第7話 杏仁豆腐

「なんだその執着心って、もっと分かりやすくいってくれよ。」

男は自分がうずうずしているのに気がついた。

「あーちょっとまて。ウエイトレスさーん杏仁豆腐二つ追加ね!」

大仏男は手元の空になったコーヒーカップをウエイトレスに手渡した。

「こちらはお下げしますか?」ウエイトレスは男の皿を指差した。

「ん?どうする?まだ食うか?」

「あ、はいたべます」

「だそうでこのままにしててくれ」

「はい、かしこまりました」

「で、話を先に進めてくれよ」男は早く話を聞きたくてしょうがない様子である。


「ん?何の話だっけ?」

「執着心の話だよ!」

「だっけか?まあともかく執着心なんか捨てちゃえって事だよ。うん、そう。」

大仏男はめんどくさそうに答えた。おなか一杯になり少し眠たそうでもある。

「なんだよそれ!もっと詳しく話してくれよ。」

「しゃーないな。いいか?お前が持つ過去の記憶で楽しい思い出はいつ頃まで

さかのぼらないと出てこない?高校?中学?小学生?」

「それは・・・・」

「まずな、とにかく俺に嘘はつくな。俺に対してこんなこと言ったら

恥ずかしいとか、馬鹿にされる!という感情はすべて犬にでも食わせろ。

どうせどんなことを言い合ってもお前は俺に勝てないだから。

クソまみれで逃げ回り、今パンツをはいていないお前のプライドなんて

本当にどうでもいい話なんだよ。とにかくあきらめてその事実を受け入れろ。

分かったか?」

「・・・・ああ」男は小さくつぶやいた。

「で、楽しかった過去の思いではいつ頃になるんだ?」


「・・・しょ、小学生・・・」

「小学生かよ。じゃあ、中学高校は嫌な思い出のほうが多いんだな?」

「・・・ああ。」

「よし、じゃあ、中学高校時代の一番嫌な思い出を思い出せ」

「え!嫌な思い出?」男は大仏男の顔をまじまじと見ると、自分の心臓に手を当てた。呼吸も乱れだし、顔色は見る見る血の気が引いていった。

「わはははは~」大仏男はそんな男の様子を見て大きく笑った。

「な、なにがおかしい?」

「い~や別に。」そう言うと大仏男は最後の杏仁豆腐の一塊を口の中へ放り込んだ。

「く、くすり・・・」男は胸のポケットから薬を取り出しテーブルに出すと

大仏男が取り上げた。


「ちょ、返せよ!」

「なんのくすりだ、これ?ベンゾ・・・」

「いいから返せ!」男は大仏男から薬を取り上げた。

「それ飲むのか?」

「わ、悪いのか?」

「別にかまわんが、飲むならば俺はここで帰る。話は終わりだ。」

「ちょ、まてよ。薬ぐらいいいじゃないか!」

「良くない。頭を馬鹿にする薬を飲むやつに、俺の話を続けても意味無いだろ。」

「どういう意味だよ?」

「俺はお前に過去の嫌な記憶を思い出せ!って言ったのに

なぜ薬が必要になるんだよ?」

「昔の嫌な記憶を思い出すと、心臓がバクバクしだして心が重くなるんだから

仕方ないだろ!」

「で、その薬飲むとどうなるんだ?」

「お、落ち着くようになる・・・。」

「つまり、頭が回らなくなって馬鹿になるんだろ?だったら俺の話が

理解できなくなるだろうよ。」

「そ、そんなことは無い」

「まあどうでもいい。とにかくその薬を俺の前で飲んだらそこで話は終了な」

「なんでだよ!いいじゃないか!薬を飲まないと死ぬ可能性だってあるんだよ」

と男が言うと大仏男は手を叩いた。

「いいじゃないか!首をつるよりきれいに死ねるな!」

「な、なにー!」

「なんだよ。お前死にたかったんだろ?」


「・・・・・・」男は何もいえなくなった。薬は飲みたい。

けどこの大仏男の話も聞きたい。どうしてよいか分からなくなり男は

固まってしまった。

「さあどうする?俺の話が聞きたいならその薬を胸のポケットにしまえ。

それとも好きなだけ飲んで、今までと同じ生活に戻るか?さあ、どうする?

お前の人生だ。お前の好きにしろ。」

「わ、わかった・・・」男は薬をポケットにしまった。


「あのな、今までお前は疑問に思ったことないのか?何でその薬を飲むのか。」

「・・・無い」

「自分の脳みそで考えてみろよ。お前を苦しめる過去の記憶は形として

存在していないだろ?だって、お前の脳みそをCTスキャンなんかで覗いても、

つらい記憶なんて俺が見ることは出来ないだろ?それに記憶は過去の話だろ?

お前のつらい過去なんて、この世界中どこを探しても、お前の頭の中の記憶

としてしか残っていないんだよ。でな、その形が無いものに対して、

お前のポケットに入っているその白い薬は何をしてくれるんだ?

記憶を消してくれるのか?」

「・・・・苦しみはやわらげてくれる。」

「じゃあ、なんで首をつろうとした?薬は効かなかったのか?違うだろ?

その薬はただ単に脳みその反応を遅くしてあれこれ考えられないように

する薬だからだ。」

「・・・・・」

「問題の本質というか、お前の苦しみの本質はな、さっき言った執着から

来てるんだよ。」

「・・・・」

「執着からくる苦しみに対してその薬で対処しようとするのは、

ガス欠したからといって、車のエンジンオイルを交換するようなものなんだよ。

ガソリンが切れたならば、ガソリンを入れなければ車は走らない。簡単な話だろ?」

「・・・」

「お前の心が苦しみを生み出した。ならばその苦しみを消せるのは薬なんかじゃなくて、お前が正しい認識を持つことが一番効果的なんだよ」

「つまり?」

「つまり、目を背けず事実を直視し、自分の脳みそで考え納得し理解すること。

実際にやってみればわかる。お前は中学か高校で嫌な思い出があるんだろ?

それを我慢して頭の中に思い受かべろ」

「・・・・やってみる」


「じゃあ質問な。その記憶の中に存在する人間は何人くらいいる?」

「・・・5人くらい」

「そいつらの姿格好を詳しく教えろ」

「・・・同級生の男女・・・」

「つまり、14~17歳のクソ餓鬼と小娘な?」

「・・・・そうだ」

「もしな、このレストランに5人組の今風な14~17歳のクソ餓鬼に小娘が入ってきて、今の俺たちに絡んできたらどうする?」

「・・・・分からない」

「んな、正直に答えろよ。お前ならどうする?」

「・・・どうすればいい?」

「はあ~・・・。そうだな、俺ならば面倒くさいのは嫌いだから

基本相手にはしないが、しつこいならば車で拉致して5人とも

この世に生まれてきたことを後悔しちゃうようなことするかもな。」

「・・・ってどんなことよ?」

「詳細はどうでもいいだろ!俺の話じゃなくてお前の話をしているんだよ。

でな、この話で重要なのはな、お前の記憶に出てきた5人組は今の顔か?」

「今の顔?」

「そう、何十年前の記憶だろ?ならば今の老けた顔か?それとも昔のままの顔か?」

「・・・・昔のままの顔だ。第一、全然あっていないから今の顔は分からない。」

「じゃあよ、お前を苦しめる記憶のそいつらは14~17の顔した餓鬼どもだけど、そいつらはこの世に存在するのか?」

「死んでいなければいる!」

「どこにもいねえよ。」

「?どういう意味?」


「その5人組は年をとらないのか?」

「そんなわけは無い」

「だろ?じゃあ、お前の頭の中の記憶である5人組は実際に存在するやつらとは

別人だろ?」

「・・・・」

「わかるか?アラサー男がこの世に存在しない14~17のクソ餓鬼に記憶の中でいじめられて心を病んで、薬を飲まないと生きていけない・・・それがお前なんだよ。なんて滑稽な話なんだ?」

「・・・・でも、あの頃の俺は苦しめられたんだよ!」

「じゃあ、どうするよ?今からお礼参りにでもいくか?バールでももってよ。

男はなぶり殺しにして、女は辱めでも受けさせるか?そうすればお前の苦しみは

本当に消えるのか?」

「・・・・・」

「あのテーブルに座っている若者を見てみろよ」大仏男は入り口近くのテーブルに

座っている若者グループを指差した。

「多分あいつら大学生だ。アラサーになった今のお前なら大学生でも餓鬼に見えるだろ?だったら高校生や中学生はどうなる?本物のションベンくさい餓鬼だろ?人間として未熟な者たちの行為をあーだこーだ言ってもしょうがないだろ。おまえ自身が子供だった頃、立派な人格者で過ちを決して犯さない子供だったのか?」

「・・・・・」


「お前は執着して過去の嫌な記憶をいつまでも大切に記憶している。何度も何度も記憶を呼び起こしてはさらに深く刻みこんでいる。」

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

「簡単なことだ。執着する心を捨てれば良い。」

「具体的にどうやって?」

「お前の頭の中の話だろ?よく考えてみろよ。お前の頭の中でお前は異世界転生の主人公と同じく、何でも好きなように世界を作れるだろ?だったら、今の記憶を持ったお前が16歳ぐらいのお前の中に入り込んで、お前をいじめるやつらを無双してやればいいじゃん。あんなことしたり、こんなことしちゃったり。」

「そんなんでいいのか?」

「いいんじゃね?お前の頭の中にしかない記憶だから好き勝手に作り変えろ。それにすぐに飽きるから。もし飽きなかったらそのまま妄想の中で生きていけばいいんじゃない?」

「・・・・」


「ともかくよ、お前は嫌な過去を何回も何回も思い出しては、あーって感じで頭を抱えている。勝手に過去を妄想し、勝手に苦しんでいる滑稽なやつだ。実際にお前の過去を詳しく覚えている人間なんかこの地球上に何人いるんだ?」

「・・・・」

「70億人の地球人の中で、たった一人、つまりお前しかいないんだよ。お前は勝手に過去を妄想し、その妄想に執着し続けている。つまり、お前は苦しみたくて勝手に苦しんでいるだけなんだよ。」

「・・・・」

「お前の頭の中にある妄想が苦しみの原因ならば、おまえ自身が頭の中で処理できる問題なんだよ。」

「・・・・そういわれても、どうすれば・・・」

「だから簡単なことだよ。例えばよ、お前はさっきクソを漏らしたよな?そのクソがどんな色でどんな匂いがしたかなんて事、お前は爺になるまで覚えておくつもりか?そして数ヶ月、数年後にまじまじとリアルに思い出して頭を抱えるつもりか?」

「・・・いや、それは・・・。」

「あとな、これは過去の話だけじゃないんだよ。お釈迦様は言った。何にも執着するなと。つまり、今嫌なやつや嫌なことがあってもそんなことに執着するな、という意味だ。」

「・・・」

「嫌なやつや嫌なことをあれこれ考えてもしょうがない。考えれば考えるほどさらに深みに入っていく。てかよ、嫌なやつや嫌なことを頭の中で考えることに時間をかける事なんて時間の無駄としか言いようが無いだろ?」

「じゃあただ我慢をすればいいのか?」

「違う。すべてはどうでも良い些細な事と理解し、全部許してしまうことが重要なんだよ」


「どうでも良い些細な事?」

「そう、この世のすべての事象は、どうでも良い些細な事。ほんと、人生なんか死ぬまでの暇つぶしなんだよ」

「そんなこといわれたって、そう思えない」

「なんで?そう思えるように頭を使ってしっかり理解すればいいだろ?」

「具体的にどうやってよ?」

「んだな。じゃあ、すべてはどうでもいい些細な事って思えるような話をしてやる。」

「・・・頼む」

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