だから僕は呼吸を止めた。

湊賀藁友

だから僕は呼吸を止めた。

 __息が、したいな__


 そんな言葉が聞こえた気がして、雑踏の中でふと足を止めた。

 あの言葉を僕に告げた君に最近会いに行けてないなぁ。


 時の流れは早いもので僕はもう社会人になったけれど、それでも僕の中で君と過ごした学生時代は変わらず鮮やかなままだ。なんて、君に知られたらと思うと少し恥ずかしいけど。

 そんなことを考えていたらどうしようもなく君に会いたい衝動に駆られて、僕は今一人で暮らしているマンションにも戻らずにスーツのまま電車に乗っていた。

 まぁ幸い明日からはお盆で仕事も休みだし、ちゃんと財布は持っているからなんとかなるか。なんて考えはするが、もし明日からがお盆休みでなくとも僕は電車に乗っていただろう。


 それほどに、今はただ君に会いたかった。


 ■


 電車とバスを乗り継いで大体一時間半、実に一ヶ月ぶりに僕は故郷へ帰ってきた。いつも一週間に一度帰っていることを考えたらとんでもなく久しぶりだ。

 聞こえてくるのがガヤガヤという人の声ではなくジワジワと鳴くセミの声であるということに何となく懐かしさと安心感を覚えて、ふぅと一つ息を吐く。

 これからお盆休みだし、久しぶりの君との時間はじっくりとれそうだ。そんなことを考えながら、しかしもう夜も遅いので僕はとりあえずそのまま実家に帰ることにした。


 ■


 昨日は突然帰ったので両親に連絡くらいしろと怒られてしまったが、優しい両親のお陰で夕食にはありつけたことは有り難い限りだ。

 さて、明日起きたら朝食を食べてすぐ君に会いに行くとしよう。

 予定を心の中にメモして、僕は布団のなかでそっと目を瞑った。


 ■


『何、してるの?』

『あれ、見つかっちゃった』


 視界に映る君は美しく微笑んでいる。


 嗚呼。これは、夢だ。


 何度も見た夢は、まるで僕に『忘れるなんて赦さない』とでも言うように記憶を守り続けていて。


 __忘れられるわけ、無いのになぁ。


 いつも通りのラストシーンはいつも通りに美しくて、いつも通りに残酷だった。


 ■


「それじゃあ、行ってくる」


 朝食後、両親にそう声をかけてから家を出て君のところへと向かう。と、その途中で君と出会った神社を見かけた。

 懐かしいなぁ、高校受験の合格祈願をしに行ったときに出会ったんだよね。

 雪が降る人気ひとけのない神社で君を見かけたときは驚いたなぁ。


『えっ、女神?』

『……は?』


 その後同い年ってことが分かって仲良くなったんだよね。

 高校の入学式で再会したときは本当に驚いたっけ。


 思えば初めて会った時にはもう君のことが好きだったんだな……。まぁ初対面での一言目は『女神?』だったし。


 ■


 君のところまで歩いてあと十五分ほどの所だろうか。君と通っていた高校の近くを通りかかった。


 ……君に告白したのは高校二年生の時だったね。同じクラスなのにわざわざ手紙で屋上に呼び出したっけ。

 それでも、君は来てくれた。


『君のことが好きなんだ! 

 つっ、付き合って、くれないかな……』

『……わ、私もあなたのことずっと好きだったって言ったら……信じてくれる?』

『じゃ、じゃあ……!!』

『……うん、よろしく、____!』


 活発で元気な君が、夕日のせいじゃないって分かるくらい顔を真っ赤にしてそう答えてくれた時はちょっと複雑だったなぁ。『これ以上好きにさせて僕をどうしたいんだ!』って。

 まぁ、流石に口には出さなかったけどさ。

 それから僕らは付き合い始めたんだよね。

 あの時は本当に幸せだった。


 ……まぁ、それは僕だけだったのかもしれないけれど。


 ■


「久し振り。今日は顔色がいいね。

 この一ヶ月君に会いに来られないくらい忙しくてさ、嫌になっちゃうよ。……でも大丈夫。僕は君さえいてくれたら、いくらだって頑張れるから」


 目の前の君にそう語りかけても、君は何も言わない。


 ……今日も外ではセミが鳴き続けている。

 あの日と、同じように。


 ■


 夏休み前日__つまり、終業式当日。


 三年生になって残念ながらクラスが分かれてしまった君は、一緒に帰るはずだったのに何故か校門に来ない。

 まだホームルーム中かとも思ったけど君のクラスの子が帰っていくのを見かけたからそうではないようだ。

 だけど、メールを送ってみても返信はない。

 ……君が居そうな場所といえば……。


「あ」


 そう言えば、君はよく屋上に行ってたっけ。



「……何、してるの?」

「あれ、見つかっちゃった」


 なんで微笑むの。

 ねぇ。

 やめてよ。


 そんな泣きそうな顔で、なんで。


「……どう、して……」


 フェンスの向こう側の君は、それには何も答えない。

 代わりに彼女の口から出た言葉は__、


「大丈夫、あなたは悪くないよ」


 ____優し残酷すぎた。


「ねぇ。私ね、」


 君の体が傾く。

 フェンスとは反対側に、傾く。

 傾いて、傾いて、傾いて。


「__息が、したいな__」


 伸ばした手は、届かない。



 ちらりと見えた君の顔は、

 天使のように、

 女神のように、

 美しく幸せそうに、


 笑っていたんだ。


 その君の笑顔とうるさいほどのセミの鳴き声が、君の苦しみに気づけなかった僕を嘲笑あざわらっているように感じた。


 ■


 君は、実の母親から虐待を受けていたらしい。

 日常的に酷い暴力を受けていたらしく、君の体には痣や切り傷、大きな火傷もあったと聞いた。

 ……両親が離婚して母親に引き取られてから毎日、毎日、君は耐え続けていたのに。


「……ねぇ、早く起きてよ。

 もう君一人くらいなら養えるようになったよ」


 一命はとりとめたものの、君は目覚めない。

 あの日から十年間、ずっと。


 母親に会いたくないからかな。

 外の世界が怖いからかな。

 ……それとも、気づけなかった僕のせいかな。


 ふとあの時息がしたいと言った君の気持ちが知りたいと思ったから、だから僕は呼吸をめた。

 五秒、十秒、十五秒、二十秒、二十五秒……。

 苦しくなって、また息を吸った。


 ……君はもっともっと苦しかったのに、もっとずっと長い間耐え続けたんだ。


 僕が気付いてあげられたなら。

 君を、助けてあげられたなら。

 君は息が出来たんだろうか。


「……ごめんね。

 気付けなくて、ごめん」


 君に会いに来たら必ず言う言葉だ。


 聞こえているかは分からない。

 それに、聞こえていたとしてもきっと君は『あなたは悪くないよ』と笑うんだろう。


 それでも僕は、会いに来る度に必ず君に謝る。

 大丈夫だよって言ってほしいわけじゃない。慰めてほしいわけじゃない。

 じゃあ僕は、何を望んでいるんだろうか。


「花、替えるね」


 枯れかけの花を花瓶から抜いた。

 まだ完全に枯れてはいないってことは、あの後彼女の親権が移ったらしい彼女の父親が来たんだろうか。

 そんなことを考えながら僕が持ってきた花を花瓶に挿した。


 僕が本当に望んでいること。

 なんて、本当は自分で分かっている。


 僕は、ただ……____


「あき、ら……?」


 掠れた声が、聞こえた。

 振り向いた先には目を開けてこちらを向く、みさと


「……みさと?」


 涙がこぼれてくる。

 感情があふれてくる。


『よろしく、あきら』


 そうだ。


 たった一度でいい。

 僕はただ、もう一度、もう一度だけ、君の声で僕の名前を呼んで欲しかった。


 それだけで、よかったんだ。


 君を抱き締めながら大声で泣きわめく僕に気づいたらしい看護師さんが一瞬視界に映る。


 これから僕たちがどうなるのか、僕にはまだ分からない。

 でも叶うのならば、どうか君がこれからは息をすることができますように幸せであれますように

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だから僕は呼吸を止めた。 湊賀藁友 @Ichougayowai

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