魔女の呪い

 人に限らず、全ての動植物は必ずいつか死ぬものである。『死』というものは肉体の機能が停止して、魂がそこから離れてしまうことを言う。離れてしまった魂は死神の案内のもと、冥府めいふの世界へ行くか、未練のためにこの世に残るかのどちらかを選択する。冥府の世界には生者せいじゃは冥府の神の許しがない限り、何人なんびとたりとも入ることが出来ない。そう、例えそれが魔女であろうとも――


 真華しんげとロコに愛が芽生えてから、何十年という時が流れていた。その中でケンカもしたこともあったけれど、2人の仲が崩壊するということはなく、幸せな日々が送れられていた。だけれどもロコはここ10年ほど、1年、また1年と時が進むにつれて、心の中に不安という闇が現れ、それが心の中をむしばんでいくようになっていた。それはロコが『真華の寿命』というものを認識し始めたからである。対して魔女は人の何千倍も生きることができる。それは元人間であるロコだって同じ、体内のマナによって生命エネルギーを維持し続けられるからである。その種族の差が、ロコにとっては近年の不安材料となっていた。だけれども、その当の本人である真華は自身の『死』というものを受け入れてしまい、延命しようとは考えていなかった。本人がそう望むのなら、たとえパートナーとは言え、ロコに口出しする権利はなかった。ロコはただただ、彼の死がやってくるのを、悲しくも黙って待ち続けるしか他にないのだ。時は誰も待ってはくれない。自分勝手にただ流れていくだけなのだ。そしてついに、残酷な時がやってきた。彼の最期の日である。


「ロコ……残念だが、きっと今日が最期だろう……ありがとう、キミに出会えて本当に幸せだった」


 あの頃とは想像もつかないほどに老いぼれて、シワだらけの老爺と成り果てた真華がベッドに横たわり、傍で見守るロコにそう告げる。自身の最後の言葉を、一番大好きな彼女へと向けて伝えていく。


「いやッ! 私を置いてかないで! 私はあなたなしでは生きられないのっ!」


 彼の死の時がまだ受け入れられないロコは必死になって自分の思いをぶつけていく。それはもはや子供のようなワガママで、言ったところでもはやどうにもなるもではなかった。だけれど、ロコにとって真華なしの世界で生きていくということは自身の死よりも辛いものであった。だからこそ、今自身が抱えている不老不死の呪いすらも、わずらわしく邪魔な存在で、自分がそれを解決しようとはせずに生きてきたことをどこか後悔する念もあった。


「でも仕方のないことなんだよ。人はいつか死ぬ。魔女は長生きだから、人よりも死ぬのは遅い。けれど、それも後に遅らせているだけで、いつかは死ぬ。それに、ロコにはまだ不老不死が残っているからなぁ……」


「不老不死……? そうよ、それよ! もう一度不老不死の呪いをかければ――」


 不老不死、といえば真華にも一度かかったことがあったことを思い出す。また儀式を失敗させて、真華に呪いをかけさせれば……キスはできなくなるけれど、それで真華が死ななくなるのであれば、と考えていたが――


「いいんだよ、ロコ。もう私は十分生きた。もう満足だ。たしかにロコを置いて先に逝くのは心苦しいが、でもキミならきっと大丈夫だ。思い出してごらん。これまでに私たちは色んな人に出会ってきた。私が去った後も、その人たちがいてくれるだろう?」


 それを制止し、そんな言葉でロコをさとしていく。何も世界には真華とロコの2人しかいないわけではない。数多くの人がこの世界で生きている。そして数え切れないほどの人々とロコは出会ってきたのだ。その中にはロコに優しくしてくれる人もいた。楽しく笑わせてくれる人だっていた。その人たちの存在は決してムダな存在ではないはずだ。


「でも、それじゃあなたの代わりにはならない」


「そうさ。この世に真の『代わり』なんてものはないんだよ、ロコ。だからこそ、私たちは自分たちの『色』を出して頑張っているんじゃないか。大丈夫、時期にキミも受け入れられるようになってくるよ。キミも子供じゃないんだから」


 人は十人十色、同じものなんて存在しやしない。だからこそ、出来た穴を全く同じ人で埋めることなんて出来ない。でも、それを他の人たちでふさぐことなら出来る。それにきっと莫大ばくだいなる時間がかかるだろう。だけれど、ゆっくりと確実にロコはその穴を塞いでちゃんと前を見て生きていける、真華はそう信じていた。


「うっうぅー……しんげぇ……」


 その言葉に、いよいよ心の均衡が崩れて泣き始めてしまうロコだった。泣けば泣くほど、真華との楽しかった頃の思い出が蘇って来て、さらにその涙を増やしていく。もうロコの心はボロボロになっていた。


「本当に……ありがとう……」


 そんなロコに、真華は最後の力を振り絞って頭を優しく撫でてやる。その力はもう殆どなく、撫でているというよりは触れているといった感じだったが、それでもロコには心を落ち着かせる癒やしとなっていた。


「…………うん。あっちに行っても私のこと、忘れないでね」


 そして心が落ち着き始めたことで、彼の死に対して受け入れようという気持ちが表れ始めていた。ここで泣いてばかりいたってしょうがない。ロコ・ヴェスピーは後先のことを考えない人だ。この後、とんでもないぐらいの絶望と辛い現実が待っているかもしれない。それはとても耐えきれないほどの苦痛で、この先地獄のような日々が待っているかもしれない。でも、でも今はせめて私が大好きな人をちゃんと見送ってあげよう。気持ちよく彼があちら側の世界へ逝けるように。ロコはそう思い、彼にそう言葉を告げる。


「ああ、もちろんさ……」


「じゃあ、


 そして最後にいつもの日常のような、そんな見送りの言葉を真華に投げかけてあげた。


「うん、いってきます……ロコ――」


 そして真華もそれに応え、最後に世界中の誰よりも好きな人の名前を呼び、真華は静かに目を閉じていく。そして心拍数が徐々に落ちていき、終いには無となった。いよいよ生命が終わりを迎え、彼は新たな冥府の世界へと、旅立っていったのである。


「ッ!? うっ……苦ッ……しい……何、これ……?」


 その瞬間、急にロコの心臓が締め付けられるかのようにギューッとなり、苦しくなっていく。息をするのも困難になり、このままでは本当に死んでしまうと本能的に悟っていた。だけれど、何故急にそんなことが起きたのだろうか。ロコはそんな危機的状況なのにも関わらず、そんな疑問が浮かび上がってくる。しかも、直前に彼が死んだというこのタイミングで。死にそうなほど苦しい最中、ろくに思考できなくなり始めている脳で必死に考えを絞りだし、ある結論へと辿り着いた。するとロコは全てを悟ったような優しい顔へと変化していき、呟く。


「ああ、そっか――」


 そういうことだったのね。ようやくわかったわ。私にかかっていたのは不老不死の呪いなんかじゃない。『想い人が死んだ時、私も死んでしまう』呪いだったんだ。だからこそ彼が死なない限り、私が死ぬことはなかったのね。おまけに肉体再生の機能までつけてくちゃって、でもある意味これってご褒美じゃないっ。だって、こんなに幸せなことないでしょう。彼と一緒に逝けるのだもの。夢にも思わなかった。不老不死も相まって、しばらくは彼に会えないと思っていたから。後は地獄でまた一緒に幸せな日々を送れるかしら。私たち数え切れないほどの罪を重ねてきたから、閻魔えんま様が激怒して地獄すら行かせてもらえないかも。でも、そんなこと今はどうでもいい。あなたとあの世で会えるなら、私は今すぐにでも死んであげる。


待っててね、今すぐ会いに行くから――

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