第7話

 夏休みの始まりは、至って平凡だった。

 あの出来事があってからのこと、天町さんは夏休み前最後の学校まで、来ることは無かった。体調不良ってことにはなっているが、そんなことで何日も休むような人ではない。

 それに、ごめんと一言送ってきた以外反応がない。いつもと違ってトークには全く既読が付かないし、電話も出る気配がなかった。

 愛風さんは、巻き込んだことについて謝っていたが、余り深くまでいうことは無かった。次会う時に、相談事がしたいとだけ言われて、話は終わった。

 早い話、夢から覚めつつあるのだ。何も無い平凡が、ゆっくりと顔を出し始めたのだ。

 数少ない吉報といえば、また小説を書けるようになったことだろうか。でも、それも正直あまり嬉しくなかった。

 平凡とは、停滞で、平和だ。自分が変わることなく、なにも動くこともない。でもそれは、時間においてけぼりにされることを意味する。その平凡を受け入れることは、果たして自分にとって幸せになりうるのだろうか。平凡から逃げて、全てマイナスになるのなら、平凡な方が幸せだ。でも、それは自分から逃げているだけなのかもしれない。

 

「気楽に動ける、と言ったらそうなのだろうけど……」

 

 だけど、やっぱり物足りなさを感じた。それが、具体的にどのような物足りなさなのかは、分からない。だが、何が足りなくて、何が欲しいのか、それは全く分からないままだ。


 終業式の時から消しっぱなしのスマホの電源をつけた。通知がなだれ込むように来た。

 ゲームなどの通知などに混ざって、連絡が1つ、来ていたのに気付いた。


『話したいことがあるんだけど』


 愛風さんはいつも、スタンプやら記号やらを混じらせて、フレンドリーに話しかけてくるのだが、今回はおふざけもなく、真面目な文章だった。

 

『分かった。どこに行けばいい?』


『私の家でいい? 大事な話だし、集中して話せる場所がいい』


『了解』


 返信は2文字で手短に済ませた。俺も、愛風さんには聞いておきたいことがあった。このまま、何も無かったかのように終わってしまうのは構わないが、それでも、あの出来事に関して何も話もなく空中分解というのは、納得がいかなかった。

 



 


「それで、話って?」


「あの時のことを、話さないとって思ってね」


 エアコンが動く音と、かすかに聞こえる蝉の声、コップの氷がカラカラとなる音。夏の思い起こさせるような音に包まれながら、感じるのは冷えきった現状だ。

 あの時見た、天町さんの姿を思い出した。もう二度と思い出したくも無い風景だ。曇り空にぼんやりと浮かぶ夕焼けを思い出して、心が痛くなる。俺のなんとなく始まった音楽は、唐突に人と人が出会っただけで、あっさりと終わってしまった。

 

「まずは、ごめん。実は、江草くんとそらちゃんが一緒に来てることを知ってて、それで話しかけたんだ。もしかしたら、江草くんが、音楽をまた始めるキッカケになるかもって思って」


 まあ、なんとなく感づいてはいた。あの時話しかけるのは、少し違和感があったし、会ったばかりの俺をなぜあんなに気にかけるのか、気になっていた。そして、ライブに呼んだときの、店員の人の話によって、なんとなく予想出来た。


「そっか」


 ポツリと一言、それだけが零れた。自分を利用しようとしていた。その事への怒りは何も無かった。


「ごめん。本当に。こんなことになるなんて思ってなかった」


「いや、謝ることはないよ。天町さんはどうやったとしても、あそこに来てたんだろうし」


 愛風さんにここまで謝られては、何も言えない。愛風さんは、もう一度、どんな手を使ってでも天町さんともう一度、バンドをやりたかった。それが叶わなくて、悲痛な思いをして、それで謝られるなんて、なにも言えるわけがない。


「ううん。謝らないと駄目なんだ。私はまだ、諦められないから。今度やることは、今度はちゃんと言葉にして、本当に巻き込むつもりだから」


「俺になにか頼むつもり? まだやるなんて言ってないけど」


「絶対に、どうしても音楽をまた始めて欲しい。今まではバンドに戻って欲しいって願いに固執してたけど、違う。私達にバンドを、音楽を始めるきっかけを作ったのは、間違いなくそらちゃんだから、今度は、私がそらちゃんに音楽を始めるきっかけを作る番なんだ」


 弱々しいながらも、力強い意志を感じた。目はまっすぐ俺の方を向けて、そして、続けた。


「だから、江草くん。力を貸して」


 愛風さんは、ただ前を見据えて、俺の返答を待っていた。その目には、断るなんてことは選択肢は入ってなかった。きっと、断ったとして、愛風はどんな手を使っても、自分がどうなろうとも、俺に協力させるのだろう。それぐらい力強い声だった。俺は、それに答えなければならない。


「もちろん。そのつもりだよ」


「本、当に?」


「ああ。だから、具体的に何をするのか、教えて欲しい」


 さっきの自信に満ちた目が一変して、安堵の表情が見えた。面白いくらいに、コロッと表情が変わるので、思わず吹き出しそうになる。


「よ、よかった……。それで、今からやることなんだけど、まずあの子は引きこもることは絶対なくて、多分週何回かは外出してるはずなの。最近駅前で見たし」


「へぇー」


 落ち込んでる時も、そこはブレないんだなぁ。落ち着きがないというか、なんというか……。そんなところには、なんとなくほっとしてしまう。


「それに、そらちゃんは歌が本当に大好きだったから、それなら――」


 そこまで言って、俺は気付いた。そして、焦った。


「ちょっと待て。何が言いたいかっていうのはわかった。要は、あれだろ? 歌を心に響かせる的な」


「うん、そうだけど」


 やっぱりかー。


「それ、どこで歌うつもりなの? それに、まあなんとなく予想はつくけど、何を歌うつもりなの?」


 もう、この時点で嫌な予感が肌に伝わってきた。何をするか、誰を歌わせるか、何を歌うか。そんなの、俺を呼んだ時点で明白だ。自明の理とも言うだろうか。


「私の歌じゃなくて、江草くんの歌を伝える。とにかく、路上ライブとか、色んなとこでやろう」


「い、いやちょっと、マジで待って。そんな手当り次第当たるみたいなので、上手くいかずに、メンタルだけ消費するとかいう結果になったらホントにシャレにならない」


「大丈夫! 出来るよ」


 無茶ぶりのように、とにかく力強い声で押し通そうとしていた。


「そうじゃなくてな……」


「出来るよ」


 何度もそう言われては、返す言葉がない。


「分かったけど、そもそも俺は初心者だよ。歌詞だって碌に書けるかわからないのに」


「草原に花が咲く」


「げっ」


 思わず変な声が出た。愛風さんが発したその言葉は、題名は、俺が小説を書き始めて2作目に作った短編小説だ。文章を書く力がなんとなく付いてき時頃に書いたものの、今では無事黒歴史入りした作品の一つだ。その題名を、何故か愛風さんが知っている。


「その題名を使うのは、少し意地が悪い。後書きにも、あれは黒歴史だってその次の小説の後書きで書いてたのに」


「やっぱり、本名を名前に使ってたんだね。私が歌詞を作る時に、少し勉強でネット小説を見ててね。文章のシンプルな響きが好きだった」


 愛風さんが、まさか俺の小説の読者だとは……。俺よりも文章力のある人はいくらでもあるだろうに。何故よりによって俺の小説を読んでしまったのだろうか。もう、過去の黒歴史はサイト上で供養しておく。つまり残しておくと公言してしまっている。今更消そうなんてことは出来ない。


「でも、実力で考えたら愛風さんだけでもいいんじゃ……」


「いや。江草くんが居ないとダメ。それじゃあ意味が無い」


 キッパリと言われてしまった。


「……まあ、やってみるよ」


「わかった。じゃあ、今作ってる詞が出来るまでは、カバーと、後はボツになった私の曲をチョロっといじってくるから」


 ボツの曲を俺が歌えと……。


「そして、最後は江草くんが江草くんの歌で伝える」


「……責任重大だな」


「大丈夫、絶対に上手くいく」


 自信満々だが、なんの根拠と無い言葉だ。だけど、愛風さんが言うと、自然と俺自身も出来るんじゃないかって気がしてくる。もう、関係を元に戻すには、動くしかないのだ。だから、その言葉の根拠があるとかないとかは関係ないのだ。やることに意味がある。強いていえば、長年天町さんと付き合ってきた人が言っている。それだけで俺が動く根拠には十分だった。

 これから起こる出来事は、どっちに転がったとしても、予想なんて全く出来ない。サイコロの目の意味がわからずに振っていくような、そんな物語なのだろう。


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