第24話 Folding

秋本番の日曜日。一美は朝8時に目覚めると、寝室のカーテンを開けた。秋の日差しが優しく降り注ぐ。一美はパジャマのままテーブルに行くと先週買った食パンの最後の一枚をトースターに入れた。紅茶を入れて、出来上がったトーストにマーマレードを塗って齧る。ここのパンはいまいちだったな。一美は呟いた。


「さて、今日はどこのパン屋に行こうか。」


東京都立東久留米中央高校の養護教諭である一美はアラサーだが派手目の美人である。服装や化粧が派手という訳ではないが、目鼻立ちが大きくはっきりしていて、背が高くグラマーなところがそういう風に見えるのだろう。男にはそんな彼女があとくされ無く遊べそうに見えるらしく、チャラい男ばかり寄って来る。


だが、一美は公務員らしく堅実で、更に養護教諭だけあって健康志向である。夜遅くまで踊ったり酒を飲んだりするのが、好きではなかった。それでも学生時代はそういう遊びもしたが、社会人になると仕事の疲れもあって足が遠のいた。勤務先が都心ならまだしも今住んでいる東京都下から都心まで夜遊びに出かけて、また帰って来るのも億劫である。


付き合い始めの頃はいいが、一美の中身が実は堅実で地味なオンナであると分かると、アテが外れた男たちは去って行く。その度、一美は落ち込んだものだが、アラサーになって思うに、あんな男どもと結婚するようなことにならなくて良かったと心底ほっとするのであった。


職場の同僚に付き合ってほしいと言われることもないではないが、同じ職業の男が相手というのは、一美にはどうも落ち着かないし、それに勤務先まで同じだと、その相手の仕事振りが見えてしまう。よっぽど相性が良い相手でなければ、自分より仕事ができない男とは付き合いたくはない。一美は優秀な教師であったので、必然的に相手は限られた。職場恋愛の難しいところであろう。


よって、現在の一美はフリーである。そんな一美の趣味と言えばパン屋巡りだった。散歩も兼ねて近隣のパン屋を訪ね、その週の朝食で食べるパンを買うのが楽しみなのだ。だが、近場の店や交通の便の良い所は行き尽くしてしまい、お気に入りの店も限られることから、新しいパン屋を開拓するのにアシがほしいと思うようになったのである。パンを買うためだけにクルマを買う気にはならず、原付バイクもクルマ程ではないが保険や税金が鬱陶しい。では自転車はどうか? そんな遠くのパン屋に行く程の情熱もないし、運動にもなる。いいんじゃないかと閃いたところで思い出した。今、住んでいるマンションは駅近なので駐輪場がなかった。




「なあ、美戸。折り畳み自転車って、どうなんだ?」


珍しくポタリング部の部室にやって来た一美は、幸太の出した紅茶をすすりながら美戸に尋ねた。


「折り畳まざるを得ない理由がなければ、オススメはしませんが。」


美戸はそっけなく答えた。


「身も蓋もないな。ウチのマンション、駐輪場がないし、部屋に置こうにもエレベーターに入らないんだよ。」


「じゃあ仕方ないんじゃないですか? 佐藤くんと同じクラスの鈴木 リンちゃんの家は自転車屋ですから、そっちに聞くのが良いですよ。」


「あの、しょっちゅう擦り傷や青アザをつくっては、薬や湿布をねだりに来るアイツか。アイツの家、自転車屋なのか? わかった、専門家に聞く。」


「鈴木に言っとけ。今のうちはまだ良いけど、もうしばらくしたら傷が消えずに跡が残るようになるぞって、私が言ってたとな。」


「伝えておきます。」


一美は紅茶を飲み干すと立ち上がって、部室から出て行った。


「ちょっと冷たくないですか?」


一美の紅茶のカップを片付けながら、幸太にしては珍しく美戸に言った。幸太は保健室でちょくちょく一美の世話になっているので、一美に親しみがあるのだろう。


「ああ。先生に対してどうこう言う訳じゃないのよ。私は折り畳み自転車に詳しくないし、ああ見えて鈴木のおじさんは自転車に関してはすごい人だから、おじさんに聞いた方が良いと思ったの。」





「折り畳み自転車はたいていタイヤが小径なんですが、走行性能という点において、小径車が通常の自転車に勝る点はほぼ皆無と言って良いですね。」


土曜日の朝一で、一美は鈴木サイクルを訪ねていた。なんか最近、美人の客が多いな。自転車が今、流行なのか? 店長はそんなことを思いながら続けた。


「その上、折り畳みの機能が増える分重くなりますし、値段も高くなります。折り畳みじゃないミニベロじゃダメなんですか?」


「地面を走ってる訳ですから靴と一緒ですよね。部屋の中よりは玄関に置きたいので、折り畳みが希望なんです。」


「なるほど。で、話を戻すと、日本の住宅や道路事情だと折り畳み自転車やミニベロはメリットありますね。タイヤが小さい分、取り回しは楽です。凝ったデザインの自転車も多くて、折り畳みの方法もそれぞれ工夫を凝らしているので、見ているだけでも楽しめます。長距離をなるべく速く快適に走りたい人にはお勧めはしませんが、ポタリングにはいいと思いますよ。」


「折り畳み自転車やミニベロは日本では人気ジャンルで、こんな雑誌も出てます。」


店長は雑誌を一美の前に出した。一美は雑誌をぱらぱらとめくった。あるページでその手が止まった。


「これ、良いですね。シックで落ち着いた感じが良いです。」


「ああ、ブロンプトンですね。イギリス製で折り畳み自転車の中では超定番の自転車です。」



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