第38話 時代の狭間 バトル 2 少年兵

 目を開くことができない、疲れ切って。気持ちの悪さ、全身の痛さは尋常じゃない。これは夢なんだろう、そう思いながらヒカルは息を吐いた。


 次に吸ったとき、キンモクセイの香りがした。瞼の向こうにエメラルドグリーンの強い光を感じる。


 ああ、戻って来たんだ、助かったんだ。


 そうわかると、浅い呼吸でも瞼を持ち上げることができた。目の前の妖精が不安げに光っている。


 おれを心配してるんじゃない、お姉ちゃんを心配してるんだ。しゃべれないのにわかるなんて、おれ天才。


 妖精の震えがひどくなった。


 そうだ、お姉ちゃん! お姉ちゃんはどこ? 


 リクライニングチェアを見た。いない。


 ヒカルはふらつきながら両ひじを突っ張らせて上体を起こし、細いベッドの横に左足を下ろしながら、その重みで体の向きを変えた。


 頭をあげると脳みそが揺れる感じがする。


 ベッドの柵を握りながら立とうとした。が、力の入れ方を忘れたような感じで柵を握ることができない。


 ゆっくりと深呼吸をしてみた。座ることさえできず次の瞬間、床に崩れ落ちた。

 気持ち悪い、吐きそう、これが抗がん剤?


 割り切って、床の上に転がっていることにした。

 こうして体力の回復を待とう。お姉ちゃんがそのうち戻ってくる。


 青い妖精がバタバタと音を立てて飛んで来た。青い光の中から腕を伸ばす。

 腕、あるってお姉ちゃんが言った。


 ヒカルは妖精に助けられながら、重い上体を起こしてベッドの足に寄りかかった。妖精の腕がさらに四本、長く伸びて、ヒカルをベッドに戻す。


 こんな力ある?

 そういえば、この青い翼が、おれの背中に生えて来たんだ。飛行機の高さまで舞い上がった。


 妖精は左腕のリザーバー・ポートに新しい点滴を付けた。「ハイドレーションシマス。トイレニ、ナンドモ、イク、ミハッテマス」


 ああ、お姉ちゃんが言ってたショーン・ベンだ。ヒカルは息を大きく吸って背中を伸ばした。

 お姉ちゃん、まだか。

 どうすればいい? 気持ち悪くても考えるんだ。


 妖精が同意したのがわかった。そしてヒカルの目のすぐ前に迫ってきた。


「え? おれが迎えに行くってこと?」

「ウン」セキセインコの声がさえずる。

 人間じゃないのに、会話、かみあうじゃん! 聴く耳と、しゃべる口と、両方、あるんだぁ。どっちかしかない人間って、そこらじゅうに居るのに。


 妖精が輝きを増して、八本の腕と四十本の指で調剤を始めた。

「お姉ちゃん、すぐに戻らない?」ヒカルの倦怠感はひどく、再び、瞼が勝手に閉じる。

「ウン」

「お姉ちゃんに何が起こってる?」

「わからん」妖精の声が変わった。「だから、あんたが迎えに行きん。その前に、あんたの肝臓機能をチェックするで。採血ね」落ち着いた響きでさえずる。


 そんなに滑らかに喋れる? 瞼を頑張ってあげるとエメラルドグリーンのセキセインコがいつの間にか、お腹の上に止まっている。


「外国の人になりん、十五歳の無名兵士。リーダー格は心が強いもんで、もう、懲りたら」

「三河弁のつもり? 懲りたでしょう、って言いたいなら、ら、を低い声で言うんだ」

「ら」

 人工知能の学習能力は素直だ。「で、なんで外国人?」 黒潮に乗って流れ着いた南方の少年とかかなぁ。ん、兵士って言ったのか。


 四週間後、調剤とヒカルの体の準備が整った。ヒカルは再びベッドに座った。「横にならなくていいよね?」

 エメラルドグリーンの妖精が右腕を上げると、ベッドの頭側半分が背もたれになるようリクライニングした。

「ありがとう」ヒカルがお礼すると、妖精が「へへ」と笑った。キンモクセイの香りが部屋中に満ちた。



 ヒカルは今回も、体が痛いあいだ中、おかあさ~ん、と叫んだ。


 心も体もクタクタになって、目を開けているのか閉じているのか解らない、赤黒い永遠の数秒間が、また襲って来た。


 気を失っていたような気がする。耳をつんざく雄たけびで目が開く。目に映った光景は、高度装備した文明人が先住民を殺戮する場面だった。


 これが十五歳と十一か月と二十七日目の無名兵士かっ――


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