第4話 感謝のお礼

 放課後。俺は人気ひとけのない特別棟の三階で吉野と向かい合っていた。渡したいものがあると言う。特別棟を選んだのは、ほかの生徒に見られるのを考慮しての判断だろう。一般棟は多くの生徒や教師が通る。


「はい。これ昨日の分」

「お、おう」


 手元には綺麗な百円玉と五十円玉が一枚ずつ。こんなところで受け取ることになるとは……まあ教室はさすがにマズいし、教養の場である図書室も最適ではない。

 小銭を財布に入れて、俺は話を切り出した。


「それで、渡したいものって?」

「ちょっと待ってね。鞄に入ってるから」


 吉野は鞄を肩にかけたまま中身を探る。数秒経ってまっさらな封筒が出てきた。B5サイズぐらいの紙が入る大きさ。


「この中に入ってる」


 封筒の中身は保護するためか、緩衝材が入っているのがわかった。


「何が入ってるんだ?」

「開けてのお楽しみ……って言いたいところだけど、布のブックカバー。しおりも二つ入ってる」

「布か。使ったことないな」

「いい機会じゃん。作った甲斐あったよ」


 俺はフリーズした。作った? しおりはともかく、ブックカバーって簡単に作れるものなのか? 紙ならできるかもしれないが……。


「もしかして、しおりも作ったやつ?」

「そうだよ。何使うか迷ったけど、シンプルに折り紙にしたの」


 もはや、普通にプレゼントだ。俺は封筒を見て思う。吉野とは一年から同じクラスだが、会話した回数なんて数えるほどしかない。昨日はほとんど偶然だし、正直親しい関係とは言い難い。そんな相手にここまでするだろうか……。いや、嬉しいけどさ。

 

「……こういうのってよく作るのか?」 

「どうだろ。よく作るってほどじゃないけど、気が向いたらって感じかな」

「そうか。まあ、布のブックカバーって時間かかりそうだしな」

「そうでもないよ。しおりなんかもっと簡単」


 吉野はさらっと言った。俺は経験がないからわからないが、吉野が言うのなら簡単なのだろう。


「なんなら教えよっか? しおりの作り方」


 思ってもいない言葉に俺はまたフリーズしそうになった。この状況でNOとは言いづらい……。

 

「気持ちは嬉しいけど、生憎あいにく折り紙は持ってない」

「じゃあ私の……あっ、昨日使い切っちゃったんだ」


 要らないプリントで代用してもいいが、いちいち出すのは面倒だ。


「しょうがないね。しおりはまた別の日にするよ」

「わかった」


 おそらくその機会はないだろう。吉野は大抵、ほかの女子生徒と行動しているから、話しかけることすら困難。チャンスがあるとしたら放課後だが、正直、学校に長居したくない。帰宅部なら共通の認識だろう。それに、俺と吉野が二人でいるところを見られたら変な噂が流れるかもしれない。

 特別棟を出てから、吉野は友達と合流すると言って教室に戻っていった。俺はそのまま帰路にいた。



「ただいま」

 

 玄関のドアを開けると、母さんが素っ気ない声で「おかえり」と迎え入れた。このやりとりは高校生になってからは初めてだ。普段は仕事優先の母さんだが、初音がいることもあり、数日は有給を使って休むと言っていた。吉原遊郭にも有給があれば数多くの遊女が救われただろう。そう思うとやるせない気持ちになる。

 

 俺は靴を脱いでさっさと部屋に入り、さっそく鞄から封筒を取り出した。中身は吉野が言っていた通り布のブックカバーと折り紙で作られたしおり。しかも手紙(?)のようなものあった。


『ブックカバーは文庫本のサイズに合わせました。よかったら使ってください 吉野葵』

 

 ……すまん吉野、実用性はあるのだが使うことはないと思う。だって使い続けたら汚れるじゃん? 洗濯機に回すのはダメだろうし、結構薄いからふとした拍子に破けたら大変だ。「あのブックカバー使ってる?」とか訊かれたら返す言葉がない。吉野を相手に嘘を吐くのは心が痛む。

 かと言って、素直に「使ってない」と返すのもどうなのだろう。理由を言えば納得してくれると思うが。しおりはどうする。

 

「……保管しとくか」 


 俺はブックカバーとしおりを再び封筒にしまい、そっと引き出しにいれた。


 部屋着に着替えてリビングに移動すると思っていた通り初音がいた。予想と違ったのは初音の外見だ。

 朝は振袖(普通の着物との違いが未だに分からない)だったのが、今は白のトップスに紺色のスキニーという「今から外に出るのか」と思うような格好だった。

 顔も化粧を落として年相応というか、大人っぽさが抜けた。でも、艶のある長い黒髪と整った顔立ちは目を引く。美少女と言うには充分だ。振袖のときはわからなかったが、よく見ると初音の体型は思っていたよりも華奢きゃしゃだった。


「蒼太、あんた初音ちゃん見すぎ」


 母さんの言葉で俺はハッとした。初音は頬を赤くして視線を逸らしている。


「見惚れるのはいいけど、ほら、初音ちゃんが困ってるじゃない」

「いや、別に見惚れては……」

「見惚れてないならそんなにジッと見ないでしょ」


 俺はどうやら反論が苦手らしい。早くも言葉に詰まってしまった。


「まあ、あたしも最初見たときは興奮したけどね。思わず抱き着いちゃった」


 初音は母さんの言葉に苦笑する。振袖新造だったときの初音とはまるで別人だ。どちらが素の初音なのか俺にはわからない。


「初音に買った服って今着てる分だけ?」

「あとはパジャマも買ったわ。本当はもっと買いたかったんだけど、お金にあんまり余裕ないのよ。……もしかして着るつもり?」

「俺にそんな趣味ねぇよ」


 冗談なのは重々承知だが変態扱いするのはやめてほしい。

 

「私は、この服だけで充分です」

 

 初音がおもむろに言った。これ以上迷惑はかけたくありませんから、と最後に付け加える。母さんは口を押さえて感嘆の声をあげた。


「偉いわねぇ。もう初音ちゃんが娘だったらどれだけ良かったか。あんたもこんな妹欲しいでしょ」

「俺は妹が欲しいと思ったことはない」


 もし初音が妹だったら俺はどんな人間に育っていただろう。想像できないな。

 

「またまたぁ、本音を言ってもいいのよ。『お兄ちゃん、だーい好き!』とか妄想したことぐらいあるんじゃないの?」

「全国の男子高校生をなんだと思ってんだ」


 俺は初音を横目で見てそんな光景を思い浮かべてみる。


『初音、蒼太お兄ちゃんのこと、だーい好き!』


 ぶっ倒れそうだ。理性を保てるかすら怪しい。


「……蒼太さん、何かいやらしいこと考えてません?」

 

 初音はそう言ってジト目で俺を見る。母さんはニヤニヤしながら「どうなの?」と訊いてきた。玄関での素っ気ない態度はどこへやら。

 二人の視線に謎のプレッシャーを感じる。俺は今すぐこの場から逃げ出したくなった。

 

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