32. 夢と現実

 夢を見ているとき『あ、これ夢だ』って気づくことがある。


 今夜がそうだった。


 みずうみの上にニオが横たわっている。


 水面には波ひとつない。鏡のようだ。


 ニオの髪は、身にまとう白衣と同じくらいに白い。


 湖面から赤黒いかすみが立ちのぼってくる。


 幽気だ。


 幽気のひもがニオの体を覆っていく。


 わたしは手を伸ばす。


 届かない。


 足を踏み出そうとする。


 前に出ない。


 それはそうだ。水の上なんだから。


 一歩、一歩と足を上げて下ろすごとに、水の中へ沈んでいく。


 幽気が増えていく。


 ニオの姿が隠れていく。


 腰、お腹、胸と水面がのぼっていく。


 逆だ。わたしが沈んでいく。


 誰か、ニオを。


 わたしの代わりにニオを。


 誰か……。




「お母さん!」


 はね起きる。掛ぶとんがずり落ちる。


 ……ここは?


 二階。


 わたしの部屋。


 姫神神社。


 今は?


 何時だろう。


 暗いけど、空はほのかに青くなっている。夜明け前みたい。


 うわ、汗びっしょり。


 パジャマを脱いで、部屋にあったタオルで体をふく。


 嫌な夢だった。こんなの覚えてなくていいのに。


 窓を開けると、早朝の空気が冷たくて気持ちいい。


 少し外に出ようかな。


 白衣を手早く身につけ、わたしは静かに部屋を出た。




 玄関から外に出る。


 世界が真っ青だ。


 朝の神社は清らかで、みずうみからの風が嫌な夢と汗を祓っていく。


 見あげると空にはまだ月が出ている。


 そういえば、月にもうみがあると昔お父さんが言っていた。


 うみか。せっかくだし琵琶湖を見ようかな。


 拝殿の横を歩いている途中、人の声がするのに気づいた。


 本殿の裏手を、そっとのぞく。


 やっぱり。のどかだ。


一二三ひふみ 一二三ひふみ


 奥津鏡おくつかがみ 辺津鏡へつかがみ 十握剣とつかのつるぎ


 布留部ふるべ 由良由良止ゆらゆらと 布留部ふるべ


 人さし指だけを立てて印を組み、祝詞をくりかえし唱えている。


 何度も。何度も。


 そっか。

 だからのどかは、いつも眠そうにしてるんだ。


「一二三 一二三 奥津鏡 辺津鏡 十握剣 布留部 由良由良止 布留部」


 わたしは、のどかに声をかけず戻ることにした。

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