第29話 終章・石巻へ

 その日に加藤が病院から旅館に帰り着くと帰り支度の山路と美咲に出会った。

「今朝は沢井さんに病院まで送ってもらったのにもう帰って来たの」と美咲は半ばあきれ顔で訊いた。

 加藤の体を心配する美咲には退院を告げた。そして水島親子が今朝病院まで車を飛ばして見舞いに来て、その水島さんに帰りはここまで送ってもらったと説明した。

「じゃあ本郷さんもこれから何処かへ行かれるのかしら」

 てっきり彼女も待ってると玄関を見ながら美咲が尋ねた。

 美希には、もう帰りましたと加藤は返事をした。

「あらっ何処にも行かずにせっかくここまで来て」と美咲は残念そうだ。

「加藤さんに対しては申し訳なくてそれで本郷さんは長く留まると辛いんですよ」

「まあ山路さんの言う通り彼女はそんな感じでした。それよりお二人はまだ居るんですか」

「そうよ、だって唯一の観光のお城は今朝行ったからそれも加藤さんのお陰で地元の人もめったに見られない凄い雲海のまさに天空の越前大野城を見られたから今までゆっくりしてたのそれに沢井さんが駅まで送ってくれるからこうしてロビーで待ってるの」

「じゃあ沢井さんに話して私が送りましょうなんせあの人は新婚一日目ですから」

「それは良いけど、加藤さんあなたはさっきまで入院してたのでしょう」

「追い出されたよ」

「夕べの今日だけどもう退院しても大丈なのね」

「良くも良くないも明け方に病院を無断で抜け出せばそく退院だろう。でも天空の城へのお誘いは良かった。運が良いんだなあ、しかし意識不明で運ばれて翌朝にはメールを寄越すから正直びっくりしたよ」

「山路さんには何度も越前大野に足を運んで頂いても肝心の雲海は一度も出ませんでしたからね心苦しかったですよ」

 そこで加藤はフロントから内線電話で沢井と連絡を取って送迎を任された。

「有難いけど大丈夫、何ならタクシーを呼んでもらうから無理しないで欲しい」

 美咲と加藤との間で若干の押し問答のあとで二人は加藤に送ってもらうことにした。山路にすれば加藤を気付かう美咲の真剣さに脱帽した。二人はリヤシートに座らせてもらった。

「元気そうだけどいつから働けるの」

「明日からでも大丈夫ですけれどそれより近々石巻いしのまきへ戻ります」

「いつです」

「とりあえずしあさってに一度石巻へ戻ります」

「と云うと三月十一日って事ですね。慰霊されるのですがあの海で」

「そうです」

「でもどのようしてあの海域まで行くつもりです」

「美希から、あ、彼女のお父さん、本郷さんに手配を頼んでもらいます」

「それは頼もしい、で、一人で行かれるのですか」

「そうですねもう美希を誘う訳にはいきませんから」

「そうでしたね余計な事を聞いちゃいましたね」

 と美咲はちょっと眉を寄せた。

「でも今日は三国港みくにみなとからここまで水島さんは車で来られたそうですね未奈子みなこさんも一緒だとそれは何か思い当たるものがあったんじゃあないですか」

「山路さんはやはり勘が鋭いですね」

 敦賀まで本郷さんを紹介に行った日に、水島さんがわざわざ未奈子さんを連れて来られた。その時に山路にはこの親子には何かが在ると感じた。

「それがですね私も病院で美希を水島さんに紹介しょうとすると、もうすでに敦賀で会ったと聴かされて何か今山路さんが言ったものと同じ妙なものを感じました」

「やっぱりそうでしたか」

「二人は解ってもあたしにはさっぱりだけど。あたしには未奈子さんと云う人がどんな人か知らないから……」 

 未奈子さんは敦賀では本郷さんにズケズケと、それでいて本人に良かれとものを言っていた。それに呼応するように加藤も今朝の病院でも似たような人だと付け加えた。

「未奈子さんってそう云う人なのね石巻で船に乗るのなら頼もしいそうね」

「今の旅館は辞めるのですか」

「う〜ん五年もお世話になったんですけど自分が漁師と解ったからは余計に考えるようになったし亡くなったひとも漁師でしたから彼女が後押ししてくれれば決定的ですが……」

「そうなの未奈子さんって漁師の奥さんだったの加藤さんは上手くいくと良いわね」

 加藤は二人を駅まで送る途中にメールが着信した。駅に着いて確認すると未奈子さんから石巻へ行くあなたとご一緒すると云う内容だった。

 良かったですねと美咲が賛同した。


 三月十一日の朝に加藤は石巻に着いた。もちろん未奈子も一緒だった。

 いつもの様に夜の明け切らぬうちから次々と船が操業海域へ我先にと出航して行った。その中で三月十一日のこの日は石巻の岸壁から珍しく陽が昇ってから一隻の漁船が港を離れた。

 それは仙台の水産庁に勤める本郷氏の紹介した漁船だった。本郷氏は娘からの連絡を受けて福島沖の遭難海域に出してくれる船を捜した。本郷氏の手配した一隻の小型漁船がこの日に港を出て一路南下した。操船するのは加藤をよく知る同業者の田代だった。出航に当たって先ずは同乗者である福井でお世話になった漁協組合長の娘さんを紹介した。

 田代は水産庁の本郷氏から聴いていたのか、特に驚きもせず加藤に紹介されるとそのまま操舵室に行った。加藤が手際よく舫い紐を外すと船は防潮堤を越えて沖へ出た。

 操舵室と云っても部屋じゃない。屋根はあるがただ三方を囲んだだけの雨風をしのげるものだった。二人は操舵室に居た。そこは二人も入れないから加藤は半身を入れていた。未奈子は水槽の蓋の所に座っていた。

「加藤、お前生きていたのか、丁度この日で六年目になるが今まで越前大野にいたそうだなあ。本郷の親父おやじから聴かされたよそれで一にも二もなくこの慰霊に共感して引き受けたよ」

「勤め先だった旅館の泊まり客の人から五年ぶりに美希に会うことが出来てなあ」

「そうらしいなあ、すべてのことは本郷のおやっさんから聴いた」

 そして何も言うなと田代は話題を変えた。ありがたい、良く気の付く奴だと今更ながら感謝した。

「とにかく生きててよかったよ、生きてりゃあその内に良いことあらっーなあ」

 田代は昔馴染みの穏やかな表情を浮かべた。

 そこへ次々と船主が船名を名乗り上げて加藤の慰霊に同調するメッセージの無線が入って来た。中には死んだらあかん、生きてて良かったなあ、震災で死んだ人の分まで生きろ、ののしられてもけなされても死ぬな意地汚く生きろ、等々の加藤自身に対するメッセージも多くあった。

「何だこれは」

 次々と無線機から流れるメッセージに加藤は唖然とした。

一昨日いっさくじつに本郷さんから連絡を受けてなあ、あれから加藤が生きてたと声を掛けたらみんな集まって飲んだ席でひと言”あいつ”を励ましてやりてィとなったんだ」

「こんなにいたんか」

「いや声を掛けたのは数人だったんだがなあ、お前にこれだけの連鎖反応が起きるから凄いなあ」

「そうかみんな憶えていてくれたのか」

「捨てたもんじゃないぞ、最後のメッセージなんかは中学の時に不良だった奴だ、あいつお前の遭難が確実になった日に海に向かって叫んでたぞう」

「あいつが俺の死を哀れんでいたと言うのか」

「今なら笑って言えるがあの頃は未熟な子供心が抜け切らん貧しい心の人間たちは弱い人間に、いや真っ当な者にたかるのだ悪く思うな」

 田代の言うのがもっともだと知るには長い年月が掛かった。中学生のあの頃はあいつの陰湿な仕打ちには死を持って立ち向かうしかすべがなかった。今から思えばその考えは幼稚すぎる対処法だった。とあいつも俺も今更ながら悟ったらしい。それが死ぬなと言う叫びに収束されているように思った。

 加藤そろそろ現場海域に着くぞと言う田代の声に、中学時代の悩みから一気に現代に戻った。

 船は三月十一日午後二時四十六分に遭難海域に到着して田代は船のエンジンを止めた。船は波まかせに穏やかに揺れていた。三人は船縁に立って遠い彼方に手を会わせて瞑想した。終わると未奈子に渡して置いた手提げ袋から小さな包みを取り出して海に投げた。未奈子はあれほど丁寧に扱っていただけに呆気に取られた。

「あの包みには何が入ってたんですか? 」

「この五年間の仮の名前、岡田と書いた名札が入っていた、それを捨ててこれで名実ともに俺は加藤なんだと大手を振って石巻へ帰れるんだ」

 その言葉に未奈子は心を寄せたが、田代はそんな甘い考えは捨てろと厳しい言葉を浴びせた。

「帰っても何もないんだぞ石巻には」

 田代のその真剣な眼差しが加藤には頑張れと励ますように聞こえた。

「田代あの無線を聴いただろ昔ながらの人情が三陸にはある」

「だから甘えるなと言ってるんだ」

 そう云いながらも田代は笑っていた。

「さあ面舵一杯で帰るぞ。復興中の街にはそんな感傷に耽ってる暇はないんだ」

 田代は舵を一杯に切って舳先を三陸海岸に向けると速度を上げた。三人の頬に当たる風は春の潮風だがまだ冷たく身が引き締まった。



                                (完)


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霧の峠道 和之 @shoz7

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