第23話:かわったんだ

「いろいろあったけども~許してもい~かなって」

 そう言って茉奈まなが笑顔を見せる。

 よかった…。心配してたけど、埋橋うずはしさんがしっかりやってくれたんだ。

彩音あやねさんの言うとおりだったわ。しっかり話し合えば分かり合えたよ。ありがとう」

 埋橋さんは茉奈を虐めていた一人。

 一年の時に茉奈を虐めていた四人のうちの一人が二年で同じクラスになって、埋橋さんは新たに二人と仲良くなって、その三人組が茉奈を虐めていたことまではわかっている。

 そもそも茉奈と仲良くなりたくて話していたけど、茉奈がどうにも苦手意識を出してしまい、埋橋さんがちょっかいを出してたけど、エスカレートして虐めにまで発展したと言っていた。

 茉奈が大切にしてたおばあちゃんの形見である布製手帳カバーに落書きされて、茉奈がとうとうブチギレてしまい、してはならない悪いことをしたと思った埋橋さんはしみ抜き技術を使って落書きを消そうとしたけど、茉奈が機嫌を損ねていて話せないから、あたしが茉奈の手帳カバーを預かるよう言われた。

 けどあたしはそれを断った。

 その誠意は茉奈に直接見せなさい、と諭して。


 話は先週まで遡る。

 布製手帳カバーに落書きされて、暴れたけど彩音に羽交い締めで止められた。

 この憤りは、いくら引っぱたいても全然足りない。

 いつもは彩音にアルコールを使って落書きを消してもらってるけど、この手帳カバーに使われている布は繊細だからどうすることもできない。

 あたしが大事にしているおばあちゃんの形見を汚されて、もう黙っていられないけど、いくら埋橋うずはしさんを責めても落書きが消えるわけじゃない。

 溢れそうな涙を必死に堪えつつ、授業をやり過ごす。


 放課後

「あの…樋田といださん…」

 キッ!

 あたしは呼び止められたけど、埋橋さんの顔を見た瞬間にもう心穏やかではいられない。会話なんてしたらまた暴れてしまいそう。

 鋭く睨んだ埋橋さんの声が詰まる。

「フンッ!」

 そっぽを向いてあたしは荷物をまとめて教室を出る。

 もう、この手帳カバーは家に置いておこう。

 落書きされた内容は消えないけど…。


 翌日から、あたしは手帳カバーなしで手帳を持ち歩くことにした。

樋田といださん、おは…」

 ギッ!

 今日も埋橋さんから話しかけられられたけど、厳しい視線を向けたらあっさり引いていった。

 あんな人、もう口も利きたくないっ!


 数日が経ち、埋橋さんは話しかけてこなくなった。

 これまでずっと続いていた落書きや靴に画鋲という幼稚な虐めは鳴りを潜めて、平和な日が続くと思っていた。

 そんな時


「はぁ…樋田さんに…拒絶されちゃった…仲良くなりたいだけだったのに…どうして虐めなんてしちゃってたんだろう…?」

 文化祭の準備をしている時に、アヤアヤの姿を確認した。

「そうだ、アヤアヤなら樋田さんと仲がいいから、話せば分かってくれるはず…アヤアヤに頼むのは悔しいけど、他に手立ても無いわね」


「イヤよ」

 きっと引き受けてくれると思っていたのに、あっさりと断られてしまった。

 埋橋さんは実家でしみ抜きをしていて、あちこちのクリーニング店やアパレルショップから贔屓にされている評判のしみ抜き屋。

 その技術なら繊細な生地でも、あの落書きを消せることを伝えた。

 しかし…

「だったらそう茉奈に伝えればいいでしょ?あたしを使っても意味は無いわ。今までのことを謝罪して、誠意を見せればきっと茉奈は心を開いてくれるわ。そのうえで預かればいいでしょ?」

 そうは言っても、茉奈ちゃんから完全に拒絶されてる今、会話すらさせてくれなくなっている。

 だから屈辱に耐えて、まだ会話はさせてくれるアヤアヤに話をするよう頼んでみたけど、それすら閉ざされてしまった。

 そう考えていたら、アヤアヤは背を向けて歩いていってしまった。

 これ以上屈辱に耐えるなんてイヤ。

 追いかけるのはやめにした。


 ならもう、茉奈ちゃんとしっかり向き合うしかない。


 次の日…

 朝に校門で茉奈ちゃんを待っている埋橋さん。

 次々に通り過ぎる人波から、見逃さないよう一人ひとり顔を確認する。

 その中から…

 いたっ!

 急いで茉奈ちゃんの隣へ行き…


 スタスタスタスタ


 埋橋さんの姿を確認すると、歩く速さを早める茉奈。

「待って!」

 全く聞かず、ますます速歩きしてきた。

 もう埋橋さんはほとんど走っている状態。

 挨拶すらさせてくれないから、追いかけるのは諦めた。


 その後、休み時間になるたび茉奈ちゃんと話をするため、席へ行ったり、廊下でも追いかけて行った。

 それでも無視されて、取り付く島もない。


 放課後

「茉奈ちゃん!」

 足早に教室を出ていって、追いかけるのもやっと。

「お願いっ!話を聞いてっ!」

 腕を掴むけど、荒々しく振りほどかれる。

「ほんの少しでいいのっ!お願いっ!!」

 肩を掴んだり、手を取ったりして引き留めようとするけど、足を止める気配すらないまま昇降口まで来てしまった。

「一分でいいっ!話をさせてっ!!」

 思わず後ろから抱きついて、耳元で叫ぶ。

「痛っ!!」

 ドカン!と遠慮なく思いっきり足を踏まれた。

 その後も10回くらい繰り返し埋橋さんは足を踏まれる。

「あと何回踏めば…話を聞いてくれる?」

 覚悟を決めた埋橋さんは、茉奈ちゃんからのどんな仕打ちも受け入れるつもりで話しかけていた。覚悟のほどを示すにはこれしかない。

 踏まれた痛みで、目には涙が浮かんでいた。

 茉奈は足を上げたまま、動きが止まる。


 はぁ…


 深くため息をついて

「わかったわよ…」

 明らかに不機嫌な顔を向けて、やっと口を利いてくれたことに安堵した。


 場所を移動して、人の少ないところで向き合う。

「で、何よ」

 埋橋さんはその場で膝をついて、手を前に揃えて頭を下げる。

「今まで、本当にごめんなさいっ!一年の頃から茉奈ちゃんと仲良くしたくてちょっかいを出してたけど、全然取り合ってくれないからついエスカレートしちゃって…友達といろいろ試してるうちに、引っ込みつかなくなって、気がついたら虐めちゃってたのっ!!」

 逆ハの字型に眉をひそめた茉奈は、その下げた頭を踏みつけようと足を上げて、踏みつけようとした時に言葉を続けた。

「それと茉奈ちゃんの手帳カバー、知らなかったこととはいえ許されることじゃないことは分かってるっ!けどあれは何とかなりそうなのっ!!うちではしみ抜きしているのは知らないと思うけど、これまでずっと抜けないシミはないと言われるほどの技術があって、シルクについた油性マジックでさえしみ抜きをやってきたのっ!!だから…元どおりにするため、あの手帳カバーを預からせてっ!!」

 ハッとなる茉奈。

「絶対に元どお…」

 ガゴッ!

 ガバっと勢いよく頭を上げた埋橋さんは、その頭を踏みつけようと上げてた足に激しくぶつかった。

 バランスを崩した茉奈は後ろへ倒れて尻もちをつく。

「痛ったぁ…」

 頭を抑える埋橋さんと、尻もちついてる茉奈。

「茉奈ちゃん、大丈夫!?ケガはないっ!?」

 慌てて立ち上がって茉奈に手を差し伸べる。

 その顔は、心底心配している感情が確かに籠もっていた。

「本当…?」

「え?」

「元どおりにするって…本当?」

 やっと口を利いてくれたことに、じんわりとした感動を覚える。

 ふたりがまともに会話したのはこれが初めてのことだった。

「約束する。時間はかかると思うけど」

 茉奈は少し黙り込み…

「わかった。明日持ってくる」

「うん、待ってる。茉奈ちゃんの大切なもの、絶対…元どおりにしてみせる」

 茉奈は埋橋さんの差し伸べた手を取って立ち上がる。

 埋橋さんは、茉奈が頭を踏みつけようとしていたことに気づいていたけど、あえて黙っていた。

 どんな仕打ちでも受け入れると決めていた彼女にとっては些細なことと受け止めていたから。


 預けてから数日が経つ。

「茉奈ちゃん、お待たせ。きれいになったよ」

 埋橋さんは茉奈の席へ行って、包みを差し出す。

「ほんとにできたの?」

「見てから判断して」

 ガサガサと包みから中身を取り出す。

「あっ…」

 見ると、心無い落書きはすっかり消えていて、さながら新品同様になっていた。

「落書き以外にもあちこち汚れていたけど、その汚れも一緒に取らなきゃならなかったの。使用感も含めての形見だったと思うけど…」

 茉奈は大切なものが戻ってきたことを確かめるように、そのカバーを胸に抱きしめて目を閉じていた。

「ありがと~」

 顔がほころぶ茉奈。

「ううん、今までのこと本当にごめんなさい」

 これは二人が笑顔で向かい合った、初めての瞬間だった。


 茉奈はこの後、埋橋さんの親にお礼をするため、渋る担任から住所を聞き出していた。その住所にある家へ着いてみると、特別なところは無さそうな一戸建ての家だった。

「やってくれたんだから、しっかりお礼言わなきゃ」

 呼び鈴を押す。

「どちらさま?」

「クラスメ~トです。しみ抜きの件で…」

「あ~、わざわざ?ちょっと待っててね」

 すぐに母が出てきて、玄関で立ち話を始めた。

 随分若く見える。実際の年齢が気になるところだけど、あくまでもお礼を言いに来ただけだったから、あまり立ち入るつもりはなかった。

「このしみ抜き、ありがと~ございました」

 手帳カバーを手に深々とお辞儀する。

「それ、あなたのだったのね。娘が必死な様子だったから、よほど大切な人のだったんだろうなと思ったわ」

「これ、形見なんです。だから…」

「そうだったの?古風で珍しい生地だったから扱いが難しいものだったのよ。娘が自分でやるって言って聞かないから、見ていてずっとヒヤヒヤしてたわ」

「え?おばさんがやったんじゃないんですか?」

 茉奈はキョトンとした顔をする。

「ええ、あの娘ったら普段は手伝おうとしないくせに、こないだに限ってはやけに真剣な顔で迫ってくるから、しみ抜きを教えたのよ。あんな真剣な娘を見たのは初めてね」

 ふわっと優しい笑みを浮かべて続けた。

 その笑みで見えた笑顔ジワは、人柄の良さを万の言葉よりも確実に、雄弁に現していた。

「ぶっつけ本番でやらせるわけにはいかなかったから、教えるために最初は雑巾からやらせたのよ。こぼしたカレーを拭いた雑巾でね。あれって油も含んでるからしみ抜きの練習にはちょうどいいのよ。最初は生地をボロボロにしちゃって、やっぱり任せられないと言ったら、それでも熱心に教えてって来たのよ」

「そ~だったんですか…」

「二日目には目つきが変わっててね、基礎はなんとかできるようになったから、薄手の端切れ生地でやらせたりして、すごく真剣だったわ。それで仕上がりが及第点をあげられるようになったから、それに近い生地でやらせてみたの。そうしたらまるで宝石を扱うくらいの繊細な手つきで…」

 そんなことがあったんだ…。

「いざ本番になったら、さすがに心配でね…つきっきりでそのしみ抜きを見てたのよ。とはいっても口は出してないわ。間違えそうになったら止めたけど。あれだけ真剣な目つきと繊細な手つきだった理由がやっとわかったわね」

 そこまでしてやってくれたんだ…。

「ところでそれ、懐かしい感じがするけど、誰かからもらったの?」

「これ、祖母の形見なんです」

 フフッと笑い、母は続ける。

「あの娘ね、一年の頃に仲良くなれそうな人を見つけたって言ってたけど、何かを間違えちゃったのか、虐めちゃってたのね」

 ドキッとする茉奈。

 そんな頃から、あたしをそんなふうに思ってくれていたんだ…?

「一年のゴールデンウィークあたりから少し様子がおかしかったけど、きっとあなたと仲良くなれなくて、ふてくされてたのかもしれない」

「教えてくれてありがと~ございます」

 茉奈は胸の奥からこみ上げるものを堪えつつ、お礼を言って後にする。


 翌日

 今度は茉奈が埋橋さんを校門で待っていた。

 過ぎゆく生徒たちの中から、埋橋さんを見つけて、茉奈は駆け出した。

「おはよ~!埋橋さん」

「おはよ、茉奈ちゃん」

「あたし勘違いしてたわ。てっきり親任せにしてるのかと思ったけど、あれやってくれたのはあなただったんだって?」

「ん…?ま、まあね…」

 照れくさそうに頬を掻きながら目を逸らす埋橋さん。

「すごかったよっ!見事に落書きが跡形もなかったっ!」

「ほんとに、今までのこと…ごめんね」

「も~い~よ、そのことは」

 隣で歩きながら話をしている。

「それより明日は文化祭だよね?一緒に回ろ~よ」

「いいの?今まであんなことしてきたのに」

「い~のっ!も~お互い水に流そっ!」

 ぱあっと顔が明るくなる埋橋さん。

「なら、友達も一緒にねっ!」

「うんっ!」 


「ってゆ~ことがあったんだよ」

 茉奈は心底嬉しそうな笑顔をあたしに向けた。

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