第九章 凪の日

49. 信じてください

 お父さんたちが車で出ていくのを見送り、わたしとのどかはそのまま姫神ひめがみ神社を出た。


 目的地はもちろん『喫茶ウェーブレット』だ。


 湖畔の道に風はなく、さざなみの音は聞こえない。

 雲ひとつない青空だけど、それがかえって不安をあおる。

 わたしたちは知っている。こうしたみずうみをしずかとはいわないことを。


 岬につき出たお店に着く。

 でも、人の気配がない。


 『ウェーブレット』のドアには『CLOSED』の札がさがっていた。ノブを回そうとしてもがちゃがちゃと引っかかって動かない。


「もしもーし! 神社のほうから来ましたー! ニオちゃんいますかー!」


 ドアをたたいてみても、中からは何の反応もない。


「聞こえてないのかも。同じ建物でも、お店と住むところは別になってるんじゃないかな」


「うちの社務所みたいに? たしかに、この建物大きいしね」


 前に遊びに来たとき、ニオは二階に住んでいると言っていた。

 ただ、お店と家がいっしょになったこの建物はかなり大きい。二階といってもどのあたりにいるのか、さっぱりわからない。

 もっと詳しく場所を聞いておけばよかった。


「ニオの部屋はテラスのほうだと思う」


 と、考え込んでいたのどかがそう言った。


「え、何でそう思うの? 実は夜中にこっそり来てたり? ストーカー?」


「今そういうのいいから」


 と言って、のどかは建物の裏のほうへ歩き出した。


「考えてみなよ。この建物で一番風が通りそうなのはどこか」


「なるほどね」


 ニオのお父さんお母さんがここに喫茶店を建てたのは、神気に満ちた風でニオについた幽気を祓うため。

 だとしたら一番風が当たるところをニオの部屋にするはずだ。


「ニオー! ニオー!」


 テラスの柵のすぐ外から、建物の二階へと声を張りあげる。


 二階にはいくつか窓が並んでいて、そのうちのひとつに濃いブラウンのカーテンがかかっている。

 たしかにあの色、ニオが好きそうだ。


 と思っていたら、そのカーテンのすき間からちらりと顔がのぞいた。


「ねえ、今の」


 のどかがうなずく。


「ニオ、聞いて! 神社に来てほしいの! お願い! 返事して!」


 そうさけんでいたら、家の玄関からニオのお父さんとお母さんが出てきた。


「おじさん、おばさん! ニオを呼んでください!」


 わたしが詰めよると、おじさんはたじろいだ。


「しずかちゃん? そないあわてて、どないしたん?」


「みずうみが凪いでいて、姫神さまの神気かむきが枯れてて、そのすきに幽気かそけきが活発になるとニオが危ないんです! だからニオを神社に連れていって魂祓たまはらえしないと!」


「うん、うん?」


 おじさんは話を聞いてはくれたけれど、ちゃんとはわかってくれていないようだった。


「ねえ、しずかちゃん」


 おばさんが腰を落とし、わたしと目線の高さを合わせた。


「ニオ、昨日から体調をくずしちゃってるの。今日は寝かせておいてあげて」


 あ。これダメなやつだ。


 態度と口調は優しいけれど、おばさんはわたしの話を聞こうとしていない。


 どうしよう。

 どうすれば信じてもらえるんだろう?


 神仕えの力を見せる?

 でも神気はおばさんやおじさんには見えないし。


「おやおや、騒がしいと思ったら、小さな神仕かむつかえさまたちかい」


 と、そこにおばあさんが現れた。


 そうだ、おばあさんなら話を信じてくれるかも!


「ニオの命が危ないんです! 神社に連れていかないと!」


「しずかちゃん! いい加減にしなさい!」


 おばさんが立ち上がり、わたしを叱りつけた。


「ニオはショックを受けてるの! あの子、心も体もじょうぶじゃないの。昨日もまた髪が……! お祈りならまた行かせるから、今日はもう帰って!」


「おいおい、そないきつう言わんでも」


「そうよ。ちょっと落ち着きなさいな。しーちゃんはニオのためにね、」


「あなたもお義母さんも黙ってて!」


 おじさんとおばあさんが取りなすのも、まったく聞かない。


 おばさんが心配するのはわかる。

 わたしの言うことを信じてくれないのも、悔しいけどしかたないと思う。

 わたしはまだ子どもで、修行が足りなくて、日々のお勤めが、現世で生きてる時間が足りなくて、大人を納得させるような言葉なんて持ってなくて。


 でも。


 それでも!


 わたしはニオを連れていかないと!


 こうなったら、無理やりにでも……。


「おばさん」


 と、それまでだまっていたのどかが一歩前に出た。


「幽気だとか魂祓えだとかは信じなくてもいいです」


 のどかは真っ直ぐおばさんを見て言った。


「ただ、僕たちの気持ちを信じてください。僕たちはニオのことを大事に思っています。それだけを信じてください」


 そしてのどかは深く頭をさげた。


 わたしも横に並び、同じようにした。


「……かーくん。しーちゃん」


 声がする。


 顔をあげると、玄関にニオが立っていた。


 パジャマ姿にサンダルばきで、ニット帽をかぶっている。

 ニット帽からは、白い髪の毛が何本かのぞいている。


 ニオが歩いてくる。


 ニオが足もとがふらつかせるとおばさんが駆けよった。


 抱きとめられたニオはおばさんの顔を見上げ、血の気のない顔で力強く言いきった。


「わたし、信じてる」


「……ニオ」


 おばさんが声をつまらせる。


 おじさんが、その肩を抱きよせて言った。


「わしらはニオを信じとる。せやったらニオの信じる友だちを信じなうそやろ」


 おばさんは目もとを手でぬぐい、それからわたしたちのほうへと振りかえった。


「……わかりました。ニオのこと、お願いします」

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