね。平日昼だったら多分ごった返してると思う。この辺のお店は閉まってるところが多かったでしょ?」

 確かに、このあたりにある敷地はすっごく広くて、大きいトラックが停まっているところが多かったし、人もあまりいない。

「輝って、この辺はよくくるの?」

「ここは二度目かな。休みの日にブラっとでかけて、こういうところがあるって知ったわけ」

「おまたせしました」

 会話が途切れた一瞬で、料理を運んできたホールスタッフが声をかけてきた。

「わあ、美味しそう~」

「ドリア一つで足りるのか?またさっきみたいにカエルが鳴くぞ?」

 イタズラな顔でからかってくる。

「いじわる…」

 輝はというと、ミックスグリルに米飯のセットと バケットに山盛りのポテトを頼んでいた。

 こういうことが増えるなら、デート代も必要よね…。

 半年先には輝の誕生日なわけだし、今から少しでも稼いでおかなきゃ後で慌てちゃうかも知れない。

「ほら、これも食べて」

 言って差し出してきたのはカゴに入ったポテトだった。

「あたしはこれで十分よ」

「いや、単純に食べきれないからさ。手伝ってくれよ」

「で、食べたら食べたで太るよ、なんて言うつもりじゃないでしょうね?」

 言い終わるより前に、取り皿へポテトをガサガサ半分ほど流し込む。

「それ彩音のノルマね」

 ほぼ半分のポテトを乗せたお皿を、あたしの方へ寄せた。

 あたしの投げかけた質問には答えないまま。

「輝って強引だよね?」

「気を許した相手にならね」

 ニカッと笑って、カゴのポテトをひとつまみかじる。

 ふうっ、と鼻で小さく溜め息ついて、あたしもポテトをかじる。

「太るよ?」

「やっぱり言ったわね。それを押し付けたのは誰よ?」

 けど、こういう軽口のやり取りすら、あたしには嬉しくて仕方ない。

「あ、このポテトだけど、半分はあたしが出す」

「まあ気にせず食べてよ」


 食べ終えて、会計台の前に立つあたしたち。

「別会計は可能で…」

「一回でお願いします」

 輝はあたしが言い終わるより早く財布からカードを出した。

 って、ええっ!?

 しかも券面が黒い…幻のブラックカード!?

 結局、あたしが代金を出しても受け取ってくれず、夕方まで人目を避けた場所で過ごして駅まで送ってもらった。

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