第1章 乾天の象

第1話 シード村の少女 マーレ

「来たぞ」


洞窟の入り口付近、日の光と洞窟内の暗い影が交わる場所から、外の様子を伺っていた一人の少女が叫んだ。


硬い岩肌をあらわにした山。

その中腹ちゅうふく辺りにある洞窟は、村の守り神をまつ祭壇さいだんがあり、村全体や村の近くにある広大な牧草地を眺望ちょうぼうできる。


牧草地には牛や馬などが放し飼いになっていた。

少女は、牧草地に牛や馬などとは違う、ローブをまとった人影がゆらゆらと動いているのを見つけたのだった。


ローブの人影は牧草地にいる動物たちを気にすることなく村へ真っ直ぐに向かってきた。


「マーレよ、おいでなさったか」

口の周りに白い髭をはやした老人が、洞窟の奥から杖を頼りにマーレと呼ぶ少女の横までやってきた。

老人もマーレも、もう何日もその人影がやってくることを待ちわびていた。


「長老様、あのお方こそ、私が先だってレビ村でお会いした導師様です。

必ずやこのシード村にも来て下さると信じておりました」

マーレがローブの人物をのぞき込むようにして、老人に伝えた。


「ワシも他の村の長からうわさには聞いておったのじゃ。麻生地を纏った者が、諸国を旅しながら、今この世界に蔓延はびこる邪悪な者と人類の戦いを人々に話し、人類の希望となる教えを説いて旅をしているとな」

老人がローブの人影を遠目に見ながら、マーレに静かに言った。


数日前に、マーレが遠方の村、レビまで出向いた時に、偶然にその村の民衆の前で話をしているローブ姿の人物に出会った。


十四歳になったばかりの少女は、ローブ姿の人物の話しに心を動かされた。


マーレは、その人物が話を終えた時に、目の前まで駆けよって、シード村にも来てほしいと膝をついて懇願こんがんしたのである。


村長である長老の断りもなく、あまりの衝動的しょうどうてきな行動にマーレ自身も、後で戸惑とまどいを隠せなかったが、間違ったことをしたとは思っていなかった。

マーレの住む村もまた魔導士まどうしバーンハルトが率いる邪悪な軍勢ぐんぜい脅威きょういに苦しむ村の一つであったからである。


村に帰り長老に事の次第を話すと、思いの外、長老もよく言ったとマーレの衝動的な行動をめてくれた。


「必ず、来て下さると思っておりました。あの方の話は我々人類の生きる希望です」

遠くに動く人影を見下ろしながら、マーレは全身が緊張で硬直こうちょくする身体と興奮する気持ちを抑えながら言った。

そして、すぐさま洞窟内に集まった村の民の方へきびすを返した。

 

程無くして、麻生地のローブに包まれた人物が、村の入り口に辿り着いた。

長老とマーレ、そして数人の若者がローブ姿の人物を出迎えた。


その人物は、近くで見ると着ているローブの上からでも、屈強な体躯からだを想像できる程、きたえ抜かれた肉体であるのがわかった。


「すまぬが、水を頂けぬか」

ローブの中から力のないかすれ声が聞こえた。


「水ですかな、只今ただいまお持ちしましょう」

老人の声は落ち着いている様子であった。

そして、近くにいたマーレに水を持ってくるように伝えた。


程無くして、マーレは木のわんに水を汲み、持ってきた。

ローブの人物は、マーレから水の入った碗を受け取るや、勢いよく碗の水を飲み干した。


「有難い。助かり申した」

ローブの人物は、先程よりもかすれが治った声で、マーレに空の碗を手渡した。


「導師様、こちらこそ有難うございます。私はレビ村であなた様に声をかけた者です。必ず、私の願いを聞いて下さり、このシード村に来て下さると信じておりました」

少女は、碗を受け取るときにローブの中の顔をチラリと下から覗き込みながら礼を述べた。


逆光を浴びて、顔全体はよく見えなかった。

ただ、ローブに隠れて今まで見えなかった、胸元よりも下まで伸びる白銀はくぎんの長い髪に一瞬、目が留まった。

そして、わずかに見えた口元から和かい笑みがこぼれたかのように見えた。


「私は、今この世界で猛威もういをふるっている邪悪な者達から、人類を救うために旅をしている。私の話を聞いてどうか、希望を持ってほしい。人類は魔導士バーンハルトに屈してはいけない。私は、それらに対抗する力の存在を人々に伝えたいのだ」

静かにローブの人物が話し出した。


その言葉を聞いていた長老がローブの人物の前に出てきた。

「今の我々には、あなた様の話が必要です。この世界は、バーンハルトの手にちようとしております。どうか、あなた様のお導きになる話を聞かせてくだされ。人類の希望となるお導きを、どうか」

長老は老いて曲がった背中をより曲げて、ローブの人物に手を合わせて願い出た。


その姿を見たローブの人物は、長老や村の若者に連れられて、陽の光が降り注ぐ村の中を進み、村の奥の雑木林ぞうきばやしを抜けて、山のふもとから山の中腹ちゅうふくの洞窟に続く道へと歩みを進めた。

 


洞窟内には村の民が集まり、人いきれでむせかえっていた。

松明たいまつに灯された火が洞窟内を照らしている。


ローブの人物が洞窟の入り口に着くと、洞窟内にいた民衆が祭壇さいだんまでの道を静かに開けて、ローブの人物が通る道を示した。


ローブの人物がゆっくりと祭壇までの道を歩き出す。

その歩く姿を、したままで村の民は固唾かたずを飲んで見守っていた。


やがて、ローブの人物は祭壇の一段高くなっている場所に辿たどり着くと、民衆の前に向き直った。


少しの静寂せいじゃくが辺りを包む。

そして、ローブの人物は、ゆっくりとした口調で民衆に語り始めた。


「今、この世界は魔導士バーンハルトの軍勢が各地で猛威を奮っている。

邪悪なる魔導士の目的は、この世界に大魔王デモンを復活させ、人類を我が物にすることにある。バーンハルトは二十年前に大魔王デモンの復活に失敗した。だが今、二十年の時を経て力を蓄積し、強大な力を持って、再び世界を蹂躙じゅうりんし始めた」


静かに話を聞いていた民衆が項垂うなだれた。


ローブの人物は民衆を一通り見渡した後、続けて話を始めた。


「だが村の民よ、希望を捨ててはいけない」

話に耳を傾けていた者たちが、一斉に顔を上げてローブの人物を注視した。


「古の賢者に伏羲ふくぎという方がおられた。その言い伝えがある。」


 

 ―この世に悪が芽生える時。強大な悪に、民が対抗しうる術として、私は『八卦』を残そうと思う。しかし、それは悪用されてはならない。そこで、この術が民を悪から守るために使われる日まで、卜占の形として残そうと思う。いつの世も人は、己の未来を知りたいと思う心は変わらない。よって、卜占は永劫に受け継がれるからである。

やがて世が乱れ、悪しき者が平和と秩序を壊す時、その手に私の遺志を込めた八つの石を持つ者が現れるであろう。その者達は、石の力により魔を封じる八卦の術を解き放ち、たちまち魔を封じ込めるであろう―

 


「二十年前の戦いにおいて魔導士バーンハルトの企てを、命を懸けて水際みずぎわで防いだ八人の戦士達がいた。その者たちはおよそ300万年も前の大賢者伏羲の言い伝えのごとく、魔族に対抗する八卦の術を使い、伏羲の遺志を継ぐ者の証である八宝石はっぽうせきという石を持っていた」


村の民の瞳に輝きが少しずつ戻る。


「邪悪な軍勢が再び動き出した今、宿命に選ばれし八人のつわものたち『八卦兵はっけつわもの』は必ず人類の為に現れるであろう」


ローブの人物が両方の腕を高く上げて、そう言い終わると同時に、洞窟内の民から歓声が上がった。


だが、歓声が鳴りやまぬ中、洞窟の外から若者の叫び声が中に響き渡った。


「バーンハルト軍の兵士が攻めてきたぞ」

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