11.彼の決意

 洞窟探検から帰ったアイクは、使用人や衛兵の目をかいくぐって自室に戻っていた。

 手と顔を洗って着替えてから一時間ほどの仮眠を取り、何食わぬ顔で家族揃っての朝食に顔を出した。

 深夜に抜け出した事が両親達にばれている様子はなく、その後の戦闘訓練や座学も何事もなくこなしていった。

 幸運な事に今日の訓練や座学の時間は、いつもより早く終わった。

 普段であればこういった時は自主的に鍛錬や座学の復習をするのだが、今日のアイクはすぐに自室へと戻り、旅支度に取り掛かった。


 必要な荷物を他国に赴く際に愛用している鞄に入れていく。

 鞄は、横三十センチ、縦二十センチほどの大きさで、ベルトに留め具で固定して持ち運ぶ物だ。

 一見すると旅には向かない大きさだが、この鞄には収納魔法が掛けられている。

 収納魔法とは、魔力によって物を出し入れ出来る空間を作る魔法だ。比較的高度な魔法のため、これが施されている調度品等はどれも高価で、貴族でなければなかなか手の伸びない品が多い。


 ――らしくない。

 そう思いながら、アイクは旅支度を進める。

 御伽話のような、未だに心のどこかでは信じきれていない聖霊の話に、喜んで食い付いている自分がいるからだ。普段ならマルスが真っ先にこういった話に食い付き、彼の勢いに押されるのが常だ。

 だが、今回は違った。

 マルス達と旅に出る事を約束してきたわけでもなければ、二人の旅に出る事への意思を聞いたわけでもない。独断で旅に出ると決め、行動している。


 彼を突き動かしたのは、「そなた達にしか出来ぬ事なのだ」という聖霊の言葉だった。

 自分にしか出来ない事、唯一無二のもの。彼はそんなものをずっと求めていた。憧れていた。

 彼がそれらを求め、憧れを抱く背景には、兄達の存在があった。


 アイクには兄が四人いる。兄達は皆非常に秀でた才能を持っており、若いながらも騎士団の一員として活躍し、名を上げていた。

 長兄は文武両道に秀でた才能を持ち、将来の騎士団長として多くの者から期待を寄せられている。

 次兄は抜きん出た武術の才を持っており、国防の最前線で活躍し、多くの功績を残している。

 次兄の双子の弟である三番目の兄は非常に怜悧な人物で、幅広い知識と高い見識を備えており、若いながらも騎士団の運営や国防会議における発言権を与えられている。

 そして四番目の兄は魔法の天才で、騎士団でその才能を重宝され、最年少で魔法部隊の幹部に名を連ねている。


 誰もが「ディルニスト家の子息は天才揃いだ」と賞賛する。

 だが、誰もが賞賛する「ディルニスト家の子息」の中に自分が含まれていない事を、アイクは知っていた。

 アイクには、兄達ほど抜きん出た才能がなかった。「鳴かず飛ばずの末の子」と揶揄する言葉を聞いた事もある。兄達と比べられ、「末の子は出来損ない」とあまりに心ない言葉もどこかで聞いた。


 悔しくて、悲しくて、情けなくて、堪らなかった。

 だからアイクは必死に努力を重ねてきた。稽古を休んだ事は一度もないし、自主鍛錬も毎日欠かす事なく行っている。

 マルス達と出会うまでは、まだ幼いながらも自由時間すら鍛錬に充てており、周囲の者達が酷く心配するほどだった。


 だが、どれだけ努力を重ねても、兄達の秀でた才能はそれを軽く超えていく。特に次兄と四番目の兄がそうだ。

 次兄は少々怠慢な性格をしており、稽古に姿を見せない事も度々あった。だが、それでも武術の腕は確かで、手合わせで勝てた事は一度もない。

 四番目の兄は、大した練習など要さずとも、簡単に高度な魔法を使えてしまう。

 努力しても兄達の才能には追いつけないのだと思わざるをえなかった。


 追いつかない能力、周囲が賞賛する「ディルニスト家の子息」に含まれない自分。

 アイクはディルニスト家の子息としての存在意義を見失っていた。それは、彼自身の存在意義を失う事と同義だった。

 だから、聖霊から自分達に与えられた神の使命を聞いた時、闇に包まれて見えなくなっていた道を漸く見つけ出した気分になった。これこそが自分の存在意義なのだと感じたのだ。


 世界を邪神から守るという使命を果たす旅。

 その旅がどれほど苦しいものかは分からない。楽でない事は明白だ。そして、その旅の果てに、どれほど恐ろしいものが待っているのかも分からない。

 だが今のアイクにとっては、想像のつかぬ不安の影よりも、ようやく見つけた「存在意義」の希望の光がずっと強かった。


 不安と、それ以上に大きな期待を抱きながら、アイクは荷造りを進めていく。

 全てが終わった頃には、もうすっかり陽が暮れていた。

 出発は明日の方が良いだろうと考え、その日は早めに眠りについた。


 ――マルスとパルは一緒に行ってくれるだろうか?

 微睡みながらそう考える。

 答えは、何となく分かっていた。




 *   *   *




 翌朝、起床してからアイクは決心がつかず、落ち着きなく自室を歩き回っていた。

 彼が決心をつけられずにいるのは、旅に出る事を父ヴェイグに伝えるか否か。

 伝えれば十中八九、強く引き止められるだろう。

 父は息子がディルニスト家の名に恥じぬ人物になる事、そしてグラドフォスの騎士になる事を望んでいる。だからこそ、その妨げになる物事には特に厳しいのだ。

 父がマルスやパルとの交流をあまり快く思っていないのもそのせいだった。

 その父に旅に出たいと伝えれば、強く反対されるのは明白だ。


 だが、伝えずに行けば、大変な騒動になるのは目に見えている。騎士団長の子息が失踪したとなれば、誰もが血眼になって捜索に出るはずだ。そうなったら、すぐに見つかって連れ戻されるに違いない。

 いつもの探検と違い、いつ戻って来られるのかも、そもそも生きて戻れるのかすらも分からない。黙って出て行くのは、どうしても気が引けてならなかった。

 やはり伝えてから出て行くのが得策だろうとアイクは考える。

 では、父の引き止めをどう切り抜けるのか。それが彼の決心を曇らせる原因だった。


 幼い頃から父の厳しさはよく知っている。怒った時の恐ろしさも。

 アイク自身が父に叱られる事はそう多くなかったのだが、少々怠慢な性格の次兄が叱られているのをよく目にしていた。

 叱られる回数の多い次兄はすっかり慣れて平然としていたが、アイクには父の怒りの形相や怒声が恐ろしくてならなかった。それらが自分に向けられていないのが幸いだと思った。


 父に旅に出たいと打ち明ければ、間違いなく恐れていたそれらが自分に向けられる事になる。

 想像するだけでも緊張が押し寄せ、嫌な汗が滲んできた。


 落ち着きなく歩き回っていたアイクは、一度立ち止まって考える。

 ようやく見出した自分の存在意義。それは、父親に止められる程度で諦められるものなのか?

 ――いいや、違う。

 ここでようやく見つけた希望の光を諦めれば、この先一生後悔するに違いない。

 頭の中で自問自答を繰り返し、アイクは漸く決心が出来た。


 いざ父のもとへ、とアイクは部屋を出る。

 廊下は自室よりも空気が冷えており、その温度差で僅かに体が強張った。冬が過ぎたとはいえ、まだ朝晩は寒いものだと感じながら廊下を歩く。

 向かう先は父の執務室だ。

 一歩進む度に緊張が高まり、鼓動が激しさを増していく。すれ違う使用人が立ち止まって会釈をするのにも気がつかないほどに、緊張が彼を支配していた。

 恐らくこれが人生で一番緊張している瞬間なのだろうと彼は思う。


 そうして辿り着いた父の執務室、その扉の前。今の彼には、扉がまるで巨大な怪物の閉じられた口に思えた。

 開けば、喰われる。そんな恐ろしいものに見えるような気がした。

 二回ほど深呼吸をしてから、アイクは震えの隠せぬ拳で扉を叩き、緊張を押し殺した声で名乗る。

 心臓が一層激しく脈打つ。鼓膜には心音のみがうるさいほどに響いていた。


 しかし、いくら待てども扉の向こうからは何も返ってこない。

 緊張のせいで聞き逃してしまったのか、という不安が過ぎる。

 父は無駄を嫌う人間だ。出だしからしくじってしまったと苦虫を噛み潰したような表情で、視線を床に落とす。


「おやアイク様、どうなされました?」


 不意に掛けられた声に顔を上げると、ディルニスト家の執事長シーニがそばに立っている。

 彼は随分と長くディルニスト家に仕えており、父も厚い信頼を寄せる人物だ。老齢ながらも職務における敏腕さは衰えを知らず、アイクも尊敬の念を抱いている。


「ヴェイグ様でしたら、まだ城からお戻りになられていませんよ」


 柔らかな口調で告げられた言葉に、アイクは思わず床に崩れ落ちそうになった。

 出鼻を挫かれるとはまさにこういう状況を言うのだろう。決心していざ、と恐ろしいほどの緊張に耐え抜いてここまで来たというのに、肝心の父は不在であったのだ。

 シーニはアイクの様子に少々戸惑いながら、会議が長引いているのだと続ける。


「何か大事な御用でも? 急ぎの用件でしたら使いを向かわせましょうか」


「いや……また出直します……」


 意気消沈したアイクは、項垂れながら答える。


「承知しました。では旦那様が戻られたら、すぐにお伝えします」


「ありがとうございます」


 礼を言ってから、アイクは重い足を引き摺るような気分で元来た道を歩く。

 シーニは幼い頃から変わらず目下の者にも丁寧な彼に微笑ましさを感じつつ、珍しく意気込んだ様子で父親を訪ねてきた事に疑問を抱きながら、その後ろ姿を見送った。

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