第12話 バーンハルト軍 土氣将軍 イシャ

気づけば、正東風は腹に食べ物を入れて満足したのか、いびきをかいて寝てしまっていた。


まだまだ、10歳の子供である。無理はない事だと猪助は思った。


猪助は、先ほどの続きであったヒビス村に住んでいた時のことをまた思い返していた。



二十年前、世間では魔導士バーンハルトの悪行がささやかれ始め、大陸に住む人々の生活を蹂躙じゅうりんする勢力となっていた。


そして、いよいよヒビス村にも、魔導士の手が及ぶとうわさが流れた。


父は、戦いが得意な人では無かった。


だからきっと母とは魔族の手から逃れるために、村を出る話し合いをしていた矢先だったのだと思う。


魔導士バーンハルトの手下の魔族が村に侵攻してきたのは、家の中の荷物を揃え終わり、いよいよ明日村を出ようとしていた矢先であった。


バーンハルトの手下たちは、ヒビス村に夜襲やしゅうをかけてきた。


父母は私をかばうため、わざと割れて使い物にならないかめに私の身を隠した。


使われていないと一目でわかるからこそ、魔族の手が及ばないと判断したのだろう。


その読みは当たった。


父母は、家に侵入してきた三人の魔族に震えおののきながらも、家にある綺麗な甕を守るように立った。


その甕にはすこしばかりの食料や金銭が入っていた。


魔族のうちの二人が父母の腕をそれぞれ掴み、新しい甕から引き離そうとする。


「こいつら…この甕の中身が余程よほどど大事だと見えるな」


緑の皮膚に鼻は潰れて顔にめり込み、目はワニのような狡猾こうかつな獣の目をした魔族が、薄気味悪い笑みを浮かべて唾をと吐いた。


「どうかこの中のものは持っていかないで下さい。私たちの財産でございます」


父が魔族の足元に頭を下げて懇願こんがんした。


「あぁ、聞こえねーなぁ。俺たちはよぅ、バーンハルト軍でも1番と言われた冷血の軍よ、

元々お前たち人間の話なんかにゃ耳は貸さねぇんだよ」


そう吐き捨てた魔族は、父の頭を上から踏みつけた。


すかさず、母が父を庇う。


「お願いです。どうか乱暴はしないで下さい。この甕の中のものは持って行って頂いて結構ですから」


魔族はそれじゃと言わんばかりに綺麗な甕に手をかけて、持っていた斧で甕を叩き割った。


「おお、貧相な家にしちゃ貯め込んでたなぁ」


出てきた干し肉などの食料や金銀をしゃがんで手に取った魔族はニヤッと笑った。


それで、魔族たちは自分たちの成果を上げて満足したのか、家から持つものを持って出ようとした。


父と母もこの時は助かったと少しばかり安堵あんどしたに違いない。




しかし、事はそれで終わらなかった。


1人のの姿をした魔族が不意に家に入ってきた。


驚いたのは、先ほどの三人の魔族であった。


「イシャ様」


1人が叫んでひざまずく。


続けて残りの二人の魔族も跪く。


「この家にはもう何もないのか」


家に侵入するなり、そう言い放ったイシャと呼ばれる魔族は、白銀の甲冑に赤いマントを背中にまとい、全身は顔まで青肌ではあるものの、腰元まで伸びる金色の髪をマントの上になびかせる妖艶な姿をしており、背が低く華奢きゃしゃな身体で、部下を上から睨みつける眼光は鋭く、その心までも射抜くほどの強い眼差しと、身体全体からにじみ出ているオーラは、魔族の中でも別格の力と感じさせる雰囲気をかもし出していた。


「はっ、イシャ様。我々は今しがたこの夫婦が守る全財産を見つけ終えました。この家にはもう用はありませぬ」


イシャと呼ばれる妖艶ようえんな魔族は、今言葉を返した魔族の前に歩み寄った。


「お前はこの家にはもう用はないというのか」


イシャがその魔族の顎辺りまで自身の顔を近づけて、下から睨みつける。


「そう思っております」


まともにイシャの顔を見ることができず、顎が上ずっている為、甲高い声で魔族が答えた。


「ほう」


イシャは、魔族の兵士を少しの間、凝視ぎょうしして父母の方に向き直った。


父母はお互いに抱き合い身をかがめて、震えていた。


「怖いか、人間どもよ。我が名は土氣将軍どきしょうぐんイシャ。


魔導士バーンハルト様の側近、五行将軍ごぎょうしょうぐんの一人。


我はバーンハルト様より土の魔力を授かったものじゃ」


ニヤッとイシャが口角を上げて、父母の顔に近づき白い歯を見せた。


「我配下の者は、この家にはやり残したことがないと言っておるが、我はそうは思わないのじゃ」


父母がゴクリと唾を飲んだ。


「我は人間が嫌いじゃ…しかし、おびえるお前達を見ていると可哀想かわいそうに思う気持ちもなくはない」


イシャは、眉尻を下げて悲しげな顔を見せた。


しかし、それはイシャの演技であると、父母はすぐにわかった。


またも、すぐに口角を上げて、醜い笑みを浮かべたイシャは、二人の前に一本の短剣を転がした。


「今からお前達に我の魔術の一端を特別に見せてやろう」


そう言い放つとイシャは、両腕を上げてその場の地を砂地に一瞬で変えた。


イシャはすかさず、砂地の砂を自身の身体より高く舞い上げた。


イシャの姿が見えなくなった。


その場にいた者全てが、砂から目を守るために、小手こてで目元を隠した。


舞い上がる砂が落ち着き、気付いた時には、イシャの姿が二人になっていた。


「驚いたかい、人間」


フフフッと笑みを浮かべた二体のイシャが同時に同じ言葉を喋った。


土分身つちぶんしんの術と言うのよ。どちらかは砂でできた分身なの」


二体のイシャは、優しい声色こわいろで、父母たちに語りかけた。


「一度だけあなた達の攻撃を無抵抗で受けてあげるわ。

だからその剣で本物の私を刺しなさい。

当たれば助けてあげる。外したら…死んでもらうわ」


またも、子供を諭すような、優しい声色で父母に語りかけてはいるが、

外したら殺されるという恐怖が、二人を絶望に突き落とす。


一瞬の静寂が流れる。


「あなた、やりましょう。このままでは殺されるだけだわ」


母親が勇気を振り絞って、短剣に手を伸ばした。


「お、おまえ…」


父親の手は、震えて短剣を握ることすらできない。


「私がやるわ。あなたの為なら怖くないわ」


短剣を握った母親の手もまた小刻みに震えているが、母親の心の中では、甕の中で息を潜める息子への愛情で満たされていた。


〈もし私たちが間違った答えを選んでも、坊やは強く生きなさい〉


母親が目をつぶって、短剣を強く握りしめていると、そっとその後ろから、父親の温かい腕が母親を包んだ。


「君と想いは一緒だよ」


父親もまた息子への愛情で心を満たしていた。


二人の手が短剣の柄を強く掴む。


〈左か右か…〉


お互いに目を合わせる。


全く姿形が同じである為、もうどちらが本物か見分けがつかない。


「右で行こう」


父親の決断だった。


母親は静かに頷いた。


二人は持っている短剣を右側に立つイシャの腹に深く差し込んだ。


イシャの腹から砂がこぼれ落ちた。


苦悶に歪むイシャの顔…次の瞬間、短剣を刺されたイシャは、腹からと短剣を抜き去った。


「残念ね。ハズレよ」


刺されたイシャが、苦悶の表情から一変、クスクスと笑い始めた。


短剣から手を離した父母は、力尽きた様にその場に崩れ落ちた。


その刹那、左側にいたイシャが母親の首を勢いよくねた。


驚いた父親の首を今度は、天井付近から落ちてきたのイシャが刎ねた。


高笑いする三体のイシャ…。


頭と胴を切り離された二体の死体を見下ろしながら


「だ〜か〜らぁ、言っているじゃない。人間が嫌いなの。

最初から正解なんて用意しないわよぅ」


高笑いしながら、三体いたイシャは、天井から降りてきた一体を残して、

二体は砂へとまた姿を変えて消えた。


イシャは、振り返ると先ほどの部下の魔族の前に進んだ。


もう部下の魔族も震え始めていた。


「お前も死にたくなければ、きっちり仕事しな」


部下の魔族に吐き捨てる様に言い放つと、イシャは赤いマントをひるがえし、

何事もなかったかの様に、家屋の外へと歩き出した。




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