#浮遊島企画 ジョン・スミス編

ひつじ綿子

ジョン・スミスの手紙

1通目 The beginning -はじまりの島-

Preface まえがき


私の旅は奇縁とともにあった。

失意とともに故郷を旅立ち長日月ちょうじつげつ。くずと消えた旅人の挿話そうわ仄聞そくぶんする一方で、私はあまたの島をおとない、多様な住人とであい、さまざまなできごとをこの目に映してきた。

ひとはそれを幸運と呼ぶのかもしれない。

だが、最愛の妻と娘を病でなくした経緯を思えば、私は私の宿命をさいわいと呼ぶにあたわず、喪失をつのらせるだけである。

ゆえに私は、これをえにしとえにしがもたらす妙なる技であると確言する。私の妻は、娘は、私のさだめの一部ではない。彼女らは彼女らの星のめぐりのもとにあったのだと信じなければならぬのだ。


近ごろは体の自由もかなわず、果ての地にすみかをかまえるにいたる。所在を落ち着けてみれば、妻と娘のほかに、つねならぬえにしを結んだ人生を思い返すようになった。あらゆる生命がゆりかごたる箱庭に生まれ死ぬさだめにありながら、私がたどった道筋はなんと奇妙なことか。

長らく思案したが、ただ朽ちるだけの我が身のみにとどめるのも持ち腐れであると感じ、回顧録をつづるべきと思い定めた。

誰に読まれず灰塵かいじんすやもしれぬが、構わない。我がまますじで生きてきた締めくくりが我がままで終わるのは道理であろう。


* * *


私これから記すものについて。なにに驚き、なにに感動したか、なぜそのように心が働いたのかを理解してもらうためには、なにが私にとって「普通」であるかを述べておくべきであろう。


私が生まれ育った浮遊島は、気候も住人の気性もおだやかで、いさかいごとも少なく、落ち着いた時を刻む安楽な島であった。なにごとも受け入れてしまう気質のためか、医療技術の水準が低く、人々の寿命は孫の顔を見るか見ないかで尽きてしまう。もしも攻撃的な捕食者が島にまぎれこんだとしたら、住人は愚鈍な糧食と識別されて、あっという間にたいらげられていたにちがいない。

名を、コンジャイ=イエンという。死すらも蜂蜜のように甘く受容する島。

だが彼らには唯一、肝胆を寒からしめる恐怖があった。

──霧だ。

朝に夜に、霧はどこからともなく現れる。ときに真昼であっても油断はならない。花が咲き乱れる野原の向こう、島のふちをぐるりと囲む山脈が白くけぶれば、子どもらは遊びを、大人は仕事を切り上げて帰路につき、玄関や窓をかたく閉じた。間に合わないとなれば親類や友人の家宅を借りる。親交のない他人の住居や職場では霧の魔の手は防げないため、誰もが自宅から遠く離れようとはしなかった。

島の住人が、おおむねおおらかで、打ち解けやすい気質であったのは、霧をおそれる深層心理があったのやもしれぬ。友人が多ければ、遠くに出歩いてもかくまってもらえるからだ。

さて、友人といっても付き合いの深度には格差があり、霧はそれをどのように選別しているのかという謎があった。大多数の住人は答えを知る必要性を感じながらも、知恵をしぼり実験を行い証明しようとはしなかった。当然だ。実験の失敗は死に直結する。みずからの命か、協力者の命か、いずれかであっても代償は大きい。好む好まない以前の問題であろう。しかし、いつの時代にも強い使命感を持った少数派の存在は歴史に刻まれている。……私の妻がそうだった。

求婚の日に妻の要務を知った。私はしばらく悩んだが、すでに彼女を愛していた私がいまさら他人に戻るなど選べるはずもなかった。至当な処置として、霧の検証には事前に安全が吟味されている。危険をともなうが、ただ日常を過ごしているだけでも事故は起こりえる。ならばただの仕事と代わり映えしないだろうと考えた。

ほどなく娘が誕生し、私の人生は幸福のきわみを迎える。ふにゃふにゃとした小さな団子が寝返りをうつようになり、立ち上がるようになり、やがて歩くようになり。そのすべてを、私は妻とともに愛した。

あまねく好事がくつがえったのは、娘が五歳の誕生日を迎える三日前。昼食の時間の直前、山ひだから白いもやが立ち込めて、町の鐘が鳴り響いた。霧が湧いたのだ。私は仕事を打ち切り、すぐさま自宅に帰着した。誰もいない。今日は非番だから娘を野原へ連れて行くと言ったほがらかな声が幻聴となって耳を去る。野原は町のすぐ外側にあり、自宅から近くはないが遠くもない。私は家じゅうの戸締りを何度も何度も確認しながら二人を待った。霧はどんどん迫ってくる。もう町の入り口には到達しただろう。地を這い、隣家とのせまい隙間を縫って、愚鈍な獲物を追いかける。まだか、まだ戻らないのか。まだか、まだなのか、まさかもう……最悪の予想がよぎったそのときだった。大きな物音を立てて玄関が開いた。はっと顔を上げると妻がいた。細腕に子どもを抱いて、息も切れ切れだ。私はあわてて駆け出し、すぐに扉を閉めた。霧は紙一重で行く手をはばまれ、しばしもやもやとした様子を見せたがまた隣家へと進んでいった。

ほっとした。長い息を吐いて生きた心地を取り戻し、妻と娘の無事を視界におさめた。

一瞬、どうしてこんなに遅くなったんだと責め立てたい衝動にかられたが、こらえる必要性もなく消えてしまった。ただただことなきを得た嬉しさに顔がほころぶ。妻も、肩で息をしながら私に微笑みかけた。次のまばたきの間に、妻の体からちからがぬけた。なにが起きたのか理解できず……あるいは信じたくない一心で、私は硬直したまま妻を見つめた。どくどくと心臓がうるさい。手がふるえる。妻を、娘を、抱え起こした。二人はぴくりとも動かなかった。


霧に触れたものはやまいかかる。まぶたをかたく閉じたまま、眠っているように見える。苦痛を訴えるしぐさもない。食事や排泄などの生理的作用もない。そして丸三日過ぎると灰になる。


動かない二人をベッドにうつし終えるころ、外はすっかり晴れわたっていた。霧のひと筋も残っておらず、住人は互いの無事を喜び合いながら日常へ戻っていく。

私だけは、ちがった。近くの医院へ転がるように駆け入り、受け付け役の女に怒鳴り散らして、それはだとか落ち着いてだとかを繰り返す医師を引きずり自宅へ連れこむ。医師は難しい顔つきをしながらも定型通りの仕事をした。はたから見ていると尽されていない印象を受けたが、これまで風邪ひとつ患わなかった私には断定できない事柄だ。辛抱強く待ち続け、医師が道具を置いたところでたたみかける。言葉をさえぎられたりしなかった反面、相槌あいづちもなかった。経験上なにを言ってもむだだと分かっていたのか、医療関係者用の教則本に対応策が掲載されていたのかもしれない。あらゆる希望を吐き出したのちに静かに言われた。いまの医療技術では救えない、と。

皮肉なことだ。我々は死を受け入れることで、穏やかな気性と人生を得た。代償として医療の進歩を捨てた。それに、霧によるやまいは気をつけていれば予防が可能だ。霧に触れての死は粗忽者そこつものとしてあつかわれるのだ。娘ほどのおさなごであろうとも、妻のように人々のために命をとして業務に打ちこんでいたとしても、白い目を向けられる。

医師の対応に冷たさを感じたのは、私の気のせいではないだろう。


翌昼、二人を横たえていたベッドは灰にまみれていた。


自宅に戻った彼女らがやまいに罹ったのか理由は分からない。あるいはぎりぎり間に合っておらず、霧に触れてしまったのか。無事に見えたのは私の気のせいだったのだろうか。どうして彼女はあのとき、もっと早く帰らなかったのだろう。帰れなかった理由があるのだろうか。いまとなっては分からない。そもそも、なぜ我々は霧などにさいなまれなければならないのだろう。我々がなにをした。こんな理不尽が許されるのか。どうしてこんなひどいことが起きるのだ。私たちはなにもしていない。ただ懸命に生きているだけではないか。だのに、どうしてこんな目に遭わねばならぬのか。……なぜ時間は戻らないのだろう。あの幸せだったころに。なぜ死者は蘇らないのだろう。こんなにも想っているのに、どうして願いが聞き入れられないのだろう。私がなにをした。彼女がなにをした。生きているだけで罪があるというのか。罰を受けねばならぬのか。娘はまだ五歳だ。罪などあろうはずもない。なぜだ、なぜだ、なぜだ……。


怒りと後悔をくり返し、昼と夜が何度も入れかわった。

灰と涙によごれた私の体は機械的に必要最低限を下回った生活を続けており、かろうじて動いてはいた。一度、職場の同僚が自宅にたずねてきた。しかし私の姿を見て、いくつかの言葉だけを残してそそくさと出ていった。出勤の催促がこないのを口実に、私は自宅から一歩も出なかった。日に日に感覚が閉ざされていく。このまま死ぬのもよいかもしれない。いっそあのとき、ともに逝けたら……。

鐘がなった。あのときと同じ、真昼の鐘。

思考するよりも早くびくりと体が反応し、窓の外を確認する。が、山のつらなりに霧はない。よくよく耳を澄ますと、拍子がいつもと異なっていた。

幽霊船の出現を示す打ち方だった。空の向こうから現れ、浮遊島に接着し、数日停泊してまた去りゆく、空をすすむ船。伝聞によると乗組員は一人もいないらしい。舵の操舵者も、帆を張る雑用夫も、行き先を決める船長でさえも。ゆえに幽霊船と呼ばれる。そのくせ毎回、積荷つみにが入れ替わっており、美しい品、珍しい品を、住人たちは毎回楽しみにしている。動物がまぎれこんで人々を驚かせた記録が一文だけ残っていて、著者は本に、幽霊船はどこか別の浮遊島をめぐっており、各島の住人が貨物を入れかえているのではないかとも綴っていた。

本当にそんなことがあるのだろうか。……ほかの浮遊島? ここではない世界……? もしも──もしもそんな世界があるのだとしたら。もしかしたらそこは、霧が出ず、霧によって死ぬこともなく……そんな世界があるのだとしたら──。

我知らず、私は家を出て、山脈とは反対方向の島のふちへと向かい歩いた。


コンジャイ=イエンの外周は、ほとんど山脈に囲まれているが、町側は山というより丘ていどの高さで、一部にいたっては崖になっている。その先は空と雲だけの、生物のいない〈領外〉だ。足を踏み外せば墜落の危険があるため基本的に立ち入り禁止になっているが、幽霊船が着岸したときだけは役場の職員が警戒に入り、立ち入りが許可されていた。積み込まれた荷物は、欲しかったり必要であったりすれば、持ち出して良いとされている。ただし対価を置いていかなくてはならないというのが、むかしからの決まりであった。

一年半ぶりの来着は、住民に大きな興奮をもたらしていた。子どもは頬を紅潮させて先を急ぎ、男たちは妻たちに船のそばでの待機を命じられる。荷物持ちの出番は最後というわけだ。ひとつしかない品物をめぐって争う住人もいる。争うといっても、手を出したり舌戦を繰り広げたりといった乱暴な手段ではなく、代価を披露しあい、どちらがより持ち主に相応しいかを主張する儀式めいたものだ。決着がつかなければ警備も兼任する役人の出番になる。第三者の目で正当な評価が下されて、ガラス製の蝶の置き物は妙齢の女性が手に入れた。

私はそれらの喧騒を横切り、船尾から伸びた渡し板を登った。ずいぶんと怠惰な足運びだったが、蝶の置き物の取り合いに多くのひとが気を取られていて、邪険にされることはなかった。

甲板を通過し、貨物区から荷物を運び出す人々を避けているうちに、誰にも遭遇しない狭い部屋を見つけた。もしも船に乗務員がいたとしたら、力仕事を担う労夫が詰め込まれる場所なのだろう。アルコープのように壁に入り込んだ二段ベッドがある。その一段め、上段の底板に抑圧された空間に、私はなまった体を押しこめた。


逃げたつもりも、霧におそれをなしたわけでもなかった。ただ、ほとほと疲れ切っていた。心のうちにあった感情は──欲求と呼べるほどの強い感情ではなかったが──妻と娘を失ったこの土地にいたくないというものだった。思い出が辛いだとか、憎いだとかではなく、妻と娘を奪った霧がのさばるこの世界に身を置きたくなかった。ここからさき、具体的にどう生き延びるかなどとも考えていなかった。


やがて乗船する住人もいなくなり数時間といった頃合いに、ごごご、ぎぎぎという鈍い音が響いた。船が出航したのだ。


こうして私は旅人となった。

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