第2話 前兆

魔術はキャバリンにはじまり

プロスペロで終わる

あなたは夢を求めて泣きますか。

夢とわかって泣きますか。

それでもふたたび眠りなさい

魔術師なのですから・・・      

              ある魔術師の詩の一節より



西からの差し込む傾いた太陽の光が窓ガラスを通り、廊下にまぶしい影を落としていた。

午後の陽射しがもうすぐ夕明かりに変わる頃。

少女は屋上へと続く階段の踊り場に座り込んでいた。

右手には細く小さいカッターが握られていた。

彼女はしばらく、身動きもせずにカッターを持った右手を凝視していた。

そのストッパーを持つ指に力が入っていく。

カチ…カチ…カチ…と一段一段、刃先が上にあがってくる。

カッターの刃がもうこれ以上あがらなくなると、今度は逆に下にさげていった。

何度も、何度も刃を出したり入れたりを繰り返している。

その刃先を見つめる目がうつろに左手を見た。

袖のボタンがはずされ、まくられていた。

その手首からヒジにかけて、白く無数の大小様々な傷跡が見える。

新しいもの、古いもの、赤くミミズ腫れになっている傷もあった。

少女は少し出したカッターの刃先に、ゆっくりと力を入れながら左手首に傷を付けていく。

赤い血が傷からにじみだし、下へ伝って流れていくがわかる。

少女はその血を何の感情も映さぬ目でじっと見ていた。

「祥香?」

階段の下の方から、誰かが彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。

「帰ろうよ? 部活、終わったわよ。祥香?」

チェックのスカートを揺らしながら、裾がちょっと長くなったショートカットの髪をしたもう1人の少女が、リズミカルに階段を駆け上がってくる。

その声を聞き、はっとして我に返った。

少女はカッターの刃をひき、大急ぎでポケットへとしまった。

しかし、それは一瞬遅かった。

その声の主は、彼女の凶行を見てしまったのだ。

数段下の階段から手すり越しにカッターを握っていた祥香の姿を。

急いで祥香のもとまで階段を駆け上がる。

「祥…香!? あんた、何やってるの!」

驚いたように声を上げ、近寄ってきた。

ようやく祥香は正気に戻ったように顔を上げ、目の前に立った人物を見上げた。

「あ、綾那…?」

床にしたたり落ちた血を見て、綾那は困惑した。

「手首、見せてっ。」

綾那は祥香の左手首を押さえようと、右手を伸ばす。

が、それを振り切るように勢いよく祥香は立ち上がった。

顔がこわばっている。

一番知られたくない人物に知られた!そんな顔だ。

「いい。触らないで!」

祥香は、そう言い残すとぱっと自分の左手を押さえながら走り去った。

「祥香…」

祥香を追いかけることもできずに、綾那はその場に立ち尽くしていた。

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