第3話

 休日、何もない日曜日だ。こんな日はいつも、部屋に籠もって黙々と小説を書いて遊んでいる。

 パソコンに向かって、ひたすら文字を打っている時間は、心が落ち着く。それに加えて、こんな表現はどうかな、これいいかも、なんて考えると面白い。

 小説のストックは十分に溜まっていたが、これはまだ投稿しない。俺は、一度投稿してしまうとすぐ冷めてしまうタイプなので、いつも十分にストックを溜めてから投稿している。

 それに、勢いで投稿してしまうと、後々の話が何故か思いつかなくなるのだ。小説書いていてこんなことを言っていると、辞めろなんて言われそうだけど、アマだし甘く見てほしい。


「ん?」


 ふと、通知音がなった。愛風夏香。全く聞いたことのない名前だった。最初はイタズラか、あるいはスパムかと怪しんだが、アプリの設定的にそれは無いはずだ。それなら一体……


《今日って空いてる?》


 本当に誰だ? 怪しい。いやでも、友達以外は返信が来ないはずだが……なんて何度ものんきに思っていたが、偶然アイコンが目に入り納得した。

 ギター片手にマイクで生き生きと歌う、その少女にはなんとなく見覚えがあった。


「多分、あれなはずだよな?」


 前にショッピングモールで出会ったあの少女だ。本当に連絡が来るとは思わなった。

 あの少女が歌う表情は全く予想していないものだったので、最初は誰だか分からなかった。

 取り敢えず、今日は暇だと返すと、すぐに返事が来た。


《分かった! 駅に集合だよ》


 結構歩かせるなぁ……。なんて思いながら、俺はシャットダウンしたノートパソコンを閉じた。


 




 最寄り駅は、都心の駅ほど大きくないものの、周辺は商店街などがあり、比較的栄えている。夕方になると、会社帰りの人が飲み屋に集まったり、賑やかな町だ。


「なんだよ遅いなぁ」


 改札前の壁沿いに愛風さんは立っていた。連絡が来てすぐ来たのに、それでも遅いとは、少し理不尽だ。


「これでもすぐ出てきたんだけど」


「そう? まあいいや。来てくれたことには感謝しよう」


 愚痴は聞かされたものの、不機嫌なわけではなさそうだ。少し上から目線で話しかけてきて、ほぼ初対面の俺でも、愛風さんが上機嫌なのはすぐに分かった。

 

「愛風さん、ギターは持ってきてないの?」


「そりゃあ。私の家でやるからね」


「は?」


 しれっとトンデモ発言をされて、俺の頭は真っ白になった。いきなり家に上がれなんてそうそう聞かない。いくら遊ぶだけとはいえ、幼なじみならまだしも会って数日なんだから、もう少し警戒するべきではないだろうか。それに、向こうの親と顔を合わせたら気まずくて帰りたくなりそうだ。


「どうしたよ急に。当たり前じゃん。わざわざスタジオ借りるよりも、安上がりで済むし」


「まあ、そうだけど」


 そうだけど、そういう問題じゃない。最近の女子はこうも異性に適当なのか。少なくとも、俺はおかしいと思う。


「早く来ないと置いていくよ」


 愛風さんは有無を言わさずさっさと歩いていった。少しくらい俺の話を聞いたっていいじゃないか、なんて思っている間も、催促するようにして睨まれた。

 

「しょうがないな」


 なんか、負けた気になったので、そう吐きながらも愛風さんに着いていった。

 家は駅前にあって、どうやら家族は自営業をしているようだ。窓越しから美味しそうなパンが並んでいるのが見えた。

 

「店やってるのか」


「そう。他の友達とかなら牛乳の配達のとかもいるよ。大丈夫、お母さんは今働いてるし、玄関は裏だから、見つからないよ」


「あら、おかえり」


「……」


 うん、そうなると思った。


「あ、お母さん。友達呼んできたんだ」


「そうね。男の子に見えるのだけど?」


 笑顔が怖い。愛風さんも、冷や汗をかいているようだった。そうだ、これが普通だろう。だから、もう少し慎重に動いてくれ。


「あ、お邪魔しまーす。江草聡文です」


 俺に出来ることといえば、取り敢えず丁寧な対応をして、変な人だと思われないことくらいだ。

 愛風さんの親の表情が少し緩んだのを見て、緊張がほぐれた。


「あら、こんにちは。先に上がっておいてね。二階の奥の突き当たりがこの子の部屋だから……ナツと話があるから」


 だが、娘には厳しいようだ。


「げっ」


 カエルの断末魔のような声が聞こえてきた。こんな殺伐とした雰囲気だったが、思わず吹きそうになってしまった。

 そして、引きずられるように、愛風さんは奥の部屋へと連れてかれてしまった。このままいてもどうしようもないので、言われた通り階段を上がり、奥の扉を見つけて少し立ち止まり、そして恐る恐る中を覗いた。


「ぉおう」


 なんていうのだろうか。シンプルで何もない俺の部屋と比べると……。そう、色が渋滞している。

 黄色の掛け布団や、オレンジのカーテン、黄緑のカーペット。勉強机にはクマのぬいぐるみが1つおいてあった。

 取り敢えず、カーペットの端に座り込んだ。深呼吸をしてみたが、落ち着かない。

 壁際に2つ、ギターが掛けられているのを見つけた。1つはアプリのアイコンを見た時と同じギターだ。ピカピカで、傷も少なく、大切にされているのだろう。

 自分の部屋にギターが置いてあるっていう風景も、案外ありかもしれない。


「ふー……。疲れた」


 くたびれたように、愛風さんは扉を開けた。そして、押し入れにはチラと大きめのスピーカーが見えたが、それは無視して、アコースティックギターを取り出した。


「今日はこのギターを弾いてみよう。好きな曲とかある?」


「曲か……なんかほら、浦島太郎の歌とか」


 俺がそう言うと、愛風さんは微妙な顔をした。


「いやほら、そうじゃなくて、もっとノリノリな」


「そうだな……。森のくまさんとか」


「ふざけてる?」


「おう」


 ごめんなさい、少しは反省してます。


「……まあいいや。じゃあそれ弾いてみようか」


 愛風さんは若干呆れたような顔をした。

 そして、森のくまさんを軽く鼻歌を歌ってから、ギターを弾き始め歌い始めた。


「ある〜日、森の~な〜か〜」


 その時、空気が震えた。

 綺麗な歌声だった。優しいけどよく通る声だ。ギターの音も心地がいい。心が揺さぶられるような、そんな気がした。


「こんな感じ。コードはそんなに難しくないと思うから。すぐ覚えられると思うよ」


「……」


「どうしたの?」


 愛風さんが視界に顔を覗かせて、俺は我に返った。

 さっきの歌声がずっと頭を回っている所為で、上の空になっていたみたいだ。


「いや、なんでもない。じゃあやってみるよ。最初はどうすればいい?」


「そうだね、まず覚えるのは――」


 そして愛風にコードを1つ、1つと教えてもらった。俺はその教えて貰ったコードををなぞるだけ。こう言えば簡単そうに聞こえるのだろうが、そうもいかなかった。

 指が痛いし、握力を無駄に使って、そして腕が疲れれば音が出なくなる。時折なんとなく、それっぽい音は出るものの、死にかけの蝉のようなか細い音しか出てこない。予想通り、いやそれ以上に苦戦した。


「そろそろ休憩しようか」


 手首に限界を感じ始めた頃、ようやく休憩だ。腕がガチガチに固まってしまいそうで、明日筋肉痛は免れないだろう。


「ああ。もう指がつりそう」


「初めてだもんね。でも、続けてたら力加減とか分かるようになるし、そのうち楽になるよ。それで、どう? 楽しかった?」

 

「そうだね。面白かったよ」


 天町さんが打ち込んでいた理由も、わかる気がする。


「それはよかったよ。お菓子持ってくるから、ちょと待ってて」


 ギターを片付けて、愛風さんは下の階へ降りていった。

 そして何となく視線を回してみると、ふと勉強机に置いてあった写真が目に入った。その写真がなんとなく気になり、近づいて見てみた。

 

「これって」


 その写真は、女の子4人が楽器を持って撮っている写真だった。恐らく右端に立っている人が愛風さんだろう。顔はこの時とそんなに変わっていないようだ。それとあともう一人、見覚えがある。これは……。


「江草?」


 いつの間にか、愛風さんはお菓子を持って戻ってきていた。


「っ……。戻って来たんだ」


「美味しそうでしょ。家の手作り」


「へぇ」


 見せてきたお盆の上の皿の中には、ラスクやクッキーなどの甘いお菓子と、オレンジジュースが乗っていた。それを床の上に置いた。


「その写真、気になった?」

 

「まあ」


「中学生のときの写真なんだ。皆可愛いでしょ」


「ん、ああ、そうかもな」


「なに? 照れてんの?」


「やめろよ、そんなわけないだろ」


 あははは。なんて、俺が面白いのか笑われてしまった。ちょっとうざかった。


「今も皆続けてるの?」


「え……っと。1人辞めちゃったかな」


「そっか」


 愛風さんは一瞬、俯いて言った

 ということは、あの写真が何か、だいたい分かった。やっぱり、あの写真のもう1人の見覚えのある顔は天町さんということだろう。


「あ、そうだ愛風さん。ラスク貰っていい?」


「いいよ。食べな食べな〜」


 話を切り上げて、ラスクを1つ取った。サクサクとして、香ばしい香りが広がる。仄かな甘みも感じた。流石パン屋のラスク、美味い。


「うまっ」


「でしょ? 毎回売り切れになっちゃうくらいだからね」


「それは、つまみ食いしてるやつがいるとかじゃないの?」


「それも……あるかもしれない?」


「だろうな」


 今も少し下が慌ただしいし。多分、というか十中八九、このおやつは無断で持ってきたのだろうな。


「それじゃあ、食べ終わったらまた始めようか。セーハが少しでも鳴れば、今日は終わりにしようか」


「それがいい。もう指が痛いし」


 本当は今すぐやめたいけど。


「また今度もやる?」


「もちろん。楽しいから」


 ギターが綺麗に鳴ったときと、なんとなく曲っぽく弾けたときの達成感は好きだ。

 愛風さんも、天町さんも、音楽の話をするときは楽しそうで、生き生きとしていた。だから、俺もそうやって楽しく弾いてみたい。

 とはいえ、そこに辿り着くまでの道のりが険しい。特に指が痛いし、指が痛い。


「あの、でも今日は指が痛いから……」


「駄目」


「えー……」


「せめて、少しでも鳴ってくれればいいのに、全部完全にミュートされてるんだよ。もうちょっと、感覚を掴むまではやろう」


 愛風さんは、思いの外スパルタなようだ。





「じゃ、また今度ね」


「おう、また来る」


 あのあと、微かに音が聞こえるようになったので、そこで切り上げになった。

 そのうち指も痛くなくなるだとか聞いたけど、本当にこれに慣れるのだろうか。

 それに、あのとき見た写真。あれが本当なら、愛風さんは、そしてふでばこは……。まあ、俺の勘でしかないけど。

 まあ、そこに俺が介入するのは野暮というものだろうか。いや。そもそも俺に、それへ介入する道理はない。だからまあ、見て見ぬふりが一番なはずだ。

 友達として、あれは見なかったことにすると決めた。

 

 ……そろそろ、愛風が叱られている頃かな。

 

 

 

 

 

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