第6話 貴方がわたしの御主君か?


 かくして夕暮れのバス停に取り残された俺と金髪女騎士さん。

 何とも気マズい空気だが、このまま立ち尽くしてても仕方ない。火尾木村行きのバスが来るまでは、まだしばらくあることだし。


「とりあえず、座って待とうぜ」


「あ、あの……」


 俺が併設された待合所を指差せば、意を決したって感じで声を上げた金髪さん。

 そのまま大きく頭を下げて謝罪してきた。


「申し訳ない! 何やら、色々と迷惑をかけしまったようで……その、ぜんぜん憶えてないのだが、わたしは貴方を……襲おうとしてしまった……のだよな?」


 オロオロと気の毒なくらいに恐縮した様子。


「……ああ、いや、襲うっていうか、絡んできただけだ。それに、結果的にはアンタが身代わりになってくれたわけだし」


 頭の上を指差して告げれば、彼女は己の頭頂部を撫でて苦笑う。

 ……が、それも数秒のこと、すぐに表情を引き締めた。


「イヌイ殿から聞いていると思うが、どうやらわたしは記憶を失っているらしい。自分が誰なのか、どこからきたのかも憶えていない。どうして貴方に接触したのかも、わからない……」


 己の不甲斐なさを恥じ入るように、うつむいた金髪さん。

 けれど、深呼吸をひとつ挟んですぐに顔を上げる。改めてこちらを見つめてくるその眼差しは、何やら強い決意を宿しているように感じた。


「わたしは目を覚ます以前のことを思い出せない。それでも、わたしは自分が〝騎士〟であるというそのことだけは、確かに憶えている」


 青い瞳が真っ直ぐに俺を見つめて、そう言った。


 真剣に何言ってんだアンタ?

 まだその騎士設定続ける気?


 ……いや、記憶が飛んでるわけだから、本能的に自分が騎士だと思い込んでるってことか? 改めて大丈夫かよコイツ。


 不安でいっぱいの俺をよそに、当の金髪さんはやはり大真面目。


「ミソラ……アオツグ」


 ゆっくりと一語一語を噛み締めるように、俺の名を呟いた。


「その名前を聞いた時、わたしはとても重要な……いや、大切な名前だと感じた。聞けば、わたしは〝貴方のことを守る〟……と、そう言ったらしいな?」

「……ああ、昨日、出会い頭にそう言って詰め寄ってきた。すぐにタライが振ってきたから、理由も事情もわからんままだけどな」

「そうか。なら、やはりそれがわたしの役目なのだろう」


 金髪さんはスッと居住まいを正すと、淀みない所作で片膝を突いた。片腕を背腰に回し、逆の腕を胸の前に当てて、静かに首を垂れる。


 それは、騎士が主君に対して忠義を誓う礼……って、感じだった。


「この時、この場にて誓おう。わたしは、貴方を守る剣となる」


 唱えられた大仰な宣誓。

 地方都市のバス停のボロい待合所で、呆然と立ち尽くす男子高校生を前にして厳粛にひざまづいた金髪美女。


 それは確かに珍奇で滑稽で、場違いな光景。

 なのに、夕日に照らされた彼女の姿はやけに堂々とキラめいていた。

 それは本当に揺るぎない決意を秘めた、立派な〝騎士〟のように……。


 ……アホくさ。何を雰囲気に流されてんだ。


 俺は即座に否定を抱く。

 彼女の言動や仕種があまりに堂に入っていて、呑まれるところだった。


 立派な騎士? そんなわけないだろう。


 コイツは別に異世界からきた姫騎士でもなければ、タイムスリップしてきた中世の聖騎士でもない。そんなファンタジーは現実には有り得ない。


 厨二病をこじらせた妄想癖のコスプレ女。

 現実的に考えればそういう変人だ。

 記憶が飛んだ上でもキャラがブレてないのは見上げたもんだがな。


「悪いけど、アンタの騎士道ゴッコに付き合う気はないんだよ」


 ウンザリと嫌気を込めて吐き捨てる。

 ……だいたい、守るって言ってもだ。


「ここには剣で戦うべき相手なんていないぜ。平和な現代日本じゃあ、闘争は御法度。武装するだけでも犯罪だ。敵もいないのに、いったい何から俺を守ってくれるんだ? そもそも現状は、俺の方がアンタを社会的に保護してるんだぜ」


 鋭く睥睨へいげいして一気にまくし立てれば、金髪さんはグッと言葉を詰まらせてうつむいた。


「……そう……なのか……」


 いかにも心苦しそうに身をすくめてしまった姿に、ちょっと胸が痛む。

 少しキツく言い過ぎたか……?

 実際、端から見ると俺が彼女をイジメてる構図だよなコレ。

 けど、これからのためにも、立ち場はハッキリさせとくべきだろう。


「アンタの記憶が戻るか、素性がわかるまでだ。それまでは仕方ないから面倒見てやる」


 語気も強く言い切る。

 有無は言わせないと睨みつければ、金髪さんはもとより反論などする気はなさそうに、神妙な様子で頷いた。


「……そうだな。努力する。わたしの記憶が戻れば、貴方の父君の行方を知る手掛かりとなるんだからな」


 はあ? 親父の手掛かり?

 何を勘違いしてるかな、この女は。


 ……いや、まあ、肉親の安否を案じているって思うのが普通か。真っ当な家族ならば、確かにそうだろう。


 けど、あくまでそれはならだ。


 どうやら、一番ハッキリさせとかないといけないのはのようだ。


「あのな、俺がアンタを保護するのは仕方なくだ。社会通念と法律に縛られて仕方なく引き受けたんだ。だから、アンタには早急に社会復帰を整えて独り立ちしてもらいたい。

 それさえ叶うなら、アンタの素性も記憶もどうでもいい。

 まして、親父との関係なんて知りたくもない。俺はもうあのクズ野郎に関わるのはゴメンなんだ」


 親父の行方?


 そんなもんどうでもいい。


 というか、できれば死んでて欲しい。

 それ以外の情報なんて求めていない。

 そもそも俺的にはとっくに死んだものと思っている。


「俺は親父になんて会いたくないし、名前を見聞きするのだってゴメンだし、その愚行に振り回されるのも心底イヤなんだ」


 ああ、そうさ、アイツのせいでどれだけ苦労しているか。

 俺だけじゃない。玄蔵伯父さんだって散々に振り回されてきた。

 あのバカはいつだって自分勝手で、周囲をかえりみることなんか皆無で、寝言みたいな理想をひたすら脳天気に追いかけていた。


 その果てにやらかした、二年前のあの事件。


 アイツが全てを俺たちに押しつけて失踪してからの二年間。俺たちはひたすら愚行の尻拭いをさせられてきた。

 それでも、二年経ってどうにか落ち着いてきたと思っていた。


 その矢先に! この馬鹿げた事態だ!


 イカレたコスプレ女に絡まれて、あらぬ誹謗中傷を蒸し返されて、挙げ句に記憶が飛んだ変人の保護観察……本当に何なんだよ!


「冗談じゃねえ……!」


 写真と便箋が入ったビニールを力任せに握り締める。


 何が〝息子を頼む〟だ!


 冗談じゃない! 俺はアイツの息子だってだけで、どれだけ苦労すればいいんだ!


 あの最悪の〝詐欺師野郎〟のせいでッ!!


 気がつけば、頭を掻きむしりながらゼェゼェと息を荒げている俺。

 何だか喉が痛い。

 心に叫んでいた親父への抗議は、もしかしなくても声に出していたのだろうか?

 ふと見れば、提げていたはずのショルダーバッグは地面に落ちていた。

 激情に任せて叩きつけてしまったのだろう。握り締めていたつもりの写真と便箋も、足で思いっきり踏みにじっていた。


 何だこりゃ。文字通りに我を忘れてわめき散らしてたのか?


 ……あーあ、情けねえ……。


 たっぷり自虐しつつ、荒げた息を懸命に堪えて激情を抑え込む。

 見下ろせば、見上げてくる青い瞳とバッチリ視線がぶつかった。


「…………」


 ひざまづいたまま、ジッと俺を見上げている金髪女。

 黙って見つめてくるその鋭い眼差しが、まるで醜態を咎めてきているようで……。


 俺は何だか居たたまれなくなって背を向けると、そのままベンチに腰を落とした。


 それは何ていうか、丸っきりフテ腐れたガキの行動そのもの。


 ……本当、自分で自分が情けなくて、バツが悪くてそっぽを向いた。


 ふと、金髪さんが何やらゴソゴソ動いている気配。

 何をしているのか……なんて考えるまでもない。そもそも、三メートルも離れてない距離だ。そっぽを向いてても視界の端に映ってる。

 彼女は俺のショルダーバッグを拾い上げ、汚れを払っていた。

 それから写真と便箋を拾い上げ、クシャクシャになっているのを丁寧に引き伸ばして、ショルダーバッグのポケットに収めた。


 自分のものではない荷物を大事そうに抱え込み、立ち上がる。

 ツカツカとこちらに歩み寄り、そのまま俺の隣に腰かけた。


 隣合って座した俺と金髪さん。


 無言だ。


 俺はもちろん、彼女も何も言わない。

 その沈黙は……正直、想定外だった。

 生真面目そうなこの女は、今の俺の言動をもっともらしくいさめてくると思ったんだ。

 肉親を悪し様に嫌う不義を、無様な取り乱しっぷりを、自称〝騎士〟らしく高潔に責め立ててくると、そう思ったのだけれど……。


 けれど、彼女は無言だった。


 盗み見るように窺えば、彼女の顔は無表情で、その凛とした眼差しは真っ直ぐに前方に向けられている。そこに怒りやイラ立ちは見えず、あきれている様子もない。


 シンと静まり返ったバス停。


 何だ? この状況……。


 そりゃあまあ、綺麗事や正論で説教されたり、安い同情や励ましなんてゴメンだ。ましてや事情を問い質されたって、絶対に応えたくなんかないんだが……。


「………………」


 こうして黙り込まれるのも普通に気マズい。


 俺は気を取り直すために、大きく深呼吸をひとつ。

 彼女が抱えているショルダーバッグを横から取り上げ、礼を言った。


「……これ、ありがとな」


 何はともあれ、回収整理してくれたんだ。そこについて礼を言うのは道理だろう。


 しかし────。


「……すまない」


 返ってきたのは、そんな謝罪の言葉。


「……すまない。本当に、申し訳ない」


 浅い吐息とともに、さらに繰り返された謝罪。

 それは自身の無力や不甲斐なさを自責し自省する弱々しいもの。けど、その謝罪の意味をはかりかねる。


 ……今、このやり取りの中で、この女が詫びる要素があったか?


 俺の困惑を察しているのかいないのか、彼女はゆるりと言葉を紡ぐ。


「アオツグ殿。今、貴方が苦しんでいるのはわかるんだ。

 わたしの軽率な発言が引き金だったことも、わかっている。

 その苦痛は父君にまつわるもので、だから、同じく父君に関わっているらしいわたしの存在が疎ましいことも、わかっている」


 静かに、ゆっくりと淀みない声音。

 それは淡々としているけれど、戌亥刑事のように無機質ではない。傍らの俺の存在を、確かに意識して気づかう響き。


「わかっているが、それでも……うん、それでもだ。目の前で傷ついている者がいるのだから、できれば力になりたいと思う。その原因が自分にあるのだから、なおのことだ」


 けれど────。


「苦しんでいる貴方に、何と声をかければ良いのかがわからない。何をしてあげれば良いのかがわからないんだ…………わからなくて、ただ、謝ることしかできない。それが不甲斐なくて、悔しい……」


 そう言って、彼女は静かな笑みを象った。

 それはたぶん、無理をして浮かべた微笑。

 本当は唇を噛み締めたいのを堪えるように、顔は前に向けたまま、目線も彼方に向けたまま、静かに自嘲するように微笑んでいた。


「記憶がないのが歯がゆいな。もし記憶があれば……過去に誰かを慰めたり、あるいは、わたしが誰かに助けられたりした記憶があれば、その経験を頼りにできたかもしれない。参考にして、もう少しでもマシなことができたかもしれない……」


「…………」


「悔しいな。悔しいけど、貴方の言う通りだ。今のわたしでは、貴方を守るなんてオコガマシイ。だが、それでも……」


 力なく口ごもりながらも、青い瞳は真っ直ぐに前を見やったまま。

 それは落胆にうつむくことに抗うような姿。

 自嘲と自責にさいなまれながらも、せめて、真っ直ぐに顔を上げていようと気張っている姿。

 それはきっと、ただの強がりでしかないのだけれど……。


「わたしは、それでも貴方を……守りたいんだ」


 祈るように呟いたその声は、何だかやけに透き通っていた。

 俺はゆっくりと長い吐息をこぼして、思う。


 ……変な女。


 改めてその横顔を睨みつける。

 歳は二十歳くらいか? 白人さんな容姿で判別つかないけど、少なくとも俺よりは歳上だと思う。凜々しい物腰なのに、妙に穏やかな雰囲気がある不思議な女。

 夕日を弾いている長い黄金色の髪。肌はまさに白磁のようなって感じに白い。細面の輪郭に切れ長の鋭い眉目、スッと通った鼻筋、艶やかな唇をした掛け値なしの美人顔。

 ピンと背筋を伸ばして座した、実に姿勢良い姿。言葉づかいといい、立ち振る舞いといい、胡散臭いほどの女騎士ぶり。


 本当、何者なんだコイツ。


 異世界転移してきた本物の女騎士とかは有り得ない。

 何かのイベントスタッフとか……あとは、撮影中の役者さん? だが、そんなイベントも撮影も知らないし、そもそもそんなのあったら警察が調べているだろう。

 現実的に考えれば、やっぱりただの妄想コスプレ女が有力だ。


 しかし────。


 地面に置かれた荷袋。そこに収められているのは黒金の甲冑かっちゅうに金属盾、さらに模造品とはいえ長剣。あそこまで本格的な騎士道フル装備ってどうなんだ?


 ガン見している俺の視線に気づいたのか、こちらを向いた彼女が小首をかしげてくる。


「ああ、すまないアオツグ殿。弱音を吐いてしまったな。できれば、気にしないで流してくれると助かる」


 凜々しい顔立ちに浮かべた、ふわりと柔らかな笑顔。


 ……とりあえず、悪いヤツではないのだろう。


 経緯はともかく、記憶をなくして行く当てがない哀れな境遇。なら、できる範囲で助けてやるのが人の道だ。


 別に美人の色香に惑わされているわけじゃない。


 ……と、思う。


 ……たぶん。


 ちょっと自信ないが、ともかく、その大仰な呼び方はやめてもらいたい。


「〝殿〟とか堅苦しいのはいらない。碧継でいいよ。あー……と、そういやアンタ、自分の名前も憶えてないんだよな」


 何て呼べばいいんだ? 仮名でもいいから考えるべきか?

 そんな俺の疑問を察した様子で、彼女は頷いた。


「ああ、それなんだが……」


 立ち上がった彼女は、自分の荷袋を抱え上げてベンチに戻ってくると、周囲の視線を気にするようにコソコソした仕種で、くちヒモを解いた。


 去り際の戌亥刑事の言葉を意識しているのか?

 別にここには俺らしかいないんだけど。律儀というか堅物というか……やっぱり変なヤツだ。


 あきれる俺をよそに、彼女が荷袋から取り出したのは盾だった。

 昨日は背に負っていた円形の金属盾。直径七十センチぐらいのそれは、盾としては小振りな部類だろうか。

 鈍い銀色をしたそれを裏返して、こちらに見せてくる。


「これ、ここに刻んである名前」


 白い指先で、真鍮しんちゅう色に煌めく縁飾りを示す。そこには文字というよりは記号の羅列のようなものが小さく刻まれていた。

 角線や曲線を重ねた、やけに単純なスタイル。漢字じゃないし、英字でもギリシャ文字でもハングル文字でもない。一番近いのは北欧のルーン文字とかか?

 何にせよ、さっぱり読めやしない。


「アルドリエル……とりあえず、これをわたしの仮の名にしようと思う。もしかしたら、本当にわたしの名前なのかもしれないしな」


 どうやら彼女には読めるらしい。

 持ち物に刻まれていたから持ち主の名とは限らない。が、別に候補があるわけでなし、彼女がそうしたいならそれでいいだろう。


「アルドリエルさん……か?」

「アルドで良い。堅苦しいのは好かぬのだろう?」

「……アルドじゃ、何か男の名前って感じだな……」

「そうなのか? では……アード……いや、アルルはどうだ?」


 アルル……ねえ。

 それはそれで今度は可愛らしい感じで合わないような気が────。

 金髪さんを見る。

 ニッコリと無邪気な笑顔は……あれ? 結構可憐だね。


「……じゃあ、アルルで……」

「ああ、よろしく頼む。アオツグ」


 穏やかな笑顔と優しい響きの呼びかけに、俺は少しドキリとした。

 ……う、何だ? 別に女に免疫ないってわけでもないつもりなんだが、どうもこの女に笑いかけられると気後れするというか、調子が狂う。

 さっきまでそうでもなかった気がするが、緊張が解けたからか?


 改めて彼女を……アルルを見る。


 己を騎士と信じ込んでいる不審な女。


 先刻までの気マズい空気が払拭されたせいか、その横顔は安らいだ微笑を浮かべて、綺麗な青い双眸は穏やかに細められて彼方を見つめている。


 夕暮れの中、その姿は見とれるほどに絵になっていて……。


 やっぱり、美人の色香に惑わされているだけなのかもしれない。

 俺は自嘲と諦観たっぷりに溜め息を吐いたのだった。

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