魔王の正体

「ティアミナの森まで行ってくれ」


「はい、お安い御用で」


 後部座席にゲイルを乗せて、二頭立ての馬車が王都を出発した。舗装されていない土の道を、車体を小刻みに揺らしながら駆けていく。一息ついたゲイルは、アンビアと交わした言葉を思い出していた。


「森の入り口の近くに、一軒の家があります。長い煙突を持つ煉瓦造りの家です。そこに住むフィークという方に、丸太小屋の場所をお尋ねになってください。森の奥まで案内してくれます」


 今頃、アンビアは警察騎士の本部に連行され、過去二年間の行跡を厳しく追及されているのだろう。別れる直前、彼女は言った。「どうか私のことは気にしないでください。魔王に会って、顔を見せてあげて」


 釈放の要求。反対派の説得。王都に戻ってきたら、やらねばならないことはたくさんある。だが今はアンビアの願いを受け入れて、一対一で魔王と向き合おう。森に着くまでの間、ゲイルは魔王の正体について思いを巡らせていた。尋ねてみたいことがいくつもあった。


 王都からティアミナの森までは、馬車で半日とかからない。ゲイルから馬車が降りた時、太陽はまだ沈んでいなかった。


 ゲイルは煉瓦の家を見つけると、扉をノックした。中から現れたのは、豊かな髭をたくわえた木こり風の男だった。


「はい、どちらさんです?」


「ゲイル・ロンバートと申します。シモン・ザナックさんの家を教えて欲しいのですが」


 シモン・ザナック――魔王が二度目の生を始めるにあたり、自身につけた名前だ。


「ああ、アンタがゲイルさんか。インプのリムから話は聞いてるよ。小屋まで案内するから、俺についてきてくれ」


 フィークの後に続いて、ティアミナの森に入る。赤い夕日が木々を照らし、神秘的な空気が辺りに満ちている。落ち葉の上を歩きながら、フィークはゲイルに尋ねた。


「アンタ、シモンさんの知り合いか?」


 どう答えればいいのか分からない。ゲイルは言葉を濁して、


「ええ、そんなところです」


 とだけ言った。


「変わり者だけど、良い人だよな」フィークは積極的に話しかけてくる。


「森で一人暮らしなんて、今時珍しいし」アンビアの存在は巧妙に隠されているらしい。「リム以外、小屋の中には誰も入れようとしない」アンビアがいるからだ。「でも、それを除けば愛想のいい爺さんだ。長生きして欲しいもんだね」


 この男は知らないのだ。シモン・ザナックの正体が魔王であることも。彼がすでに死人であることも。もうすぐ、本当の死を迎えようとしていることも。


 三十年の歳月を経て、魔王は人の姿に戻った。世を忍び、アンビアと二人で、誰も寄りつかない森の奥に隠れ住んだ。王都から近いこの森で、魔王はひっそりと暮らしていたのだ。


 ――その終わりが刻々と近づいている。


「あれがシモンさんの家だ」


 どれぐらい歩いたのだろう。フィークが指し示す先に、一階建ての丸太小屋がぽつんと佇んでいた。止まることなく、二人はシモンの家へと近づく。


 暗闇が小屋を包んでいた。フィークが木製のドアを叩くと、中からインプのリムが姿を見せた。


「ありがとう、フィークさん。しばらく外で待っててくれ」


 ゲイルを招き入れ、扉を閉める。蝋燭を持つリムに、ゲイルは詫びた。


「昨日はすまなかった。許してほしい」


「大丈夫だよ、オイラは気にしてねえから。それより来てくれてありがとう。間に合って本当によかった。寝室まで案内するよ」


 部屋を二つ通り過ぎ、アーチ形の扉をリムは開けた。部屋に入ることはせず脇に避けると、ゲイルに蝋燭を手渡して、動きを止める。ゲイルは一人、歩を進めた。


 蝋燭の光が、寝室の姿をぼんやりと浮かび上がらせる。ベッドの上に、黒い人影が横たわっていた。


 ついに魔王と対面する時が来た。囁くような声で、ゲイルはその人影に語りかけた。


「ゲイル・ロンバートです。あなたに会いにきました」


 ベッドの人影が動いた。命を絞り出すようにゆっくりと、顔がゲイルの方に向けられる。ゲイルは蝋燭を近づけた。


 しわだらけの老人の顔がそこにあった。わずかに開いた口元から、消え入りそうな枯れた声が洩れる。


「はじめまして、ゲイルさん」


 ――父だ。ゲイルは直感した。しかし、それを声には出さなかった。老人が発した『はじめまして』という言葉。アンビアと同じように――母と同じように――父もまた、息子の前で親を名乗るつもりはないのだ。愛を押しつけるわけでもなく、許しを請うわけでもなく、ただ最後の責任を果たそうとするかのように、老人は虚ろな目でゲイルを見つめていた。


 魔王として、人間として、父がどう生きたのかを知るために。


 そして父の行動の真意を知るために。


 ゲイルは尋ねた。老人のもう一つの正体について。


「あなたの両腕には傷があるそうですね」


「ええ、人間だった頃に拷問を受けましてね。その時の傷です。よくご存じですね」


「『魔物大全』という本で読みました」ゲイルは言った。「そして疑問に思いました。どうして、この本の作者はそれを知っているのか?」


 ベッドの上の老人は答えた。


「自己紹介が遅れましたね。私はヒルベルト・シュターマン、『魔物大全』の作者です」

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