43. わたしはそれでもう十分

「ひとつ、覚えておいてほしいことがあるですよ」


 と、そこで姫神さまが口を挟んだ。


「ぼくの本分は知ってるですよね。航海の神であり、音曲おんぎょくの神であり、そしてうみの平穏を守る神であるです。お賽銭箱の後ろにも書いてあるです」


「ご利益りやくですよね」


「ですです。どの神さまもご利益、つまり本分が決まってます。神さまは、何でもはできません。ぼくの場合は風や雨、雷や大波の魂鎮めが、つまり大気や水に宿った神気を鎮めるのが本分です。人や動物、ものの魂鎮めなんかもできはしますけど得意じゃないのです」


 姫神さま「うーん」と少し考えてからまた話を続けた。


「例えば、縁結びの神さまに合格祈願するようなものなのです。合格祈願は、受験する学校との縁結びだともいえますので、効果はなくはないです。物は言いようです。けど、あんまり期待しちゃダメなのです」


「姫神さまにとっての幽気も、そうだということですか?」


「はいです。きみたち息長一族の神業みわざはうちが貸している力によるものです。えー、結局何が言いたいかというとですね、幽気を簡単に祓えるとは思わないでほしいってことなのです。決して、油断をしたとか、力不足であったとか、そういうことではないのです」


 姫神様はめずらしく力を入れてそう訴えた。


「……まあ、そういうこと」


 みちるさんが再び話しだした。


「ニオちゃんにとりついた幽気は、見たこともないような量だった。それでも二人がかりなら何とかなると、わたしはそう思った」

 首を振り、こぶしを握るみちるさん。


「でも、姉さんはちがった。姉さんは一人ですべてを祓おうとした。姉さんは神札みふだでわたしの足を縛って、たった一人で幽気に立ち向かっていった」


 何で、そんな……。


「そして姉さんは幽気に魂を持っていかれた。空っぽになった体は、みずうみの波にさらわれて……」


 みちるさんは言葉をとぎれさせ、わたしを見た。


 そっか。


 わたし、見てたんだね。


 お母さんの最期。


「じゃあ、お母さんは、やっぱり今も……」

「うみにいるのね」


 のどかのつぶやきに、わたしが続けた。


「義兄さんは、姉さんの最期を聞いてこの神社を離れる決心をしたの。二人がみずうみに心をとらわれないように。危険な御役目に関わらなくてすむように。そして、しずかがあの日のことを思い出すことのないように」


 それで、わたしたちはずっと淡海町に来ていなかったんだ。


「だけど、御役目というのは逃げようと思って逃げられるものじゃない。わたしと義兄さんは約束してたの。『いつか二人が神通力に目覚めたら、必ず神社につれてくる』と」


「修行のために?」


「そう。生兵法なまびょうほうは怪我のもと。中途半端な力、生半可な知識はかえって自分の身を危険にさらすわ。しずかが春の嵐を魂鎮めしてしまったときのようにね」


「う。ごめんなさい」


 みちるさんは、かすかに笑みを浮かべて首を振った。


「いいの。失敗していいの。転んで、すりむいて、痛みを覚えて、そうしてあんたたちは成長していくの。そのためにわたしがいる。いつもちゃんと見てるから、だからあんたたちは失敗していいの」


「……みちるさん」


 だからみちるさんは、わたしたちを名古屋に帰らせなかったんだ。

 ちょっとした外出にも慎重になって、いつもそばにいてくれて。


「しずか、のどか」


 みちるさんはたたずまいを直し、わたしたちを正面から見すえた。


「二人に、お母さんの、息長あぐりの最期の言葉を伝えます」


 わたしとのどかも、背筋を伸ばす。


「『しずかがいて、のどかがいて、浩次さんがいて、みちるがいて、みんながハッピーなら、わたしはそれでもう十分』」


 みちるさんの目が光る。


「二人とも、忘れないでいて」

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