第9話 エピローグ

 次の日、僕はいつもより一時間早く登校した。


 それは昨日の出来事が夢であって欲しいと願う気持ちからだったのだろう。学園に到着するや否や、学食棟横の林へと向かった。もちろんそこにあったのは火事の跡。一面の焼け野原。僕だってわかっていたこと。夢のわけがない。これがこの世界の現実なのだから。


「と・お・る・くん! こんなに朝早くからこんなところで何してるの?」


 そう言いながら、後ろから僕の頭を撫でる女子生徒が一人。僕はこれ以上ないくらいに不機嫌な顔で後ろの少女に非難の声をあげた。


「僕を子ども扱いしないでくれ、大城戸あゆ!」


 僕は振り向くと同時に彼女の手を振り払う。そんな僕の不機嫌さすら楽しむかのように笑顔のままで彼女は、じぃーっと無言の圧力をかけてくる。


「はいはいわかりました、あゆ『さん』っ!これでいいんでしょ!」

「よく出来ました! ほらほら、いつまでもそんな仏頂面してないで。せっかくのお姉さま受けするかわいい顔が台無しよ?」

「別にそんなこと、あゆ……さんには関係ないだろ」

「まぁそれはそうだけどね~。ま、あたしとしてはあんたはかわいい弟みたいなもんだからさ、やっぱり気になるっていうか、ねぇ♪」

「……」

「ふふ。最近ずーっとイイ天気よね。うーーーんっ!」


 目の前の少女は、この朝の澄んだ空気を体中に行き渡らせるべく空を見上げながら背伸びをした。僕はその彼女の姿につられるように、空を見上げながらポツリとつぶやいた。


「……弟か」

「なんか言った?」

「いや、なんでもない。それより身体のほうは大丈夫? 昨日の火事でなんか気を失ってたって聞いたんだけど」

「へぇぇ~、心配してくれるんだ、やっさしいなぁ透くんは。でもどうして昨日の火事のことを透くんが知ってるわけ? 昨日はあの後、家に帰ったんでしょ?」

「……実はあの後、用事があって駅前に行ってたんだ。その帰りに消防車を見かけて。煙も見えてたしさ」

「ふぅーん、まぁいいけど。それにしても『ちび』ちゃん……無事に逃げられたのかな。あの子、甘えん坊なところがあったから心配だな」


 そんなことをなぜか空を見上げながら彼女はポツリとつぶやいた。



 昨日、あの後、僕は彼女の記憶を……『魔』に関するすべてを『封鎖』した。


「本当にいいんだな? 彼女――大城戸の一族ならいずれ『魔』についても知らされる。そのときになったら今回の事件のこともあらためて知るおもいだすことになる。『記憶封鎖』といっても万能じゃない。なら記憶封鎖された『現実』よりも操作された『夢』の方が都合がいいからそちらを現実だと思ってくれる。だけどこのお嬢ちゃんはいずれを知らなくっちゃならない。そんときお前さん、不利な立場に立たされるぞ?」


 平城山室長はきっと僕にとっての現実的な選択を薦めてくれているんだろう。でも……今の僕は、あゆが『ちび』を失ったという現実にさらされて悲しむ顔を見たくはなかった。身勝手だってことはわかってる。それでも。しばらくの間だけでも彼女が『ちび』の普通でない死を忘れられるのならその方がいいって思ったから。


 だから僕は彼女の『記憶封鎖』を頼んだ。



 今回の事件、おおやけには『仁科にしな講師が生徒数名を道連れにした無理心中』ということになった。『魔』という存在を公にしたくない政府と一部の人間の情報操作の結果だ。それはつまり、あの『魔』に飲み込まれた白衣の男はすでにこの世にはいないということだ。そして、大城戸あゆ、他数名の生徒はそのときの記憶を封鎖。一酸化炭素中毒で気を失っていたことになっている。


 だから今、僕の目の前には昨日と変わらない……普段と変わらない『大城戸 あゆ』という女の子がいる。もちろん『ちび』が死んでしまったことも、昨日の悪夢のような出来事も覚えているはずはなかった。いつか思い出すことになるだろう出来事だとしても、それはまだ少し先の話だ。それまでは、知らなくていい現実。


 そんなことを考えて空を見上げている僕に、彼女は背中からそっと抱きついて僕の耳元でポツリとつぶやいた。


「ありがとう、透くん」

「えっ?!」


――どくんっ。

 心臓が一瞬大きな鼓動を上げた。そして振り向く僕より早く、彼女は僕の背中から離れて言う。


「もちろんこれから、昨日途中までしか出来なかった生徒会の仕事……手伝ってくれるんでしょ?ほら、早く行かないと講義までに終わらないわよ~♪」

「えっ?」

「ほらっ、ぐずぐずしない!かーけーあーし~っ!」


 すでに10メートルは離れている彼女は大声で叫んだ。僕は一瞬、彼女が昨日の事を思い出してしまったんじゃないかと驚いていたが――


「……そんなはず、ないよな」


 僕は元気よく飛び跳ねる彼女の方へ、まだ痛む左肩を気にしながらゆっくりと歩いていった。



 山の上に登り切った太陽がその陽射しで月夜の悪夢を消していく。そんな太陽の光に照らされて、真っ白く輝く少女の姿を細めにして見ながら、僕はこの不思議な――彼女を守りたいという気持ちの正体を考え始めていた。


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