国境の町で

なつき

第1話国境の町で

 ……それは今から八年前、四つの海を支配した精霊の国『神聖エステリア帝国』と錬金術の国『アスカラナン帝国』との戦争の一つ、世にいう『イスタルバ防衛戦』の最終局面での話――。


 ◇◇◇



「……まずいわ。足を怪我して動きにくいわ」



 ひょこ、ひょこ、っと痛む足を庇いながら軍服姿の少女が鈍い歩みを進めている。首から提げられている銀色の認識票に書かれた名前はクロエ中尉。年齢は十四歳。青少年兵士として徴集された兵士だった。


 ……どうして軍人の彼女がここにいるのか。それは彼女の部隊が戦場で敗けてしまったからだ。運が悪く自分の所属する部隊がエステリア騎士団と交戦した際に大敗し、自分だけは遺体の下敷きになって見逃されていたのだ……。


 そして辛くも脱出した彼女だが右足に傷を負っており。今の今まで何とか激痛に耐えながら進んできた訳だ……。


 足跡は結構くっきりと残っているが消す必要は無い。何故ならエステリア騎士団ときたら自分達の部隊こそ撃破したが『規格外の人物』の活躍のせいで大敗し。結局は撤退していったからだ。



「早いところ……どこかで治療しないといけないわね……」



 血糊でべたべたになった頬まで伸ばした蜂蜜色の髪を撫でて。クロエはうんざりとした。一番必要なのは治療の前に病原菌の除去の為に身体を洗う事かも知れない。……もちろん、この辺りに清潔な水場などという貴重な場所は無いみたいだが。


 とりあえず。今の彼女はどこかで休みたかった。出来れば誰も訪れない暗がりで、眠るようにゆっくりと……。



「……?」



 そんな時に。クロエはその入り口を見つけた。

 ぽっかりと空いた、穴みたいな入り口を。



「……洞窟? それとも……塹壕かしら? まぁいいわ。気配はしないみたいだしここでゆっくりと休ませて貰うわ」



 彼女はそう呟くと。穴の中へと入ってゆく。


 中はひんやりと冷たかった。冷えた岩盤の冷気がそのまま内部の空気を満たしており、入ったその瞬間から火照った体温を優しく下げてくれた。



「……ふぅ」



 一息つくクロエ中尉。ここは良い場所だ。流血が流れ満ちる大地も憎悪が飛び交い眸を伏せたくなるような狂気も、どこにもない。ただただ静かで、ひたすらに冷たい。魂の眠る霊廟のような静けさにクロエ中尉は安堵して。そのまま岩壁に半身を押しつけながらずるずると滑り落ちてゆく。いつの間にか出来ていた傷口が開いてかすれた血の帯を作り出す。


 このまま眠りたいかなと、クロエは苦笑した。確かにそれが良いかも知れない。このまま戦争の事を忘れて眠りにつけば、多分もう……何も無くなるだろう。戦争で喪った家族の事も戦い倒れた戦友達の事も愛した国の事も。それでもいい。今は眠ってこのまま起きたくない。目を醒ませば強制的にあの戦場を見てしまう。あの世界は嫌だ。二度と行きたくない。戦友達の命が無慈悲に終わりを迎えるあの世界だけは……。



「あ……!」



 そんな夢うつつの夢幻の中で、小さな声が響く。どうやら自分の他に先客が居たらしいと。クロエ中尉は慌てて身体を起こし、残りの武器である戦闘用ナイフに手をかけた。



「お姉さん……誰……?」



 闇の中から聞こえてきたのは瑞々しい少年の声だった。まだ自分より若いと十四歳のクロエが感じるような、声変わりもしていない少年の声。


 改めて夜目の利いてきたクロエの視界に入ってきたのは、ぼろぼろになった少年だった。かつては艶のあった黒い髪も長い野戦の影響ですっかり輝きを失い、黒曜石みたいな双眸も無慈悲な死神が振るう鎌の先を見続けてきたせいか色の無い据わった目付き。せっかく将来は美少年確定なのにもったいないと涙するお姉さんが多いだろうとクロエは感じた。



「お姉さん誰……?

 ――ってまさかお姉さんアスカラナンの軍人さんっっ?!」



 そんな刹那。少年が持っていた短剣の切っ先をクロエに向ける。



「まさか……貴方エステリアの騎士……さ、ん……?」



 闇の中で見える少年の服装を見て、クロエは完全にナイフを抜いて――呆気に取られた。自分の見立てに間違いない。少年の長袖にベストの服装はエステリアで良く見かける一般的な服装だ。間違いはない、ないのだが……見た目を気にしている騎士にしては服装が少し見栄えが良くない。まるで農民か、奴隷のような、そんな雰囲気だ。



「別にお姉さんに怨みは無いけど見つかったから仕方な――

 ……あれ?」



 真剣な眼差しで短剣を構えていた少年だが……。クロエがナイフを落とし身を崩した瞬間にぱちくりした。


 改めてじっくり少年がクロエを見やると。クロエは荒い吐息に珠のような脂汗を大量にかいて地面に顔を埋めていた。



「わぁ?! 良く見たらお姉さんぼろぼろだ!?

 ちょっと待ってて! 確か売れ残りの薬があったから!!」



 大慌ての少年は。付近に隠していた鞄から塗り薬みたいな液状の薬を取り出した。

 あまりに慌てていたのだろう。その時に彼の私物である羊皮紙の行商証明書が落ちる。


 ――以下の行商人『ダグラス』に従属騎士としての称号を仮に与え、騎士団内での商いを認める――


 暗闇の中で見えた証明書には確かにそう書いていた。



「しっかりしてよお姉さん! せっかく戦争終わったらしいんだから早く帰って家族を安心させるんだ!!」



 少年――行商人のダグラスはクロエの治療をし始めたのだった。



 ◇◇◇



 ……しばらく気絶していたクロエだが。



「……ぅ」



 天井から零れ落ちてきた滴に目を醒ました。



「ここは……じゃないっっ! あの少年はどこに行った?!」



 辺りを見回してクロエは叫ぶ。どうやら声の届く範囲に彼はいないらしい……。



「……これは私のナイフ……?」



 そして無意識に腰に手を当てた時に。クロエはきょとんと言葉を失った。この状況で自分のナイフが鞘に収まっているなどあり得ない。何故なら先程出会った少年とは敵国同士なのだから。まずは武装を外して、それから――後はまぁ、色々やったはずだ。それすらしていないのはクロエにとっては引っかかる事でしかない。


 そしてそれに気づいた瞬間。右足に激痛が走り顔をしかめるクロエ。そう言えば右足、酷い怪我をしていた……はずだ。



「……治療してあるのか?」



 少し下手だが包帯が巻かれ傷薬が塗られた右足を見て、クロエは驚いた。何度も繰り返すが自分が出会ったあの少年は確かに敵国の少年。自分に対して友好的に振る舞う理由はどこにも無いのだ……。


 それなのに、どうして……?


 その時に視線が地面の片隅に向かう。

 そこには少年が拾い損ねていた羊皮紙の行商証明書がまだ、落ちていた。



「従属騎士……?」



 這いずって拾い上げ。読み取った内容には確かにそう記されていた。



(従属騎士というと……エステリアの騎士団で言えば確か――)



「良かったよー。近所に綺麗な水が流れている場所があって……」



 刹那。とたたたた……と軽い足音がかけてきて。



「早く目を覚まさないかな

 ――あ」



 水を革袋に入れたダグラス少年が、帰って来たのだった。



「あ」



 そして。起きて羊皮紙を眺めていたクロエと目が合ってしまう。

 ……。


 しばし、二人の間が静止する。



「そ、それ僕の許可証……!」



 ぱくぱくと泡を食うダグラス少年と。



「荷物を置きっぱなしの奴が悪いのだ、少年」



 ふふんとふんぞり返るクロエ中尉。



「か、返して……!」



 大慌てのダグラス君。



「嫌だぞ少年。私はせっかく掴んだ物は離さないぞ」



 それに対して、クロエ優位に立っているので余裕あり気だ。



「そこを何とか……」



 刹那。ダグラスの綺麗な両目に涙が溜まる。



「う……!」



 それを見て。クロエは冷や汗まみれで狼狽えた。



「ぐす……かえして……よぅ……」



 さらに大粒の涙を溢して泣き出す少年に。



「ぅぅ……」



 さらに罪悪感を抱えて呻くクロエ中尉。



(何なんだこの少年は……雨の日に野ざらしになって哀しく鳴いている子犬か何かかっっ?!)



 泣きじゃくるダグラス少年を見ていると、自然と頭を抱えてしまう。自分は悪くない、悪くないはずなのに……罪悪感が頭を過るのだ。まるでそう、見捨てたら末代まで呪いがかかりそうなほどの罪悪感がと。クロエ中尉はいやいやと――いつの間にかこちらも涙目で――左右に首を振ったのだ。



「ま、まぁあれだ。返しても構わんぞ?」



 ちょっと上擦った声で。偉そうな事を抜かすクロエ。



「え……ほ、ホント……?」



 泣き止み上目遣いで見上げるダグラス少年。



「あ、あぁ本当だ本当!! その代わり条件があるぞ!!」



 迫ってくる少年に。もうすっかり心折れたような返し方をする真っ赤な顔のクロエ中尉。



「条件……?」



 涙ぐむダグラス少年に。



「私の足の具合を看てくれ。それなら考えよう」



 クロエは何とか、それだけを提案した。



「それでいいの……?」


「何ですか? 不満なのですか?」


「いや僕、医者じゃないし白魔導士でもないし……」



 おずおずと見つめるダグラス少年。



「勝手に治療しておいて何を今さら……とにかく、貴方は私に危害を加えないし足の具合を看病する! それで充分です!!」



 そんな彼に対してちゃっかり新しいところを付け足しつつ。赤面を剃らせながらクロエは条件を提示した。



「う、うん……判った。

 僕はダグラス、よろしくね?」


「クロエよ。よろしくね」



 二人はぎこちないながらも握手して、ちょっとだけ、お互いに心を許したのだった……。



 ◇◇◇



「……僕は従属騎士――行商人の一人だったんだ」



 それから何日か経って。ちょっとずつ心を許したダグラス少年はクロエの包帯を代えながら自分の境遇を語ってくれた。


 彼曰く、ダグラスはエステリアの片田舎で農民をしていたが武勲を求めた騎士団と傭兵軍の作戦行動の影響で畑を焼かれたそうだ……。唯一ダグラスだけは多少の文字が書けた事が知られ、皆の安全と引き換えに騎士団の補給を担う兵站行商人へいたんぎょうしょうにんとして雇われていたという事らしい。


 ……尤もその約束は果たされる事は無かった。彼が雇われて数日後に、反抗的なのを理由に全員処刑されたらしい。



「この戦争に勝つためにって……皆が頑張って育てた作物を勝手に奪って畑を焼いていったんだよ……」



 悲しげに眸を伏せるダグラス少年。その瞬間にぽつぽつと熱い滴が落ちてきて。彼の悔しさと憎しみ、そして、何も出来なかった後悔の無力感が手に取るように判った。



「酷い話ね……! そもそも自分達の国を護る戦いなんだから自国を焼くのは論外だわ。聞いた話、焦土作戦でも無いみたいだし……」



 そんな彼を見て憤慨するクロエ。ダグラスはちょっと理解出来ないのか、小難しい顔を右に傾けただけだ。



「お姉さんは? どうして戦争に参加したの?」



 仕方がないのでダグラス君、クロエに尋ねた。



「私? 私もただ徴兵されただけだ」


「若いのに?」


「若いからこそだ。若くないと戦力にはならないだろう。全く……祖国を護ろう等と焚き付けた連中は年齢の問題で戦場には来ないのに……勝手なものだ」



 またしても憤慨するクロエ中尉。彼女は彼女なりにこの戦争に不満だらけらしい。



「断れば良かったじゃない。お姉さん女性なんだし」


「今アスカラナン帝国うちの国は資源が全て無くなって来ているのだ。生活の為の鉱物や食料も人間も、な……。何としても食い止めないといけないから戦争しなくてはいけなかったのだ」


「……どこも大変なんだね」



 ため息をつくダグラスに、



「だからと言って君達の国を侵略して良い理由にはならないがな」



 クロエもため息をついて返す。



「そう言えば何で停戦命令が出たんだろ? 僕らの騎士団、国境の町『イスタルバ』の攻略寸前だったのに……」



 不思議そうなダグラスに、



「それはうちの国にいる『イブシェード・バガー工兵』が原因だな……」



 顔を背けて。クロエは返した。



「イブシェード・バガー工兵?」


「あぁ。うちの国の工兵の一人だ。元々は支援部隊だったのだが……前線で死傷者が出過ぎてな。代わりに彼が銃を握って飛び出したのだ。そして信じられない事に全滅させて帰って来て……それからは出撃する度に騎士団や傭兵団を壊滅させているらしい。

 あの少年兵、私より二つも年下らしいのに恐ろしいものだよ」



 信じられないと何度もかぶりを振るクロエ。



「……そう言えば僕らの騎士団も、銃を持った黒い髪の狼みたいな雰囲気のお兄ちゃんに出会ったけど……」


「それがイブシェード・バガー工兵だ。運が悪いというのを超えてそれは災難とかの次元だよ」


「僕らの騎士団、運が悪かったのか……」



 項垂れるダグラス。

 でも不思議と騎士団連中に哀れみの言葉は無い。



「まぁいいか。だってあいつら僕のお父さんとお母さん処刑したって酒呑みながら笑ってたし」



 ……理由は思ったより、ちょっと酷かった。



「まぁでもこれで。お互いの戦争は一旦休戦だろうな。ここまで消耗して互いに前線は維持出来まい。君はどうする? 故郷に帰るのか?」



 一瞬激痛に顔をしかめながら。クロエは尋ねた。



「僕? 僕は故郷に帰っても出迎えてくれる人がいないよ……皆騎士団から殺されたし……」



「なら。この国境の町『イスタルバ』で一緒に暮らさないか?」



 悲しげに答えるダグラス少年に。クロエ中尉は提案した。



「え……ど、どうして……?」


「このイスタルバは国境の町。中立の町だ。少し下れば貿易港である海の玄関口――『港町・フォーニー』もある。君は商才がありそうだから丁度良いと思うが……嫌かね?」


「いや、別にそれはいいけど……。お姉さん、敵国の人だよね?」


「前にも言っただろう? 勝手に人を治療しておいて何を今さら」


「いや。敵国の人が暮らせないでしょ?」



 どうやら彼の心配はそっちらしい。



「何だそんな事か……。ここは国境の町だ。色んな人間がいるから大丈夫だ。普通に紛れ込めるぞ」



 クロエは少し息を荒くしながら壁にもたれて返す。



「……でもどうして? 僕を誘うの?」



 不思議そうなダグラス。彼は暗がりでまだ気がついていないが……クロエの額には珠のような汗が吹き出していた。



「前にも言っただろう……? 私は一度手にした……存在は……絶対に手放したく、ない……。

 もう嫌なんだ……家族も、戦友達も、友人も、喪うのは……」


 次第に荒くなるクロエの吐息。そこまで来てようやくダグラスも気づいた。彼女が右足を押さえて苦しんでいる事に!



「ま、まさか……!」



 すっかり青ざめたダグラスが包帯を解くと。そこには壊死寸前の右足があった……。



「お姉さんもしかして……!」


「君のせいじゃないよ……消毒が遅かっただけだから……!」



 焼いた針で突き刺すような激痛を我慢しながら、クロエはダグラスを慰める。

 しかし。彼女は体力が落ちているのが原因か、気絶してしまう。



「ど、どうしよう……。

 そうだ! 外で医者を捜せば良いんだ!」



 ダグラスはそう決めると荒い呼吸の彼女と自分の鞄を背負い。



「よし! 早く行こう! お姉さんちょっと我慢しててね……」


 少しよろけながらも、彼女の足と鞄を引きずって出口へと向かっていった。


 ◇◇◇


 何とか出た久しぶりの外は。眩しくて、そして、静かだった。


 中天に昇る太陽の輝きに眸を細めながら。ダグラスは付近を見回す。ここは元々戦場だった。まだ残党狩りの戦士が残っているとか、野党と化した傭兵連中がいるとか、充分にあり得る話だ……。警戒はし過ぎるという事は無い。


 その時だ。かつての戦場の真ん中に佇む影を見つけた。


「!」



 慌てて影の方を向くダグラス。

 そこにはひっそりと、闇のような人影が立っていた。



「……言の葉紡いで時の中。久遠の彼方に向かいゆく」



 人影は少年だった。光を全て閉ざすような黒い髪に、同じ色の闇色でまっすぐの眼差しと黒い鞘に収まった長剣。



「尽きし命は還りゆく。廻る円環の螺旋の中でまた次へ」



 年齢は八歳ぐらいだろうか……? だがその佇まい、そしてまとう空気は、幾千幾万の歳月を経て。永遠の戦いを繰り返した戦士の雰囲気だった。



「迷い無く還れ円環のある平原の中に。全ての想いを捨てて新しい力となれ」



 無数の生命『だった』輝きを世界に還す少年の姿は人間というよりは闇、全てを飲み込む無限のうつろ……。そんな風に見えた。



「託せ委ねよ命達。力を拾う旅人へ。想い消えるとも語りは消えぬ」


 鎮魂の歌に魔力が混ざり、魔法を宿す。

 それはまさに全てを鎮める魔法の子守唄。あらゆる執着を捨てて散った命達が世界の中に還ってゆく……。



「……? どうした? 我に何か用か?」



 魔法を止めてゆっくりと振り返る少年。やっぱり醸し出す空気に似合う、ちょっと古い喋り方をする少年だ。



「あ、いやその……」



 ダグラスがすっかり気圧されていると……。



「その女性は衰弱が酷いな。右足に大怪我をしていて腐りかけているのだろう。こちらに寝かせるんだ。安心しろ、我は白魔導士だからな」



 一息に少年がそこまで言って詰め寄ってきた。



「う、うん……! 判った……」



 その気迫にやっぱり圧されて。ダグラスは素直にクロエを横たえる。実際に彼が白魔導士というのは事実だろう。何せこの眸で戦死者の魂達を還している姿を視ていたのだから……。



「アブサラストの平原よ。この者に全ての加護を与えたまへ」



 彼が手をクロエの患部にかざした刹那。壊死寸前の傷が一瞬で消え去る――どころか衰弱しきっていた体力も回復し、彼女は小さく落ち着いた吐息を立てて深く眠っている。



「すご……!」


「これなら大丈夫だな。我と出会えたのが幸いだな」



 ふ……と静かな笑いを浮かべる少年。



「あ、あの……君名前は――」



「お~い『ヤライ』ーー!! こっちの浄化は終わったよーー!!」



 刹那。彼の名前を呼ぶ声が彼方から響く。

 ダグラスが驚いて、ヤライと呼ばれた少年が表情を出さずに声の方を向く。


 そこにはもう一人。少年がいた。光を溶かしたような白髪に、透き通った闇色の眼差し。こちらもまた八歳ぐらいの少年だが、ヤライと同じように幾千幾万年月を隔てたような世界をまとう少年だった。



「そうか『ルーティス・アブサラスト』。そっちは大丈夫か」


「うん。大丈夫だよ。こっちの死者の魂は全部浄化したよ」



 その少年――ルーティスと言ったか? は、にっこりと微笑んでヤライに話しかける。



「……あれ? そちらの方々は?」



 ひょこっとヤライの背後を肩越しに見やるルーティス。



「重傷の怪我人だ。先程治したよ」



 そんな彼に冷静に告げるヤライ少年。



「さすがヤライだねー」



 ルーティスもクロエの具合と術式の完璧さを見抜きながら彼を褒め称える。



「そのお姉さんとお兄さんを安全な所に案内したら次はあっちの迷える魂達を癒して眠らせようよ」


「そうだなそうしよう。

 ところで君? 今から安全な場所に――」



「それなら大丈夫よ」



 刹那、気がついたクロエが起き上がる。



「あ……! お、お姉さんもう大丈夫なの?!」



 泣きっ面になるダグラスと、



「えぇ。何とか……! ありがとうございます」



 何とかヤライにお礼を述べるクロエ。



「気にしなくてよい。我はそんな物は別――むがっっ?!」


「ヤライ! お礼ぐらい素直に貰いなよ!!」



 ヤライの口を塞ぐルーティス君。むぐぐぐぐ……っと苦しそうにルーティスの腕を叩くヤライ。



「……ところで君達は……?」



 クロエの疑問に、



「僕らは旅の白魔導士達です。僕が『ルーティス・アブサラスト』。こっちの剣を持っているのが『ヤライ』って言うの!」



 ルーティス君、ヤライの口をさらに塞いで返す。だんだん苦しくなっているのか、ヤライはルーティスの二の腕を強く叩いている。



「……そんな白魔導士の子ども達がこんな所で何をしている? 見たところ兵士でも騎士でも傭兵でも無いようだが……?」


「ぶはっっ!! ここで起きた戦争で亡くなった魂の弔いをしていたんだ!」



 そんな時、ヤライ少年がやっとルーティスの手を振りほどく。そしてすぐさまやり過ぎだと言いたげにルーティスを睨んで、ルーティスは「ヤライが無表情なのが問題だよ!」と腰に手を当て、人差し指の先を彼の顔にぽんぽんしながら言い返す。ヤライは彼に何も言えなかった。



「判ったよ。ルーティス・アブサラスト……。お姉さん、お兄さん。お礼をありがとうございます」



 深く頭を下げるヤライ少年。その隣でルーティスは腕組みをしてうんうんと頷いて。



「お姉さんとお兄さんはあっちの方に逃げるといいよ。両国の掃討部隊は丁度イスタルバを覆うように動いているからさ」



 左の街道を、指差した。



「判ったわ。ありがとうございます」


「ありがとうございます」



 クロエとダグラス、お礼を述べる。



「僕らはまだ終わった命達を弔わないといけないから……一緒に行けないけど頑張ってね」



 ルーティスはにっこりと笑う。その笑顔は年相応の、瑞々しい少年の笑顔だった。


「えぇ。ではお元気で」


「君達も、軍には見つかっちゃ駄目だよ」



 クロエとダグラスはお互いに手を振って、二人と別れた。


「ところでルーティス・アブサラスト、我は――」


「もう! ちゃんとルゥって呼んでよ!! 僕たち親友同士だろ!!」


「わ、判った……。すまん、ルゥ……」



 二人の会話が、遠くから聞こえてきた……。



「……早く行こう、ダグラス。彼らの気持ちを無駄にしたらいけない」



 ダグラスに促すクロエ。



「うん判ったよクロエお姉ちゃん」



 その彼女に、ダグラスは警戒心皆無の満面の笑顔で返す。



「ところでダグラス君、このイスタルバで暮らす件は大丈夫ですよね?」



 にっこりと、こちらも満面の笑顔で返すクロエ中尉――もといクロエお姉ちゃん。



「え? あれ本気だったのっっ?!」



 驚愕するダグラス少年。



「さっきも言っただろう? 私はもう喪うのは嫌なんだ。家族も、友人も……」



 そんな彼の身体をぎゅっ……と抱き締める笑顔のクロエ。でも何でだろう? ちょっとだけその笑顔が怖い気がすると、見る人が見たらそう感じたかも知れない。



「まぁいいか。僕も行く当ても無いし」



 だけど当人は気づいてはいない。無邪気に笑って返すダグラス少年だ。



「ふふ……そうか。でもひとまずはここから脱出だな」



 歩き出すクロエに、



「うん。そうだね」



 ダグラスも鞄を背負って一緒に歩いていった。


 ◇◇◇


「……あれからもう、八年も経ったのか」



 感慨深いなと、クロエは風を受け花束を抱えながら呟いた。


 今の彼女は軍服ではない。きっちりしたボタン付きのシャツ姿。現在二十二歳の彼女はこの国境の町イスタルバで市長をやっていた。


 そして今日は終戦記念の日。今日はこの地で亡くなった命達の名前が刻まれた慰霊碑を見つめながら弔う日であった。



「安らかに眠って下さい我が友よ、我が家族よ、我が国民よ……そして、エステリアの民達も」



 沢山の花束が置かれた慰霊碑にはこの地で喪われた両国の者達の名前が出来る限り書かれていた。ここは国境の町、亡くなった命達に国境は無い。それが市長である彼女と市民の総意であった……。



「ごめんなさい! やっと仕事が終わったよ!!」



 絵画のような世界が元気な声で揺れた。



「……遅いぞダグラス」



 苦笑しながら振り返るクロエ。



「ごめんなさい。今日は終戦記念の日だったのに……」



 クロエが振り返った先には。立派な青年になったダグラスがいた。あどけない少年はもう一人前の大人で、今はこの町で商いをやっている。



「まぁ良い。間に合ったのなら大丈夫だ。

 ……ちゃんと花束も持ってきたみたいだしな」



 ちらりと彼の手の中にある花束を見て。クロエは微笑みを浮かべる。



「うん。何とか間に合ったよ」


「では、祈りを捧げるか」



 二人は花束を置き、静かに深く、戦没者達に祈りを捧げた。



「……市民達も、結構祈りを捧げに来ていますね」


「そうだな。みんな時間を見つけては来ているようだな……」



 色んな名前が刻まれた花束を見ながら二人は呟く。その中には『ルーティス・アブサラスト』と『ヤライ』、そして『イブシェード・バガー』という名前もあった……。



「……帰るか」


「そうですね」



 二人は踵を返した。



「ところでダグラス。君は後もう少しで誕生日だったな」


「うん。後三日で十八歳だよ♪」



 嬉しそうに、ダグラス。



「後三日で成人か……待った甲斐があるな」



 ぽつりと洩らすクロエ。



「……? 何か言った?」



 不思議そうなダグラスと、


「特に、何も」


 ちょっと紅い顔を背けるクロエだった。


 ◇◇◇


 ……そして三日後、この若い市長に旦那さんが出来たという一大ニュースが市内を駆け巡ったそうだ。

 市民総出で盛大に祝福された二人。

 そして市長はいつも『旦那が私を手放さなかったのだ』と語っているが、実際は逆だと言う事も、皆知っていたという……。

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