51. みずうみの守り神

 夕方になると、とうとう風が吹き始めた。


 拝殿の戸がかたかた揺れる。


 わたしとのどか、そして姫神さまは拝殿の外に出て空の様子をうかがった。


 夕日に赤くそまった空を、雲が走り抜けていく。


「これ、夜になる前に嵐になっちゃいません?」


「神気が暴発するにはまだ早いです。……今吹いてるのは、うみの風ではないです」


 のどかが右手を右目にあて、垣間見の術を使う。


「ほのかに黒いかすみがかかってますね。これが幽気ですか」


「ですです。神気が枯れていると、幽気がのさばってきてやがるです。こういうのを、気枯けがれというのですよ」


 そうして空を見上げていたら、電話の鳴る音がかすかに聞こえてきた。


「僕、出てくるよ」


 のどかが社務所に走っていく。


「……」


 さっきから、みょうに姫神さまの口数が少ない。


「めずらしく不安そうですね」


「めずらしくはないですよ。神さまはいつも氏子うじこのことを気にかけてるです。神さまは祖神おやがみ、つまりご先祖さまです。子孫である氏子は、みんなぼくの子なのです」


 金髪色黒でセーラー服のお姉さんがご先祖さま。うーん。


「今は沖島のことが気になるです。あそこは風と波の影響をもろに受けるですから」


「みずうみに浮かんでますもんね」


「ま、きっとだいじょうぶです。島っ子は慣れてるですから」


 と言って、姫神さまは拝殿に引きかえしていった。


 そっか。姫神さまはみずうみの守り神なのに、今はわたしたちのことだけを見ていてくれるんだ。ひとりじめじちゃってる。


「あの、姫神さま」


 姫神さまの後を追って声をかける。


「みちるさんが帰ってきたら、沖島を見に行ってください。奥津宮おくつみや神社でしたっけ。姫神さまなら向こうのお社までひとっ飛びですよね?」


 姫神さまはゆるやかに笑って、わたしの頭をなでた。


「しずかちゃんは他の人のことばかり考えてるですね。いい子すぎるです」


 いい子すぎる。そんなこと初めて言われたな。


 と、頭の上で姫神さまの手がこわばるのが感じられた。


「姫神さま?」


「……どうやら、島がちょっとまずいようですね」


「え! もう嵐がきてます?」


 姫神さまがうなずく。


「今はまだ平気です。ただ、この後土砂くずれが起きる気配がするです。沖島はほとんどが山なのですよ」


 ちょうどそのとき拝殿にのどかが戻ってきた。


「お父さんからだった。今は街のガソリンスタンドで、すぐこっちに着くって」


「姫神さま!」


「聞いてますですよ」


 ただならぬ緊張感に、のどかは「どうしたの?」と首をかしげている。


「沖島で土砂くずれが起きるかもなんだって」


「え!」


「姫神さま。ここはもうだいじょうぶなんで、島に行ってください」


 姫神さまが腕を組んでうなる。


「……みちるちゃんが帰ってくるなら、だいじょうぶですかね」


 姫神さまがわたしとのどかを交互に見る。


「はい。だいじょうぶです! 神札がありますし、戸締まりして、魂祓えしてます!」


 わたしが力強く言うと、姫神さまは満足気にうなずいた。


「じゃあ、ここは頼みましたです。ぼくは、少しだけ沖島に行ってきますです。すぐに帰りますからね」


 そう言い残して、姫神さまは本殿へと歩いていった。

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