「あやかさん」

 囁くように呼ばれて、綾香は隣に座る彼女に目を向けた。

 オレンジ色の薄暗い照明。偶然始まった恋愛もののアニメーション映画。いつの間に酔いつぶれてしまったのだろうか。愛の頬は赤く、その目は虚ろに綾香を見つめていた。綾香が貸した部屋着のTシャツ。Tシャツの袖から覗くピンクの下着。レースの付いたピンクの下着からは、白く細い脚が大胆に露出されていて、綾香は意識しないようにビールを口に運ぶ。

「んん……」

 小さく声を漏らし、愛は綾香の肩に寄り掛かる。

「大丈夫?」

 酩酊する愛に、綾香は声を掛ける。

 さすがに日本酒のロックをぐびぐび飲むのは止めるべきだったと、綾香は反省する。よっぽど会えたことが嬉しかったのだろうか。愛は家に着くなり綾香に抱き着き、キスを求めてきた。そのまま熱いキスを交わしこのままベッドに連れていきたい衝動を堪え、二人はそれぞれシャワーを浴びた。何気ない会話をし、偶然放送していたアニメーション映画を見ながらら静かにお酒を呑み、気付いたら愛は出来上がっていた。

 愛が綾香の肩から離れる。肩から愛の温もりが消え、そして今度は太ももに愛の温もりを感じた。

 愛の荒い息が、綾香の脚に掛かる。

 吸い込まれるように愛の下着に目が移る。綾香はビールを口にし意識を逸らした。

 愛は再び綾香の名前を呼ぶ。

「ここにいるよ」と答えて、綾香は愛の頭を撫でる。

 初めて愛の酩酊した姿を見ることが出来て、綾香は嬉しくなる。

 今まで二人で呑んでいても酔ったことがなかったのに、こんなに酔うまで呑んでくれたのは綾香に気を許してくれたからだろうか。

 綾香は初めて愛と出会った時のことを思い出す。初めて声を掛けられた時は、見た目とは裏腹に、大人っぽい雰囲気を醸し出していて、何か裏がありそうな女だと綾香は思った。寂しい心を見透かされ、見下されているような気がして苦手なタイプの人間だと思いもした。

 愛の飲みかけの日本酒を口にしながら、こんなに好きになるなんて思わなかったと、綾香は感慨にふける。今まで同性を好きになることなんてなかったのに、こんなにも愛のことを好きだと思うのは、他ならぬ愛だからだろうと、妙に納得する。

 愛は再び、綾香の名を口にする。

 綾香は身体を動かし、愛の頭を膝からソファーへ移す。

 愛おしむように愛を眺めて、唇にキスをする。

 小さく声を漏らすと、愛は綾香を抱き寄せる。顔が近づく。綾香は再びキスをする。朧げな意識の中、愛は綾香を受け入れ、ゆっくりと舌を動かす。

 キスを重ねるうちに、綾香は愛を押し倒す格好になる。二人の脚が絡まる。綾香の鼓動が高まる。

 愛の瞼がゆっくりと開く。

「するの……?」

 たどたどしく、確かめるように愛は言う。

「愛ちゃんはしたい?」

 確かめるように、綾香は愛に問いかける。

 愛は再び小さく声を漏らし、瞼を閉じる。

 そして、苦しそうな表情で口にする。

「もうしたくない」

 ――昂った身体が冷めていく。

 もうしたくない、それはまるで呪いのように綾香の頭に纒わり付く。

 綾香は頭を横に振る。嫌な予感が胸を過る。

「でも――、あやかさんがしたいなら、いいよ」

 綾香は固まる。胸がきゅっと締め付けられる。

 綾香は愛に浅いキスをする。

 愛の瞼がゆっくりと開く、虚ろな目で綾香を見つめる。

「嫌ならしないよ。無理にしなくていいんだよ」

 驚いたように愛の目が開く。

「しなくていいの……?」

 愛は疑うように問いかける。

「しなくていいんだよ。だから、大丈夫」

 優しく言い聞かせるように綾香は言う。

 愛は目を閉じる。身体を横に動かしそっと呟く。

「ありがとう、綾香さん」


 穏やかな表情で眠りについた愛の身体に、綾香は寝室のタオルケットを掛けた。

 ベッドまで運ぼうと思った綾香だったか、静かに眠る愛を、このまま眠らせてあげたいと思った。

 カーペットの上に座り、綾香はビールの缶を開ける。いつの間にかアニメーション映画は終わり、深夜の報道番組が始まる。綾香はリモコンを手繰り寄せ、音量を下げる。

 どうしたものかと、綾香は頭を悩ませる。

 やけに高そうなマンションに一人暮らし。

 ショッピングの時に見えた、大学生が持つにしては多い札束。

 初めて出会った時の慣れた手つきと、立ち振る舞い。

 よく考えてみれば、と綾香は違和感に気付く。

 援助交際。風俗。嫌な予感は消えずに、綾香に纏わり付く。それでも確証はなかった。それだけが救いだった。

 ビールを口にする。耳を澄ませば愛の寝息が聞こえる。綾香は無性に安心する。

 とりあえず様子を見よう。綾香は自分に言い聞かせ、追加のビールを取りに立ち上がる。

 冷蔵庫の光に目を細めて、ビールの缶を2本取り出す。

 ゆっくりとした足取りでリビングに戻ると、ローテーブルの上に置いてある愛のスマホが光る。

 いけないと分かっていながらも、綾香の視線は愛のスマホに釘付けになる。おもむろに綾香は近づく。スマホを手に取り、恐る恐る画面を開く。

 身体が固まる。崖から突き飛ばされたような衝撃を感じる。

「愛ちゃん久しぶり。来週の月曜日、20時から空いてるかな?」

 綾香は“ゆうじ”と書かれた知らない男の名前を一瞥し、まるで間違いであって欲しいと願うように、何度もメッセージを読み直した。


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