第10話 うちの妹は本当に残念だ


 十一月も終わりに差し掛かる今時分、日の入りはもうだいぶ早い。

 そして、暮れ始めたらあっという間に真っ暗だ。

 学校を出て直帰でも、辺境の我が家に帰り着くのは午後七時前後。辺りはもう宵闇で、いつもなら素数を数えながら自宅の玄関に飛び込むところだが……。


 今宵は屋内から照らしてくれる明かりの存在が頼もしい。

 そこに関しては、俺は正直に安堵と感謝を抱いて、玄関戸を開いた。


「……ただいま」


 いつものように帰宅の挨拶。


「おかえり、アオツグ」


 いつもと違って、優しい声音が迎えてくれた。


 土間の台所。コンロにかけた鍋をゆるりと掻き混ぜながら、こちらに柔らかな微笑みを向けている金髪さん。


 あるいは────。


 帰宅したら、金目の物と一緒に消えてたりして……とかいう可能性も考えていたんだが。


「アオツグ、帰って来るなりですまないのだが……」


 心苦しそうに、というよりは不安そうにか? 鍋の中身を小皿に取って差し出してきたアルル。コーンとミルクの甘い香りが湯気とともに立ち上る中、青い瞳がジッとこちらを見つめてくる。


 ……味見してくれ、って、ことなんだろうな。


 考えるまでもない。だから、考える必要はない。

 けど、俺は微妙に気後れしつつ。

 それでも結局は小皿を受け取り、口にした。


「…………」


「……どう、だろうか?」


「……ああ」


 普通に美味しい……いや、かなり美味い。

 今朝はただの塩辛いコンソメスープだったが、良く煮込まれたコーンポタージュに進化していた。作り直したのか、改良した結果なのかはわからないが、とにかく、味も匂いも舌触りも素晴らしい。

 月並みだが、店で出して金を取れるレベルだ。


「……美味しい。甘みと塩気のバランスが丁度いいな」

「そうか! 良かった♪」


 俺の言葉少ない感想に、それでも嬉しそうに声を上げる金髪さん。何というか、見てるこっちが照れるような満面の笑顔。


 見れば、居間の卓袱台ちゃぶだいに積まれている数冊の本。言うまでもなく料理本で、昔、俺が自炊を余儀なくされた当初に適当に集め読んでいたものだ。


 俺の視線に気づいたのだろう、アルルがやや慌てた様子で謝罪する。


「あ、その……すまない、勝手に読ませてもらった。やはり、母としては料理のひとつもこなせねば話にならないと思って……」


 母として……ってとこはひとまず流して。


「一日中勉強してたのか?」


「…………うむ。その割りに、出来上がったのがスープだけで……我ながら不甲斐ない。食材や調味料も、勝手に消費してしまって……」


 まあ、備蓄の食材なんてそれこそ缶詰やレトルトばかりだ。むしろ在り合わせの材料じゃあスープぐらいしか作れなかったんだろう。


「だ、だが、その代わり出来上がりには自信があったんだぞ。だから、その……口に合ったのなら、ふふ、何よりだ」


 ホッと息をついたアルル。

 穏やかに、柔らかに、俺が美味しいと言ってくれたことに心から喜んでいるような、その姿。


 人間は、


 人間は内側と外側をハッキリと分けて生きている。

 外面はニッコリと微笑みながら、内面では嫌悪を渦巻かせていたり。

 美辞麗句を並べて賛美しながら、本音では真っ黒に毒突いていたり。


 ……だから、この金髪女だってそうだ。

 実際には何を考えているかなんて、わかったもんじゃない。

 ニコニコと愛想良くしているのは、単に俺の機嫌を取ろうとしているだけかもしれない。


 打算もないのに、誰かに優しくするヤツなんていない。

 ましてや、昨日今日出会ったヤツのためになんて……。


「……アオツグ?」


 首をかしげたアルル。

 俺の顔を覗き込んできた青い瞳が、ふと、大きく見開かれた。

 直後、彼女の両掌がふわりと俺の頬を挟み込む。触れた掌の感触はやたらと滑らかで温かくて、俺は大いに戸惑い逃れようとする。が、アルルは逃す気はない様子でシッカリと手を添えたまま。


 青い瞳がジッと真っ直ぐに、何かを言いたげに見つめてくる。


「な、何だよ!?」

「…………」

「……おい!」

「……うん……いや……すまなかった」


 微笑んで手を離したアルル。

 その微笑みは、昨日のあのバス停でも見た弱々しい笑顔。自嘲を堪え、うつむくことに抗うような、懸命な微笑み。


 俺の猜疑心さいぎしんを察して、けれど、それをどう解けば良いのかわからなくて、無理に踏み込んでも余計に傷つけてしまいそうで、いったいどうしよう…………とか、そんな感じかな?


 相手を賢しげに読み取ろうとする俺の眼は、さぞかし陰気に濁っていることだろう。それでも、そんなヒネクレ者の眼差しを、アルルの澄んだ瞳はひたすら真っ直ぐに受け止めて……。

 やがて、その青い双眸は柔和に細められる。

 甘ったるくも優しい微笑。


「ありがとう、アオツグ」


 紡いだ声音は輪をかけて優しく穏やかに。

 それは何に対しての礼だ?

 身元引受人になったことか?

 家に住まわせてやったことか?

 それともスープを美味しいって言ったこと?


 いや、たぶん、その全部に……だろうな。


「……スープ、もっともらっていいか? 腹減ってるんだ」

「あ……ああ、わかった♪ 座って待っていてくれ」


 穏やかだった微笑が、パッと花咲くようにニッコリと、満面の笑顔で嬉しそうに食事の用意をしてくれるアルル。

 それが演技だというなら、実に名演技。それこそ、そんなに気合い入れて俺を騙してどうすんだ? ってくらいの迫真の演技だ。

 だから……ああ、そうだな。

 要するに俺がヒネクレてるだけなのかもしれない。


 苦笑う俺に、ふと、アルルが思案げに首をかしげながら振り向いた。


「そろそろ帰る頃だと聞いたから、温め直して待っていたんだが……やはり、これだけで夕食というのは寂しいな。もう一品くらい何か用意した方が良いだろうか?」

「いや……ああ、でも確か棚に食パンがあったから…………待て、って誰にだ?」

「うむ、それは……」


 アルルの返答をさえぎるように、台所横の扉が開く。玄関戸ではない。外に増設した小屋……風呂場に通じる扉だ。


「お風呂上がったぜアルねえ!」


 元気良く声を上げて現れたのは我が妹分、深空みそら紅姫べにひめ


「お、アオにいおかえり! そんでさあ、悪いけど服貸してくれよ。着替え持ってきてないんだ」


 バスタオルでザンバラ髪を豪快にワシャりながら、全裸で仁王立ちの娘さんは高らかに言い切った。


 とりあえず────。


「……男としても兄としても色々と言いたいことはあるが、まずは人として恥じらいを持て原始人」

「…………?」

「不思議そうに首をかしげるなよ……」


 花も恥じらうはずの十五の乙女が、なんて嘆かわしい!

 ほんと頼むから、せめて、人間らしく……。


「そんな格好では風邪を引いてしまうとアオツグは心配しているのだ。さあ、これを着てくれベニヒメ」


 アルルが大いに脚色した意訳とともに、すでに用意していたらしい衣服をせっせと紅姫に着せていく。

 何というか、文字通りに母親に風呂上がりを世話されるお子様な光景だが、当の紅姫は恥ずかしがるどころか、むしろ嬉しそうにニシシと笑う。


「ありがとうアル姉!」

「うむ。ん? ああ、髪がまだ濡れているぞ」


 アルルがバスタオルを取って丁寧にザンバラ髪の水分を取っていく。紅姫は居間の縁に腰かけて、心地良さそうにされるがままに。


 いつの間にそんなに仲良くなったのかはともかく、俺の帰宅時間を誰に聞いたのかだけは、良くわかったのだった。


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