Scène 6 de l'acte 1

「どういう、ことですか」

 ルーシーがつまりながらそう聞くと、

「あんたにも心当たりはないんだな」

 と男はため息を吐いた。

「さっきも言った通り、こいつは」

 と、男は東雲を指す。

「昼にはもうここに居たんだが──ああそうか、あんたはこの街の『仕組み』ってやつを知らないよな」

 男の言葉に曖昧に首をかしげるルーシーを見て、男は説明することを決めたらしい。

「この街はな、そもそもとして、日が昇ってる間は外から人が来れない仕組みになってる。ああ、それは知ってるわけ?」

 ルーシーが頷くと、じゃあ、と男は両手のひらを合わせる。

「ここは夜の街なわけだけど、夜の間開いてるそのへんの店の主人も皆んな、日が出る頃には街の外の家に帰るんだ。そんで、そいつらは日が沈んで街が開いたらまたやってくる。そうすると、朝になってからこの街の中に残ってるのは……まあ、ほんとうに少数だけってことさ。ほんとうに、厳密にって意味で、外から人が入ってこられないようになってるし、たとえ中にいようとしても追い出される。この街が『拒む』んだ。外の人間が、この街の中にいることを」

 拒む、とルーシーは繰り返し、つい眉根を詰める。

「そう、拒むんだ。摩訶不思議なことに、真人間は朝日が昇ると、『この街に眠らされ』ちまう。起きていられないんだよ。俺たち、『ひとでなし』じゃなきゃ……」

 聞き覚えのある「ひとでなし」の語にルーシーの背筋がかすかに伸び、男は少し頭を掻いて、どこか話しづらそうに

「まあ、多少はおかしな話になってくる。あんたが俺の話をそのまま信じてくれなきゃ、俺は狂人ってことになるんだけど」

 困ったように息を吐く。

「ああ、そう、あんたをここに連れてきたあの娘もそうだが、この街には『ひとでなし』って呼ばれるやつらが住んでる」

「差別されていると……聞きました」

 と、ルーシーが相槌を打つと、男はきょとんとした顔で

「ああ……そうかもしれないけど、まあ」

 と男は返すので、ルーシーは意外な反応にかすかに目を見開く。

「差別というか、俺たちは実際にその、真人間たちとは違ってさ……少し、特別なんだ……皆んなどこかがおかしくって、でも常人にはできないことができたりも……する」

 と何か言いづらそうに目を細め、ルーシーは目の前の男もまた「ひとでなし」であることを理解した。「常人にはできないこと」とは何だろうか、とルーシーは思ったが、その問いは一度飲み込み、男が何やら考えあぐねているのを見て、ルーシーは男に向かって右手を差し出し、

「こんなタイミングですけど、お名前、教えていただけますか? 私の方こそ、挨拶が遅れましたけど。ルーシー・ケインズと申します。考古学者です」

 男はルーシーが差し出した右手をしげしげと見つめ、それから面白がるようにひとつ笑って、自分の右手を差し出して握手した。

「こいつはどうも……俺は八手、です。『華屋』で用心棒みたいなことをしてる。『八手』ってのは、ここでの……ひとでなしとしての通り名だけど……」

「ヤツデさん……本名は……?」

 と聞くルーシーに、「八手」は少し肩をすくめて、

「無くしちまったんだ。それもまた『ひとでなし』たる所以ってね。俺たち『ひとでなし』は、普通の社会じゃ生きられなかった日陰者ってことでさ……前の名前は捨てて──捨てさせられて、ここでは別の名前を名乗ってるってわけだ。芸名ってやつ」

 きょとんと目を見開くルーシーに、

「まあ、少しずつ説明していくよ、『ひとでなし』のことは……そんで、問題のそいつのことに戻ろうか」

 ルーシーが八手の目線の先、自分の隣に目を移すと、東雲はぬいぐるみを抱きしめてうとうとと船を漕いでいる。いつのまにか戻ってきていたらしい。

「さっきも言ったんだけどな、そいつは、昼間にはもうここに居た。俺たち『ひとでなし』以外は街の中に留まることのできない、昼間にだ。どこから入ってきたのかは知らん。なんたって『下』から、上がってきたし……」

 八手が思案顔で目を細めながら喋るのを柔らかく制し、ルーシーは頭の中を整理しつつ、八手にこう聞いてみる。

「ええと、つまりその、今問題になっているのはですね、街が閉まってるはずの時にしのちゃん……えっと、この子がこの街の中にいたということ……つまり、この子がどうやってこの街に入ってきたかってことが、私たちにはわからない、わけですよね?」

「そう、それが一つ目の問題だな」

 と八手は腕を組んで息を吐く。ルーシーは口元に手をやってそれから眼鏡の縁を触り、ピントを合わせる。

「それじゃ、この子が『街から出られない』っていうのは……?」

 とルーシーが尋ねると、八手は少し驚いたように笑ってから、

「そこ、そこなんだよ問題は」

 とソファから前のめりになるように身をかがめ、

「俺はさ、何かの間違いだと思ったんだ。こいつがこの街の中にいるってのはさ。もしかしたら、小さな子供なら朝になっても『寝ちまったり』しないんじゃないかと思って……けどな、違うんだよ」

 八手はなんなら少しわくわくとして見える面持ちでルーシーの顔を見つめ、さらに話を続ける。

「夜になってから……そうだな、あんたが来る一時間くらい前だけど、そいつと一緒に開いた街の出口まで行ったんだ。そうしたらな、そいつは外に出られなかった」

「『出られなかった』……?」

 と聞き返すルーシーに、八手は笑い、

「こう言ったんだよ。『ひっぱられる』って……街から出ようとすると、後ろに引っ張られるんだってな」

 彼はそこで疲れたように身体をそらして、ソファの背もたれに身体を埋め、大きくため息をついた。

「……つまり?」

 と慎重な声音で先を尋ねるルーシーに、八手は諦めたような苦笑いでもって

「俺も、そうなんだよ」

 八手のその短い言葉の意味を解しかね、ルーシーは小さく口を尖らせる。八手は言葉を続けた。

「『ひとでなし』はな、この街に縛り付けられた連中なのさ。つまりはさ、ここに住んでる、ここから『出られない』、『ひとでなし』の俺とおなじで、そいつもまた、この街に閉じ込められているらしい。つまりはさ」

 つまりは、と八手はやや勿体つけるように言葉を口に含み、その頃には、ルーシーも八手の言葉の続きに何が来るかを理解していた。

「そいつも『ひとでなし』かもしれないってこと」

 ルーシーは八手の言葉に小さく口を開け、隣で船を漕いでいた東雲が自分の方に寄りかかってくる重さを感じつつ、事態を飲み込みきれないで黙っていた。何かおかしなことが、とんでもないことが起こっているらしいのに、実感もなく、どこか夢の中にいるように思えた。八手の背後に見えるランプの灯りが、眼鏡越しにぼうっと広がって見える。

「いや、『ひとでなし』かどうかは、わからねえんだけどさ、まあ、何か起こっているのは確かで──おい、大丈夫か?」

 八手の声がどこかくぐもって、世界の斜め上から降り落ちて、安定しないままどこかに消えていく。ルーシーの世界は今思考に支配されて、触覚さえ失いかけていた。

 『ひとでなし』とはなんだ? この街で何が起きている? 東雲は、どうやってこの街に来たんだろう……。解決しない問いが彼女の頭の中をもやもやと旋回し続け、言葉が浮かんでは消え、薄暗い洋間の灯りがぐらぐらと鳴っている。何か緊迫した八手の声が上から降り注いでいるが、ルーシーはただひとつのことだけを考えていた。

 ああ、私、何時間寝てないんだっけ?

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笑止千万 -異聞招来-「掃き溜め発セイラム行」 曲瀬樹 @mgsitk

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