第28話 くり返されるのは過ちですか?


 薄暗く陰った店内。

 俺たちはフロアの中央にひとまとめに集められていた。

 床には大量の血のヌメリ、それを流した主であるニット帽男は壁際に転がっている。たぶん、もう事切れているだろう。


 凄惨な状況だが、周囲の皆さんはパニックも起こさずに大人しく震えていた。あのヒデとかいう男の脅しが利いたか……。

 いや、パニックは起こしてるんだろうな。

 今は憔悴とショックで放心しているだけだろう。


 そんな中、嗚咽を堪えているのは腕を切りつけられた女性。傷はけっこう深いようで、止血に押さえたハンカチは今も紅く染まり続けていた。

 その傍らに寄り添うのはカグヤ姫カットの少女、登河冬華。応急処置をしたのも彼女だ。

 危機的状況では動けそうにない……そう自嘲していた彼女だが、ぜんぜんそんなことはない。実に気丈なこった。

 俺は正直に感心しながら、


 ……さて、状況を整理してみよう。


 室内にいる一般人……人質は計九人。

 俺と、腰抜かしたリーマン風の中年男性。ガクブル状態の主婦っぽい女性がひとり。腕を斬りつけられた茶髪の若い女性。そして登河冬華。後は女性店員三名と男性店員が一名だ。


 対する犯人さんのひとりは壁際で血まみれ。もうひとりの刀男……ヒデは、受付けカウンターの上に座してボンヤリと虚空を見つめている。


 照明を落とし、ブラインドとカーテンで窓と出入り口を閉ざされた店内は薄暗い。外から一見すれば閉店状態に見えるだろう。

 もちろん、覗き込まれたら別だし、そもそもあれだけ騒いだのだ。

 俺がヒデに指示されてブラインドやらを下ろしたわけだが、その時に外を覗き見た感じでは、明らかに店内の異変に気づいた様子の通行人が何人もいた。

 すぐに警察がくるだろうし、それは犯人さんも承知だと思う。

 だが、カウンター上に胡座をかいたヤツは、手にした日本刀の峰でトントンと肩を叩きながら、ずっと思案げに虚空を見ている。

 逃げる様子皆無だ。

 もしかして状況をわかってないのか?


 ……そもそも、コイツの目的は何なのか?


 本来は強盗にきたんだろう。

 少なくとも、ニット帽男の方はそのはずだ。

 銀行やら郵便局ではなく、この手の店を狙うってのは、まあ、理に適ってはいるかもしれない。

 金融機関のように警備員やセキュリティーが充実しておらず、それなりに現金があり、新機種端末や個人データなど、流通ルートさえ確保していれば金に換えられそうな物が多くある。


 だが……。


 あっという間に仲間割れし、相棒を手にかけて店を閉鎖し、後は金品を物色することも逃げ出そうともせずに、ボンヤリ考え事をしている。

 籠城を決め込んでる? にしては拘束もせず、俺たちからケータイを取り上げるとかもしない。騒ぐなと脅しつけてひとまとめにしてるだけ。


 ……文字通りに、何考えてんだ? って状態だ。


 わからない。

 だが、ヘタに騒いだり動いたりすれば、容赦なく斬りつけてくるのだけはよく思い知った。

 こちらは九人もいるんだから、一斉にかかれば取り押さえることは可能かも知れない。けど、無傷では無理だろう。

 みんなビビってまともに動ける状態じゃないし、あのヒデという男は刀の扱いが素人とは思えない。この場での立ち回りもそうだし、このところの押し込み窃盗と同一犯なら、ドアやらレジやらを一刀両断する腕前だ。


 うかつに動けば死傷者が出るだろう。

 なら、今は大人しく待つしかないし、待つべきだ。

 そうすれば、じきに警察がくるはず。善良で無力な民間人は余計なことはせず、冷静に控えるべきだ。


 すぐ横でうつむいている姫カットの少女を見て、改めて思う。


 そうさ。余計なことをすればロクなことにならないのは、それこそ心の底から思い知っているんだ。


 ……俺は、あのクソ親父とは違う。


 やがて彼方から警察のサイレンが響いてきた。

 すぐにサイレンは大きく重なって、店先の通りに何台も乗りつけてきたのだと推測できる。


 周囲の人質たちに微かな安堵が走り、同時に、カウンター上の犯人が大きな溜め息を吐いた。


「……ああ、やっぱなあ。最初っから乗り気じゃなかったんだ」


 やれやれと力ないぼやき。


「金は欲しいからさ、強盗って妙案だと思ったんだ。だってさあ、斬りたいだけ斬って、金も手に入る。最高だろ? けど、アイツ……まわりくどいんだよなあ」


 壁際で倒れている相棒を切っ先で示した。


「人目を忍んで、夜闇に隠れて、斬るのは物ばかりでさあ。それで小銭をかすめて逃げ出して……そういうの、スンゲーまわりくどいし、ダセェよ。挙げ句に今日のこれだぜ?」


 マジまわりくどい……と、ヒデは溜め息を荒く刀を揺らす。


「さっきのあのバカの言い草、オマエらも聞いただろ? 〝おいヒデぇ、ムチャすんじゃねえぇよぉ、さっさとイタダクもんイタダイて逃げるんだよぉ〟てなあ……。

 ハハッ! 何だよそれ。何のために真っ昼間っから出向いたんだよ。せっかくようやく人がいるとこに乗り込んだんだろう? ドアやら壁やら斬るためじゃないんだよ! オレはさあ……。

 ……やっとこさ、人間を斬らせてもらえると思ってたんだよ!」


 吐息まじりに呟いた声は、歓喜に震えていた。

 淀んだ色彩に濁った瞳が、こちらを……身を寄せ合う獲物たちを睨む。


 このヒデという男と、壁際で倒れてる男がどういう関係かは知らない。

 ここに至るまでの経緯も定かじゃない。コイツらがどういう人生を歩んできて、どんな事情があるかもわかりはしない。

 だが、確実に理解できたことがある。


 ……ヤバいな、ガチのイカレ野郎だ。


 人を斬りたくて刀を持ち、人を斬るために乗り込んできた。

 逃げる以前に、そもそも後先なんて考えてない。

 コイツは……。


「……わ、私たちを……どうするつもり……なの?」


 震えてかすれた声が問いかけた。

 聞き覚えがありまくる声。

 見れば、登河冬華が眼光も鋭く犯人を睨みつけていた。

 見上げた胆力ではあるが、その唇も肩もカタカタと震えまくっている。まあ、恐怖に駆られながらでも問い質したのはさすがだけどさ。


 ……こういう状況で、注意を引くのはマズいんだ。


 オレはコッソリと彼女をつついた。

 ひそめにひそめた小声で〝余計なことを言うな〟と警告する。

 けど、彼女は黙らなかった。


「……私たちをどうする気?」


 もう一度、なお毅然と問いかけてしまう。

 俺の警告が聞こえなかったわけじゃないだろう。現に、一瞬だがこちらを睨みつけた上で問いかけた。


 対するヒデは手にした刀を肩にかついで、ヒョイと床に飛び下りる。


「斬るよ。斬りたいからね。みんな斬る」


 笑顔で言い切った。

 それはどこか照れ臭そうですらある微笑……何がどう照れ臭いのかは皆目見当もつかない。


「それでさ、警察の連中もみんな斬るのさ。斬って斬って、斬りたいだけ斬りながら逃げるんだ。ハハッ、楽しいだろうなあ……♪」


 何が?

 ……って、みんな思ったろう。


 楽しいって、それのどこが楽しいんだ?

 わけがわからない。どうかしてる。


 居合わせた一同の感想はそんな感じだと思う。

 世間の多くの人もそう思うだろう。

 それが普通だ。そう思うのが真っ当だ。


 ……だから、問い質すだけ無駄なんだ。


 イカレた狂人の考えなんて理解できるわけがない。むしろ理解できる方がオカシイんだよ。


 なのに……。


「……な、何よそれ……ふざけないで!」


 泣きそうな怒り顔で、登河冬華が叫んだ。

 叫ばずにはいられなかったんだろう。


「人を殺すのが楽しいって! そんな……! ふざけないでよ! 貴方みたいなヤツがいるから、お父さんは……!」


 彼女の父親を死に追いやったあの事件。

 あれも同じく、イカレた狂人が巻き起こした事件だった。

 わけのわからないヤツが、わけのわからない理屈で、周囲を巻き込み命を喰い散らす。そんなのは堪ったもんじゃない。


 だから黙っていられない。

 糾弾せずにはいられない。

 それは人として真っ当な衝動だ。普通の感情だ。

 だから理解できる。

 ……理解できるけれども、だ。


「……うるさいなぁ、騒いだら斬る。そういうルールだって言ったろ?」


 本当に、心の底からウンザリと、仕方のないヤツにあきれるように、それでいて、とても楽しい期待に胸を躍らせるように────。


 ヒデという名の狂人は、爛々らんらんとした眼差しで登河冬華を睨み返した。


 ほら見ろ、

 だから余計なことはするべきじゃないんだ。

 そんなことは、散々に思い知っていただろうに……!


 ヒデが刀を構える。

 向けられた切っ先に、姫カットの少女は息を呑んでへたり込んだ。

 自業自得、因果応報、この世は本当に世知辛い。


 俺は────。


「……なあ、ちょっと聞いてくれよ」


 俺は、立ち上がりながら声を上げていた。

 叫ぶでも、呟くでもない。意識して普通の声量で、可能な限り落ち着いたトーンで、ヒデに呼びかけていた。


「……あ? 何だよ?」


 楽しみを妨害されたヒデが不機嫌もあらわに向き直る。

 邪魔するならオマエを先に斬っちゃうぞ? ……そういう眼だ。


 うん、つまりは邪魔しなかったら、その子をこのまま斬っちゃうんだよな? それは、何というか、ちょっとよろしくないんだよ。


 よろしくないから、こうして立ち上がった。


 立ち上がったんだけど────。


 それで、どうすりゃいいんだ?


 俺は引き攣った笑顔のまま、ともかく両手を挙げて降参の意思を示したのだった。

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